清水くんがモテるということは知っていた。高校に入学したとき既に彼は超有名人だったし、同じクラスだからその容姿は嫌でも目に入る。それなりに長身でしかもこんな整った顔立ちの男子であれば、モテないほうがおかしいとさすがの私も思ったのだ。
でもそれはテレビで人気アイドルを眺めて「かっこいいな」と思うのと同じ気持ちで、彼が女の子にどれだけモテようと私自身には何の関係もないことだった。
そう、ほんの少し前までは――。
しかし立場が変わった今、その事実を目の当たりにして私はかなり複雑な気持ちになっている。
例えば西さんのあからさまに私を敵対視した態度。彼女とはこれまでほとんど話をしたことがなかったが、清水くんと話をしていると彼女の突き刺さるような視線を感じる。いくら鈍感な私でもそれがどういう意味かはわかる。
西さんはクラスメイトだから、私だって全然想定していなかったわけではない。田中くんの口ぶりからして、今日の女子メンバーの中に清水くんを好きな人がいるのだと勘づいてはいた。
でも、あれは……なんだろう?
ボーリング場に着いて、まずトイレに行った私は用を済ませて出た途端、その現場を目にしたのだ。
清水くんの隣に、一応彼女である私なんかよりも親しげにぴったりと寄り添っている見たことのないお姉さん……。最初は知り合いなのかと思ってしまった。だって清水くんは普段と寸分も違わぬ様子なんだもの。
でもどうやら違ったみたいで、最後にお姉さんは清水くんのシャツの胸ポケットに何かを押し込んで去って行った。なんだろう、アレ。電話番号とかメールアドレスとか?
――清水暖人……ヤツは絶対アヤシイ。
私が傍にいなければ知らないお姉さんに密着されても平気、いやむしろ喜んでいたりするんじゃないか、と思ってしまう。それに私のことをかわいいとか言っておきながら、実はああいう派手なお姉さんが好きなのか、とか。他にも電話とかメールしてる女子がいるんじゃないか、とか。
――ぐわあああ!
私は何を考えているんだろう。バカバカしい。しかも驚きのあまり、ケバ目のお姉さんが立ち去るまでトイレの入り口でこっそりと一部始終を盗み見ていた私の姿は、傍から見たらただの変な人じゃないか!?
嫌だ。アイツのせいで自分が変な人になってしまうのは、絶対に嫌だ。
もやもやする気持ちをねじ伏せ、何事もなかったようにトイレから出た。さも「今出てきました」と言わんばかりにハンカチで手を拭いたりしながら。
清水くんのほうも、ほんの一分前までお姉さんが傍にいた気配など露ほども見せない。この男も相当面の皮が厚いな、と自分のことは棚に上げて感心する。それからは彼のことをあまり考えないようにしてボーリングに専念した。
ところが、二ゲーム目に入ったあたりから西さん以外にもこちらに強烈な視線を送ってくる人がいることに気がついた。隣のレーンのおば様だ。三人組のおば様チームはウェアからして気合の入り方が違う。
中でもリーダー格のおば様が腕を腰に当てた仁王立ちでこっちを監視し始めたからたまらない。
正直に言って私はボーリングが下手だ。それなのにプロ級のおば様の監視下で投げることになってしまい、緊張で身体はガチガチになってしまう。ボールを投げた瞬間、手首がグキッと嫌な音を立てた。
――はあぁ……。
やっぱりこんなところに来るんじゃなかった。
西さんも嫌な感じな上、なぜか菅原くんまで感じが悪い。二人ともチームが別なのがせめてもの救いだが、菅原くんのいかにもカッコつけた投球フォームとか、笑えない話題振りとか、見ていると肌が粟立ちそうだ。黙って近くにいるだけなのに、私は激しく疲労を感じていた。
早く終わらないかな、と思ったとき、隣に座っていた清水くんが思い出したように私を見た。男の人というのは勝負事になると熱くなってしまうらしい。しかも嫌味なことに清水くんはボーリングも大の得意だった。
まぁ、このメンバーの中で一番冷静なのはコイツだろう、と思う。私を除けば、の話だが。
それで隣のおば様のことと手首が痛いことを話したのだ。本当はあまり口を利きたくない気分だったんだけどね。
私の番が回ってきたので、清水くんのアドバイスに従って手首に力を入れず真っ直ぐに投げることをイメージした。
――力を入れない。真っ直ぐ。力を入れない。真っ直ぐ。
頭の中で呪文のように繰り返しながら助走を始め、ボールを持った手を後ろに引いたその瞬間……。
ボールがすぽっと指から抜け落ちた。
――ウソ!?
振り返った私の目には、さほど近くに落ちたわけでもないのに、怖がって大げさに避けるおば様の姿が映る。そのしぐさは仁王立ちの勇ましいポーズからは想像もつかないようなわざとらしい可憐さがあった。
――いやいやいや、そんなに避けなくていいし?
すっ飛ばした張本人だというのに、私はそのおば様の姿を見た瞬間罪の意識も忘れ、心の中でツッコんでしまった。
それがおば様に伝わったのだろうか。ブツッと彼女の堪忍袋の緒が切れた音が聞こえた気がした。
「ちょっと何やってんのよ!? 危ないじゃない! どういうつもり!?」
「ごめんなさい」
どうもこうもない。手首に力を入れないようにと気をつけていたら、力加減を間違えたのか指が滑ったのだ。これは危険行為だけれども、わざとやったわけではない。
おば様は今まで堰き止めていた我慢ならない思い丈を一気にぶちまける。私はひたすら頭を下げて、とにかくボールを拾いに行った。
でも、と彼女の演説を聞きながら思う。
――あまりヒステリックに叫ぶと、正論を述べていても快く受け入れてもらえませんよ?
実は年配の女性教師にも同じことを思うことがある。その先生は普段から不機嫌そうな顔で挨拶をしてもニコリともしない。まぁ、私の挨拶も愛想がないから仕方がないのかもしれないけれども。
――私も気をつけないとなぁ……。
こんなときに思うことではないのだけど、私は小さくなってボールを拾いながら自分の態度を反省していた。
西さんや菅原くんを「感じ悪い」と思ったけど、考えてみれば普段の私はその何十倍も「感じ悪い」のかもしれない。今まで他人に無関心を通してきたのはただの自分のエゴでしかないのだ。
――あれ、私……?
そういえば、どうして私は友達と交わらない生活を好むようになったんだろう。いつから? 昔は違ったような気がする。
何か変な感じがした。自分が自分でないような……?
しゃがんだまま首を傾げた私の隣に誰かが立った。見るまでもなく清水くんだ。それでも私は足から順に彼の顔までを見上げる。下から見ても本当に端整な顔立ちだった。
ほんの一瞬、彼は私を見下ろしてクスッと笑う。それから表情を引き締めて口を開いた。
「お騒がせして申し訳ありませんでした。お詫びにもなりませんが、よかったらこれ使ってください」
彼の真剣で優しい声がその場の空気を弛緩させる。思わず私はぼーっと見とれてしまった。
清水くんはおば様の目の前まで歩いていって、ほんの少し首を傾げるとニコッと笑った。悪魔が微笑んだのだ。おば様は目をパチクリとさせ、一瞬ためらった後、差し出された紙切れをおそるおそる受け取った。
――あれって、さっきのお姉さんがポケットに入れていった紙?
硬直したままその紙片を眺めていたおば様は、清水くんの顔と手にしている紙を見比べる。
「ど、どうもありがとう」
おば様の激情は嘘のように消え失せてしまい、今はただイケメンを目の前にして頬を赤く染める一人の乙女になっていた。
「いいえ、こちらこそご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
最後にまたあの悪魔の微笑みを見せ、彼は堂々とこちらへ戻ってくる。立ち上がった私の背中を軽く押して、再びレーンに向かう私に言った。
「舞、手首の角度が甘いんだ。ボールを片手で下から支えるように持って」
ふむふむ。……ああ、なるほど。
右手の上にボールを乗せる。さっきおば様のほうへぶっ飛ばしてしまったのは、ちゃんと手でボールを支えていなかったのだ。
――……って、もしかして私を助けてくれたの?
助走を始めた私の脳裏に突然その考えがひらめいた。今度は真っ直ぐ前に転がすことができたが、意識が逸れたのが原因なのか、途中からボールも横に逸れて溝に転落……。
結局、清水くんはずるい。頭も良くて運動神経も良くて、背も高くて顔もカッコいいなんて反則だと思う。神様は彼一人にいろいろ与えすぎだ。
それにあの笑顔を見せられたら、ほとんどの女性は彼に全てを許してしまうんじゃないかと思う。あの背後で仁王立ちしていたおば様だって、今はもう恋する少女みたいに清水くんのことばかり見つめているのだから。
――ぐわあああ!
考えるのはやめよう。だんだん自分が嫌な人間になってしまう。
そうだ、ヤツは悪魔だった。悪魔のことを羨む人はいない。私、どうかしてました。
何とか立ち直った私は、清水くんに買ってもらったジュースを飲んだ。しかし、どうしてグレープフルーツジュースなのかはよくわからない。オレンジとかアップルとかオーソドックスな選択肢もあるのに、と思う。
「グレープフルーツ好きなの?」
「好きだよ。甘くてちょっと苦いところとか、誰かに似てるなって思って」
さっきまで派手に盛り上がっていた向かい側の菅原・西チームも急におとなしくなり、清水くんと話す声も内緒話のようにひそひそとした小声だ。それをいいことにヤツはまた変なことを言い出した。
「……誰か?」
「うん。舞に」
「どこが?」
「だから、甘くてちょっと苦い」
「意味がわかりません」
「それは教えられないな」
珍しく彼は自嘲気味に笑う。苦いというのはわかるけど、私のどこが甘いのだろう? 彼の考えていることはさっぱりわからない。それが原因なのか胸の中のもやもやが膨張してきて、大声でわめきたいような気分になった。
そこにタイミングよくこんな声が聞こえてくる。
「次、カラオケ行かない?」
菅原くんが現代の若者らしく余計な言葉をできる限り省いて提案してきた。その得意げな言い方からすると、菅原くんは歌に自信があるようだ。私としては彼の歌声はどうでもいいが、清水くんの歌うところは見てみたい。
それに私もカラオケはボーリングほど苦手ではない。溜まったストレスを発散してやるぞ、と密かにやる気十分だった。
「カラオケねぇ……」
隣からため息混じりの声がする。横を見ると清水くんが気だるげに長い足を投げ出してのけぞっていた。
「もしかして音痴とか?」
一応小声で訊いてみる。言いながらこみ上げてくる笑いを堪えるのに苦労した。これが彼の弱点だとしたら絶対に見たいし、聴きたい。
別な意味で私は嫌な人間だな、と思っていると、突然身を起こした清水くんが険しい顔で私の耳元に囁いた。
「誰が音痴だって?」
――ひぃ!
低い声に総毛だつ。失言だったと思う私の耳に、田中くんの陽気な声が聞こえてきた。
「じゃあ、カラオケに移動しまーす!」
ボーリングを終えた一同はぞろぞろと大移動し始めた。
総勢八名のグループが一室に入ると、広く感じたカラオケルームも案外息苦しくなってしまう。入室するなり、長椅子にどうやって座るかで菅原くんと清水くんが対立し、結局また菅原くんの意見が通った。
そして菅原くんはちゃっかりと藤谷さんの隣に座り、そのカップルの隣に西さんと清水くん、向かい側に田中くん、山辺さん、沖野くん、私という席順になった。
隅っこに腰掛けてほうっとため息をつくと、真正面から怖い顔をした清水くんが私をじっと見つめてくる。こうなったのは私のせいではないけど、何となく首を縮めて小さくなっていた。
他の人は選曲やドリンクの注文で忙しくしていた。山辺さんがみんなの注文をまとめて電話してくれる。彼女は気が利くし面倒見がいい。電話も自分の役割のように率先して掛けてくれたので、私は感謝しながら尊敬の眼差しで見ていた。
予告なしに一曲目のイントロが室内に響きわたる。全員の注目を集めながらマイクを手にして立ち上がったのは、やはり菅原くんだった。
カラオケへ行こうと誘い、頼んでもいないのに一番手を引き受けるくらいなので、さすがに上手い。へぇ、と思っていると隣の沖野くんから早見本が回ってきた。パラパラとめくっていると次は西さんがマイクを取る。
座ったまま西さんが歌いだした。今、とても人気のある女性アーティストの曲で、実は私もすごく好きな曲だった。透明感のある歌声が素人には真似できそうにないと思っていたが、西さんは声量こそないものの声質が似ている。
「メアリー、上手いじゃん!」
沖野くんが驚きの声を上げた。田中くんと山辺さんも大いに頷く。藤谷さんは笑顔で小さく拍手を送り、その姿がまた愛らしい。
――ど、どうしよう……。
ボーリングよりは自信があると思っていたカラオケだが、急に心細くなってきた。何を歌おうかとあれこれ考えるが、元からレパートリーが少ないので私の心は軽くパニック状態になる。
次は清水くんの番だった。
本をめくる手を止めて向かい側でマイクを持つ彼を見た。歌い終わった西さんがさっきよりも清水くんに接近しているような気がして、眉がピクッと反応する。彼は一瞬だけ私に目を合わせると、ふいっと首を動かしモニターに集中する。
何だかさっきから彼の態度が冷たい。何か怒ってるのだろうか?
清水くんはアニメの主題歌で最近人気が出たヴィジュアルバンドの曲を選んでいた。私は彼の彼女だというのに彼の好きなものをほとんど知らないことに気がつく。
――付き合い始めてから日が浅いのもあるけど……。
そして、彼の歌声も初めてだ。
「……ちょっ! マジウマ!!」
フレーズの区切りで沖野くんがヒュウと口笛を鳴らす。感嘆の声を上げたのは山辺さんだ。メアリーこと西さんを見ると、隣で歌う清水くんを見上げる目が少女マンガに出てくる女の子のようにキラキラしていた。
――ていうか、ヤツに弱点はないんですか!?
しかもみんなが彼の歌声に酔いしれている中、モニターの歌詞を読んでいた私はこれが失恋の歌だということに気がつき、複雑な気分になる。
――いきなり別れる曲とか……どういう意味!?
まぁ、意味などないと思うけど、それでも変に勘繰ってしまうのは、やはり私が彼のことを好きだからなのか。じっと見つめていたモニターが急にぼやける。慌てて目を逸らして涙が引っ込むのを待った。
それから向かい側は見ないようにして、また選曲に戻る。突然いいことを思いついたのだ。
――これこれ、これだ!
清水くんの歌が終わると、田中くん、山辺さん、沖野くんと順にマイクが回り、ついに私の番になる。
慌てずに番号を押すとモニターに曲名が表示された。途端に隣から耳につく甲高い声が上がった。
「キターーーーー!!」
――何か文句ありますか? 清水くんだってアニソンだったのに。
そう。私は幼少の頃に大ヒットしたアニメの主題歌を選曲したのだ。テーブルの上のマイクを掴むと私は立ち上がった。
印象的な歌いだしのサビを、溜まった鬱憤を晴らすように歌い上げると、沖野くんと田中くんが腹を抱えて笑い出す。他の人は度肝を抜かれたような顔で私を眺めていた。少し、いやかなりいい気分だ。
だが、一人だけ冷たい視線を送ってくるヤツがいた。真正面から。
気がついてはいたが敢えて無視する。始めてしまったものは最後までやり遂げるのみだ。
笑いたければ笑えばいい。私らしくない思うかもしれないが、これも紛れもなく私なのだ。
――ええい、私のソウルを聴け――!
歌い終わった私は魂が抜けたようにストンと椅子に腰を下ろし、ふうと大きく息をついた。
「高橋、ナイスファイト! よし、俺もアニソンで行くぜ!」
「え、沖野も? 俺も歌っていい!?」
沖野くんと田中くんが目の色を変えて本をめくり、競うようにリモコンに番号を入力する。それを菅原くんが茫然と見つめている。
一気に室内の雰囲気が変わってしまった。
「ぶっ……!」
怖い顔をしていた真向かいの清水くんが、突然堪え切れないように吹き出す。隣の西さんは驚いて彼から身を離した。
「カラオケは舞の優勝だね」
悔しそうに菅原くんが顔を背ける。それは負けを認めたということだろうか。感じの悪い菅原くんの鼻明かしたようで更に気分が晴れ晴れとした。
「舞の歌も終わったんでトイレ」
そう言い残して清水くんは部屋を出て行った。ドアが閉まると西さんが突然立ち上がり、テーブルの上に投げ出されていたリモコンを手にする。
「おい、何するんだよ!」
マイクを握った沖野くんの反論も聞かず、演奏が始まった曲を中止し、予約も全てキャンセルする。
それから腰に手を当てて私の真正面に立った。マンガに出てきそうな場面だと彼女の姿を見て私は思う。
大きく息を吸った西さんは、ついに腹に据えかねていた想いを吐き出した。
「いい気にならないでよ。ちょっと清水くんに気に入られてるからって、調子に乗りすぎ。今は物珍しいから構われてるだけで、そんなの一時的なものよ。アンタみたいに根暗な人間を清水くんが本気で好きになるわけないもの!」
――根暗……か。
とりあえず瞬きを繰り返した。胸の鼓動が大きくなり身体中に響き渡る。目を吊り上げた真剣な顔の西さんとしばらくの間見つめ合った。
「……そうですよ」
西さんから目を逸らして自分の膝頭の辺りに視線を落とす。彼女はさぞかしすっきりしただろうな、と思っていた。たぶん、さっき歌い終えた私と同じような気持ちじゃないか、と。
「清水くんが私なんかのことを好きになるわけないんです。……皆さん、本気で騙されたんですか?」
声がどうしようもなく震えた。でも、心の中は優しい気持ちで溢れていた。西さんにあんなことを言わせたのは私なのだ。私が逆の立場だったら、やっぱり同じように思うはずだ。さっきあの見知らぬお姉さんに「彼に近寄らないで」と思ったのと同じように……。
もうダメだ。やっぱり私はこんなところに来ちゃいけなかったんだ。
ドアに駆け寄りドアノブに手を掛けた瞬間、予告なしにドアが開いた。勢い余って前のめりになった私は、顔面から懐かしい香りのする柔らかいシャツに飛び込む。
慌てて離れようとしたが、そのまま頭を押さえつけられた。
「お待たせ。もう帰ろう」
頭上から心のこもった温かい声が降ってきた。清水くんは私の顔を覗き込むようにするので、仕方なく上目遣いで見上げるが、ぶつかった拍子に眼鏡がずり落ちてしまい彼の顔がぼやけて見える。
「泣いてるし……」
「泣いてない!」
清水くんがクスッと笑う。頭を押さえつけていた手が、いつの間にか背中に回されて私は彼に抱き締められていた。
「涙目になってる」
「なってない!」
――っていうか、は、は、は、ハグ!? しかもみんなが見てる前で!?
恥ずかしさで顔が真っ赤になる。背中に田中くんの声が聞こえてきた。
「おいおい、見せつけるなって。そういうことはよそでやってよ」
「では、お言葉に甘えて」
凄みさえ感じる笑顔を見せて彼はカラオケ部屋のドアを閉じる。それから私の肩を優しく抱いたままカラオケ店を出た。
「舞の意外な一面を見てしまった」
可笑しくて仕方ないというように笑いを噛み殺しながら、清水くんは言った。私は肩に回された彼の手が気になって仕方がない。
「喜んでいいのかわかりませんが……。それよりこのままでずっと歩くんでしょうか?」
「ん?」
清水くんはわかっているくせに気がつかないふりをする。街行くカップルだってこんな恥ずかしい状態で歩いてはいない。私の頬は真っ赤になったままだった。
「実は舞って目立ちたがりだったりして」
「否定できない部分はありますね。成績だってできれば一番がいいですし」
クスッと笑われる。普通ならカチンと来るところだが、私の頭の中はほとんど沸騰していて何も考えられない。彼の腕に包まれている部分に異常なほど意識が集中していた。
「ねぇ、どうしてさっきからずっと丁寧語なの?」
「そ、それはですね……ど、どうしてなんでしょうね」
何を言ってるのかもわからなくなってきた。硬いアスファルトの上を歩いているはずなのに、足元はふわふわと宙に浮いているような感覚だ。
気がつけば駅に到着していた。ようやく清水くんの手が私の肩から離れてホッとするのと同時に、自分の身体から彼のぬくもりが消え去ってしまうのを残念に思う。
そういえば、と私は急に思い出す。
「あのおば様にあげた紙は何だったの?」
「ああ、来週から使えるボーリング1ゲーム無料券」
「そうなんだ」
無意識に笑いがこみ上げてきた。それを不審そうに見つめてくる清水くんに「何でもない」と首を横に振って見せた。
電車の時間まで駅ビルに入っている店をぶらぶらと見てまわり、ギリギリの時間に電車に乗った。ここに降り立ったときは不安で不満な気持ちばかりだったのに、今は全てが彼への想いに塗りつぶされてしまっている。
最高に幸せな気分で電車に乗り込んだ私は、すぐに山辺さんの姿を見つけた。
「高橋さん、ここ空いてるよ」
山辺さんも私に気がついて声を掛けてくれた。礼を言いながら彼女の隣に腰を下ろす。
「今日は楽しかったね。高橋さんの歌う姿、めちゃウケたし!」
「アハハ……」
楽しんでいただけて幸いです、と思っていると、山辺さんは急に表情を翳らせた。
「でも、メアリーが急にあんなこと言い出しちゃって……ごめんね」
「私は気にしてませんから」
友達のこととは言え山辺さんに謝ってもらうのは恐れ多かった。彼女は責任感も強くて本当に優しい人だ。
彼女の心遣いにひどく感じ入っていた私の耳に、次の言葉が届く。
「だけどメアリーの気持ちもよくわかるんだ。私も清水くんのこと好きだから」
うんうん私もです、としきりに頷いて同意する。
――ん? 待てよ。
――山辺さんも……清水くんのことが好き!?
ひょえええーーーーー!?
驚いて真横に座る山辺さんの顔を凝視する。彼女は小さく笑いながら私の顔を見返して、「それじゃあまたね」と言い残し颯爽と電車を降りていった。
1st:2010/08/15