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ないしょの関係 6



 月曜の朝、不覚にも寝坊してしまった。

 菅原・西グループと一緒に遊んだのは結局時間の無駄だったように思うが、カラオケでの舞はいろいろな意味で強烈でいいものを見たな、などと回想していたら目が冴えて眠れなくなってしまったのだ。

 おそらく西はあのまま引き下がらないだろう。だから月曜の朝は早く行かなきゃいけない。……と思っていたのに、結局学校に到着したのは朝のホームルームが始まる五分前だった。

 何かおかしなことになっていないかと内心ひやひやしながら教室に向かうが、特にいつもと変わったところはない。教室に入ってみても変な視線を感じるようなことはなかった。

 しかし、真っ先に俺の目に飛び込んできたのは、舞と男が会話している姿だ。途端に自分の顔が険しくなるのを感じたが、わざとゆっくり呼吸をして平常心を保とうとする。

 自分の席にたどり着くと、鞄をドサッと乱暴に下ろして机の横に掛けた。それから横を見る。

「読んだことないなら、まずこれがお勧めだけど、読む? 貸してやるよ。俺、もう何回も読んだから返すのいつでもいいし」

「えっと、今読んでいる本もあるので……」

「それ読み終わってから読めば? 夏休み中持ってていいから」

 舞と話しているのは声だけでなく容姿までもがサルっぽい沖野だった。机の上には煌びやかなカラー印刷で太腿がやたらと強調された猫耳の少女が真ん中に描かれた文庫が載せられている。いわゆるラノベの文庫だ。

 沖野は舞に自分の好きな本を押し売りしているようだ。困惑した舞は助けを求めるように俺にチラッと視線をよこす。

 仕方なく舞に「おはよう」と声を掛けた。

「おはようございます」

「おう、清水」

 ――何が「おう」だ。お前に言ったわけじゃないっつーの。

 ムカつきながら「ああ」と適当な返事をする。

「まぁ騙されたと思って読んでみろって。この作家は他のラノベ作家とは一線を画してる本格派だから」

 ――何を基準に本格派とか言ってんだ? だいたいお前は漱石とか芥川とか太宰とか、日本におけるメジャーな作家ですらまともに読んだことないだろうが。

 沖野の言葉にいちいちツッコむあたり、俺は相当イラついていると思う。余裕がないのはみっともないがこればかりはどうしようもない。

 もう一度舞の机の上を見た。

 ラノベと呼ばれる作品を初めて読んだのは中学生のときだった。弟の本棚にある日突然それらは現れたのだ。俺も一応は興味が合ったので読んでみた。

 だがそれがどんな内容だったかと問われると正直全く思い出せない。最後まで読んだのだから面白かったはずだが、要は俺の趣味に合わなかったということだ。誰が悪いわけでもない。ちなみに弟の本棚では今もラノベが増殖中だ。

「じゃあ読んでみて」

 沖野がそう言い残して立ち上がろうとした。それを見て俺は咄嗟に口を開く。

「それ、俺が先に借りるわ」

「あ?」

 中腰の沖野が俺を睨む。やっぱりそうか、と思うがそれはおくびにも出さず、舞の机の上に積み上げられた本を自分の机の上に移動した。

「俺が読んでから舞に貸すよ。夏休み中貸してくれるんだろ? これくらいなら俺も高橋さんも一冊一時間もあれば読める」

「マジかよ? これマンガじゃねぇぞ。それともお前ら速読とかできんの?」

「普通に読んでも一時間くらいしかかからない」

「……ったく、嫌味なヤツ。ま、好きにしてくれ」

 チャイムが鳴ってすぐに担任がやって来たので、沖野はそれ以上何も言わず自分の席に戻っていった。

 俺はそのやけにカラフルな表紙の本を鞄に無造作に詰め込んで、改めて舞を見る。彼女は俺の態度を息を詰めて見守っていた。

「沖野と仲いいんだ?」

 そうじゃないことはわかっているけど、なぜかこういう言い方しかできない。俺は今、ものすごく嫌な人間になっているという自覚はあるのだが、自分の感情を制御できない状態にあった。

「まともに話をしたのは今日が初めてでも仲がいいって言うのならそうなのかも」

 ため息混じりの呆れたような声が隣から聞こえてきた。

 俺は大きく息を吸って負の感情が爆発しそうになるのを何とか抑えた。因縁をつけたのは俺のほうだから舞が怒るのも無理はない。

 それっきり舞はこちらのほうを見ようもしない。仕方なく俺も担任の話に耳を傾けた。

 昨日のカラオケあたりから嫌な予感はあった。舞の隣に沖野が座って、何となく沖野が舞を意識しているように感じたのだ。マイクを渡す動作さえも沖野にしては珍しく緊張気味で、それが俺の神経を大いに逆撫でする。いちいち目くじらを立てていたらキリがないのはよくわかっているが、一度気にし始めるとそういうところばかりが目に入ってきて、俺はどんどん不愉快になっていった。

 沖野には悪いが、舞が俺からヤツに乗り換える可能性は限りなくゼロに近いと思う。

 そうは思っても、やはり気に入らない。

 しかし、沖野がこういう行動に出たのは少し意外だった。僅かな時間でも隣に座った女子を強く意識してしまうことは誰にでもあると思う。だからあれはその場だけのことだろうと高を括っていたのだ。

 それにしても俺と舞が付き合っていることを知っていながら、舞と仲良くなりたいがために唯一の接点と思われる小説をネタに話しかけてくるのだ。俺もずいぶん見くびられたものだと思う。

 というか恋愛沙汰に疎い沖野の場合、俺と舞のことをどう認識しているのか不明だ。そこが怖い。

 そんなことを考えているとあっという間に朝のホームルームは終わり、一時間目の授業が始まる。舞も他のクラスメイトも特に変わったところはない。沖野のことは少し気にかかるが、それ以外はあまりにも平穏すぎて不気味なくらいだ。

 まぁ、何もないのが一番いい。それほど心配することもなかったな、と思いながら入ってきた教科担当の教師の動作をぼんやりと見ていた。




「ではお待ちかねのテストを返します」

「えー、もう!?」

 教師の声が聞こえなくなるほどのざわめきがクラス中に広がった。一番後ろの席だから先生の言葉が俺には断片的にしか聞こえてこない。何となくわかったのは全体的に出来があまりよくなかったということだ。

 舞は珍しく頬杖をついていた。両方の手のひらに顎を乗せて考え事をしているようだった。あれから全く俺を見ようとしない。舞の頑固なところは嫌いではないが、場合によっては面倒だったりもする。

 テストは出席番号順に返却されるので、俺のほうが先に戻ってきた。現代文は特にひねった問題もなく、先生が説明したとおりの解答を書けばよいものだった。文章題で少し減点されたが、特に大きな間違いはなく妥当な点数だ。

「うっわー、清水は98点!? 人間じゃねぇ……」

 田中がわざわざ後ろまでやって来て、俺の答案用紙を手に取った。隣で舞がピクッと反応する。

「田中は何点だった?」

「バカ、俺の点数はトップシークレットなんだよ」

 田中の答案用紙を取り上げようとしたら、軽快に身を翻して自分の席に帰っていった。他人の点数を大々的に公表しておきながら自分の点数は秘密なんて卑怯だが、実は俺も田中の点数はどうでもいい。

 壇上で教師が女子の名前を読み上げ始めた。舞は大きくため息をつく。名前が呼ばれるとトボトボと歩いて先生の前に進んだ。

 先生が笑顔で舞に語りかけている。舞はうつむいて唇を噛み、すぐに回れ右をして足早に教室の後方へと戻ってきた。

「どうだった?」

「聞かないでください」

 冷たい声の後、答案用紙は手早く折り畳まれ、舞の鞄の中に消える。そして本人は何もなかったようにせわしなく教科書をめくった。放っておいたほうがいいのだろうけど、何も言わずに黙っているのは俺が辛い。

「現代文は得意だよね?」

 途端にキッと睨まれた。眼鏡の奥の目は完全に座っている。やはりこういうときは放っておくべきだな、と声を掛けたことをほんの少し後悔した。

「現代文は好きですが、得意とは言えない点数でした」

 現代文は舞の一番得意な科目のはずなのに、得意とは言えない点数だったというのはどういうことだ。そりゃ先生も平均点は低めだったと言っていたので難易度は高かったのだろう。でも答案用紙をさっさと片付けたところを見ると、点数はそれ以上に悪かったようだ。

 ――ということは。

 俺はスッと舞に身を寄せた。

「俺のことばっかり考えていて勉強に身が入らなかった?」

「違います!」

 突然、俺の腕はものすごい力で押し戻される。舞の眉間には深い皺が刻まれていた。

「正直に言ってもいいのに」

「断じて違います!」

 むきになってそう言った舞の顔が真っ赤だ。ほとんど冗談で言ったのだが図星だったらしい。こみ上げてくる笑いを何とか堪えて、もう一度舞の腕に触れる手前まで急接近する。

「ホント素直じゃないな」

「違うって言ってるでしょ!?」

「じゃあ何点だったか教えてよ」

「絶対嫌です。98点の人に私の気持ちなんかわかるわけない」

 さすがの俺も少し傷ついた。

 でも舞の言うとおりだ。もし立場が逆だったら俺だって同じように言うだろう。

「ごめん」

 ちょっとやりすぎたと反省しながら背筋を伸ばして椅子に座り直す。実際、高校二年生というのは大事な時期だ。それに小テストとは違って、期末考査の点数は今後に大きく影響する。

 舞は顔を背けてため息をついた。そのため息ときたら、やるせなさが溢れていて、俺まで切ない気持ちになる。

 ――なーんかいい方法ないか?

 俺と付き合うことで舞の成績が下がっていくというのは非常によろしくない。舞の成績が下がり、それが俺のせいだとなると、結論として俺と別れるという話が持ち上がるはずだ。これは絶対に避けなければならない。

 それに俺と付き合って成績が下がるなんて、俺のプライドが断固許さない。俺と付き合うことで成績も上がり、学校生活も楽しくなり、これ以上ないくらい幸せになるというのが高校生カップルとして本来あるべき姿じゃないか。

 ――そういえばもうすぐ夏休みだな。

 突然、いいことを思いついた。俺は舞のシャツの袖を軽く引っ張る。

「ねぇ、俺、めちゃくちゃいいこと思いついたんだけど」

 隣から冷ややかな視線が槍のように飛んできて俺に突き刺さった。だが、かまわず続ける。

「夏休み、一緒に予備校行かない?」

 舞の目が眼鏡の奥で大きく見開かれた。

「予備校?」

「うん。現役生用の講座あるから、どう?」

 これには興味を示したらしく、舞は難しい顔で考え込んでいる。しばらくして首を傾げながら口を開いた。

「行ってみたいような気もするけど、予備校ってことはS市まで通うんでしょ?」

「うん。そうだよ」

「ちょっと大変だし、お金もかかるから、親に相談してみないと……」

 まぁ、それはそうだ。でも興味を示してくれたのはいい傾向だと思う。

「じゃあ調べておくね」

「あ、あの、でも私、今まで塾とか予備校とか一度も行ったことないんだけど……」

 舞は急におどおどし始めた。その様子がかわいいので、ここはどうにかして予備校に連れて行ってやりたいと思う。

「俺と一緒なら大丈夫」

「うん……」

 心もとない返事だが、舞もその気になってきたようだ。うんうん、と頷いていると急に先生が俺の名前を呼んだ。

「清水、それに高橋。お前たち二人はずっと喋っていたな。次はきちんと話を聞くように。じゃあ終わります」

 日直が「起立、礼」とやる気のなさそうな声で言うと、机と椅子がガタガタとうるさく鳴り、チャイムと同時にクラスメイトが一斉に動き出した。

「注意されちゃった」

 二人一緒に注意されたのが嬉しくておどけて言うと、舞は呆れたようにため息をつく。

「誰のせいですか」

「……俺?」

「私じゃないことは確かです」

「いや、高橋さんが悪い」

「なんで私が……」

 舞が俺を睨みつけたそのとき、廊下から派手な音が聞こえてきた。人と人がぶつかり合う鈍い嫌な音だ。すぐに女子の悲鳴のような声や男子の太い声が飛び交う。

「おい、こんなところでやめろ!」

「うるせぇ! コイツ、ムカつくんだよっ!」

「……んだ? やんのか、コラァ!」

 野次馬根性丸出しで田中が廊下に飛び出していった。声から推察すると隣のクラスの野球部の男子と別のクラスのラグビー部の男子がケンカを始めたようだ。この二人は以前から顔を突き合わせるたび険悪なムードを漂わせていたが、何かの弾みでついに取っ組み合いになったらしい。

 二人ともスポーツマンとしては体格に恵まれていた。特にラグビー部のほうは胸板の厚みが尋常じゃない。鎧でもつけているのかと思うような分厚い胸で、彼に本気で抱き締められたらきっと窒息するだろう。腕の筋肉だって相当なものだ。俺は女じゃないが、生まれ変わってもヤツの彼女にだけはなりたくないと思う。

「なんでしょう?」

「ケンカしてるみたい。田中が見に行ってるから後で報告してくれるよ」

 舞は眉をひそめて廊下のほうを見た。

 途端に意味不明な罵声が廊下に響き、ゴツッという音とともに女子らの金切り声が耳をつんざく。そして二人が揉み合ってウチのクラスのほうへ勢いよく移動して来た。

「うわっ!」

 口に手を当てて舞が目を背ける。野球部の男子の口からだらだらと血が流れていた。口内が切れたか、歯が折れたか、だ。俺は小さく嘆息を漏らす。見たいわけじゃないのに、ガラスの向こうでケンカしている男同士の姿に目が釘付けだった。

「お前ら、いい加減にしろ!」

 野球部とラグビー部の数人が二人の間に割って入ったが、凶暴なラグビー部の男は仲間たちに羽交い絞めにされても足をバタつかせ、仲裁に入った連中を払い飛ばす。そして最後に憤怒の形相で持て余している残虐性を手近なものに爆発させた。



 ダンッ!



 金属が凹む音がした。

「おい、お前、ふざけんな!」

 田中や菅原らが凄んでラグビー部の男に詰め寄った。そこにようやく体育教師が数人駆けつけ、殴り合った二人は別々に職員室へと連行されて行った。

「清水、ちょっと来い」

 教室の戸口から田中が顔を覗かせて俺を手招きした。悪い予感がして慌てて廊下に出ると、案の定ウチのクラスのあるロッカーの扉がぐにゃりと凹んでいた。

「ここ、高橋さんのロッカーだろ」

 田中が指を差すまでもなく、そこは舞のロッカーで、鍵をしてあるせいか奇妙な形に歪み、ひしゃげた扉の隙間からロッカーの中身が半分近く見えている。あまりにもむごいやり方に顔をしかめた。

「なんてことしやがるんだ」

「とりあえず鍵を開けてもらおう。完全に元通りは無理でも、裏から叩けば何とかなりそうじゃね?」

「そうだな」

 舞を呼びに行こうとして目を上げると、戸口に彼女の姿があった。酷く傷ついた表情だ。そりゃそうだろう。狙ったように舞のロッカーだけが壊されたのだ。

「高橋さん、ロッカーの鍵貸して」

 一応約束なので「高橋さん」と呼ぶ。菅原たちに知られた今となってはあまり意味もないと思うが。

 舞がおずおずと近づいてきて制服のポケットから鍵を取り出した。クラスメイトたちが次々にやって来て舞のロッカーの惨状に同情の声を上げた。

「ちょっと酷くない? 全然関係ないのに、高橋さん、かわいそう」

「壊すなら自分のロッカーにしろっつーの!」

「今度やったらアイツのロッカーを皆で壊してやろうぜ」

 そんな中、遠巻きにしているグループからこの場にふさわしくない甲高い笑い声が上がった。振り返るとその発信源である女子と目が合う。



 ――西こずえ。



 俺のほうを見たまま、西は笑顔で隣にいる藤谷にひそひそと話しかけている。本当にムカつく女だ。軽蔑するような眼差しを投げつけてから前を向くと、田中が舞のロッカーの扉を外し、菅原がどこからか金槌を持ってきたところだった。

 無情にもチャイムが鳴った。もう二時間目が始まる。クラスメイトはぱらぱらと教室へ戻っていった。

「休み時間終わっちまったな」

 菅原が言いながら扉の凹みを金槌で叩いて直し始めた。

「貸せよ。俺がやる」

「おう。……ったく許せねぇな」

 珍しく菅原と意見が合った。金槌を差し出した菅原が、ニヤッと笑って空いている手で俺の腕を軽く叩く。

「清水、お前本気なんだな」

「昨日そう言っただろ」

 床の上に置いた舞のロッカーの扉を叩きながらそっけなく言った。菅原は鼻で笑う。

「そういえば言ってたな。……悪い、疑ってた」

「お前、感じ悪すぎ」

「マジでごめん。……高橋さんもごめんね」

 顔を上げた菅原は真っ直ぐに舞を見た。俺も舞を振り返る。

 ぽつんと廊下に立っている舞は、俺と菅原を交互に見て、頭を小さく横に振った。

「あの、もう十分です。今日一日くらい鍵できなくても平気だし、二人とも先生が来る前に教室に入って」

 俺と菅原は素直に舞の言葉に従い、立ち上がる。

 とりあえずロッカーに扉を取り付けてみると、まだ少し隙間は残るものの、何とか閉まるようにはなった。だが、鍵穴の部分が微妙にずれてしまい、肝心の鍵ができない。

「後は昼休みにやろうぜ」

「そうだな。舞、不便だけどちょっと我慢して」

「はい、大丈夫です」

 既に廊下は静まり返っていて、遠くから階段を昇る足音が聞こえてくる。先生が来たようだ。俺たち三人は急いで教室に戻った。


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