HOME


BACK / INDEX / NEXT
ないしょの関係 4



 ジーンズのポケットの中でケータイが鳴る。メールの音だ。自転車を漕ぎながら片手をポケットに突っ込んだ。

 案の定、英理子からだった。もう準備ができたらしい。早いな、と思いながらチラッと前を見て、返信を打ち込む。

 駅に到着すると階段を段飛ばしで駆け上がり、改札口の前を素通りする。

「清水くん!?」

 不意に女子の声がした。声のほうを見ると、女子のクセにやたらとビッグな山辺さんがいた。バレーボールをやっている人らしい体型だ。

「そんなに慌ててどこに行くの? 待ち合わせ場所、ここだよね?」

 近づいてきた山辺さんの私服姿はカジュアルで意外とオシャレな感じだった。意外と、なんて言ったら怒られそうだが。ちなみに俺は怖くて彼女を呼び捨てにできない。

 なにしろ、初めて山辺さんのスパイクの破壊力を目の当たりにした男子一同、本気で震え上がったことは不名誉だが本当のことだった。あれが脳天に炸裂したら、と想像するだけでも目の前に星が飛びそうだ。

「彼女を迎えに行って来る。約束時間までもう少しあるし」

「そっかぁ。彼女さんに会うの、楽しみ。早く連れておいでよ」

 俺よりよっぽど筋肉質なのに、会話していると山辺さんは他の女子よりもよっぽど女子らしいと思う。……って、この表現もかなり失礼か?

 ともかく舞を迎えに行かなければならないので、返事もそこそこにその場を去った。





 それにしても、舞が突然やる気を出して菅原たちの誘いに乗ってくれたのは、予想外の嬉しい驚きだった。

 更に「できません」と断言していたイメチェンにまでチャレンジするというから、本当はかなり無理をしているのではないかと心配になる。だが実際、俺の胸の内は心配以上に期待のほうが大きかった。

 駅に直結しているショッピングセンターへの通路を渡ると、出入口に英理子の姿が見えた。その場をウロウロして落ち着きがない。それを見ると俺まで不安な気持ちになってくる。

 ――どうしたんだ? 舞はどこに……?

「遅いですよ! 五分前行動を心がけてください」

 俺の姿を見つけるなり、英理子は甲高い声を出して言った。英理子は怒ると言葉が更に丁寧語になる。咄嗟に俺は申し訳ないというように腰を低くした。

「ごめん。これでも急いで来たんだけど。……それで舞は?」

「もう、ずっと待ってたんだよ!」

「なんだよ、五分くらい遅れたうちに入らな……」

 英理子の視線の先に白いスカートが見えて、一瞬ドキッとした。更に目が合って胸の鼓動が激しくなる。

 舞は壁際で、壁に溶け込もうとするかのように息を潜めてひっそりと立っていた。

「ね、どう? 舞ちゃん、すっごくかわいいよね?」

「……いや」

 英理子が満面の笑みをたたえて、俺の顔を覗きこむようにするので、思わず顔を背けた。

 その途端に英理子は俺を思い切りど突く。

「なによ、その『いや』って。今、絶対かわいいって思ったでしょ? 顔が赤くなってるわよ」

「いや、『イメチェン』っていうから、もっと大々的に変化しているのかと……」

 なぜか俺の返事はしどろもどろになってしまった。

「大々的? 一体どんなものを想像してたのよ?」

「いや、ほら……鼻眼鏡とか?」

「それ『イメチェン』じゃなくて変装です」

 すかさず舞からツッコミが入った。嬉しくなって舞のほうを見ると、またドキッとする。眼鏡はいつもと同じなのに、何かが違う。胸のドキドキを何とかやり過ごし、俺は覚悟を決めて真っ直ぐに舞を見た。

 ――えっと、なんて言うんだ?

「……ヘアバンド?」

「カチューシャ?」

 自信なさげに言うと英理子も疑問形で返してきた。

「ああ、それそれ。……って、英理子が手伝ったイメチェンってカチューシャつけただけじゃん」

「そうよ」

 開き直るつもりか、自信満々な返事だ。俺が更にツッコミを入れようとしたら、それを制するように英理子は俺の鼻先に人差し指を向けた。

「でもそれだけじゃないわよ。ほら、よーく見てよ。舞ちゃんの髪の毛、ツヤツヤ!」

 そう言って英理子は舞の肩先から髪の毛を掬い上げてうっとりする。思わず俺も舞の傍に行き、英理子とは反対側から舞の髪に触れた。

「うわー、ホントにツヤツヤで触り心地いい」

 それによく見るといつものおかっぱが、ただのおかっぱじゃなくなっている。

「え? カットとかしてないよね?」

 俺の驚き混じりの声に英理子は即座に反応した。

「ウフフ、これぞエリコマジック!」

 その間も両脇から髪の毛を弄ばれている舞。かわいそうになるくらい見事に固まっていた。

 ――だけど本当に大変なのはこれからだよ?

 と、俺は思う。その大変な目に遭わせているのは他でもない俺なんだけど。

 英理子は有頂天でエリコマジックについて語り始めた。かいつまんで言えば、テレビで観たカリスマの技を真似してドライヤーでブローし、艶の出るワックスをつけたのだそうだ。そして仕上げにカチューシャ。

「さすが英理子、よくやった。じゃ!」

「ちょっと『じゃ!』ってなによ。もうちょっと労ってくれてもよくない?」

「わかった。今度ジュース買ってやる。じゃ!」

「ぶっ」

 いきなり舞が吹き出した。

「ジュースって……」

「ホント、はるくんは……って、ちょっと!」

 英理子の声を背中に聞きながら、俺は舞の腕を取ってショッピングセンターの通路を戻る。もう菅原たちとの約束の時間なのだ。

「あの……英理子さんを置いてきちゃっていいの?」

 俺の顔をこわごわと覗き込む舞の仕草がかわいい。あまりにもかわいいので、一旦掴んでいた腕を離し、改めて手を繋いだ。

「いいの、いいの。だって時間だし。五分前行動って英理子が言ってたんだよ」

「あの……手は繋がないほうがいいかと」

 遠慮がちに引っ込めようとする舞の手を、反発して力強く前に引っ張った。

「嫌だ」

 ――ここまで来て今更……。

 わざと大きくため息をつく。舞は困ったようにうつむいて、立ち止まってしまった。



 ――どうする? 二人ですっぽかす?



 その選択肢も有りだと思うが、それでは英理子が浮かばれない。握っている手の力を緩めて、俺は舞を試した。

 もし舞が俺の手を振りほどくのなら、菅原たちを放っておいて舞ともう一度話し合おうと思う。

 だが、舞は軽く重ねただけの手を自ら離そうとはしなかった。

 ――よしよし。

 気分を良くした俺はもう一度手に力を込めて繋ぎ直し、舞の耳元に顔を寄せて言った。

「その格好、舞に似合ってるし、かわいいよ」

 眼鏡の奥でパチパチと瞬きを繰り返す舞の顔が徐々に赤くなってきて、見ている俺まで恥ずかしくなってくる。慌てて前を向き、強引に舞の手を引っ張って待ち合わせ場所へと向かった。





 駅の改札口の前には、ひと目見ればすぐにそれとわかる賑やかな集団がいた。中でも田中はいつにもましてテンションが高い。最初から飛ばすと後で息切れするぞ、と思いながら冷めた目で見ていると、その田中がいち早く俺と舞に気がついた。

「よぉ、待ってました!」

 その呼びかけはなんだ? と思うが、仕方なく手を上げて応える。横を歩く舞の足取りが急に重くなったようだ。

「え、ちょっと……あれ高橋さんじゃない? マジで?」

 たぶん俺たちにも聞こえるように、わざとらしい大声を上げたのは西こずえだ。田中以外のメンバーで驚いていないのは沖野くらいだった。沖野は色恋沙汰に無頓着な男だから、これは正常な反応と言える。

「おい清水、いくらなんでも高橋さんにかわいそうだろ?」

 騒々しいグループの輪に混ざった俺と舞に、いきなり菅原がそう話しかけてきた。いつもの癪に障るへらへら顔だったからカチンとくる。

「菅原、それ以上舞を侮辱するようなことを言ったら、容赦なくぶっ飛ばすから覚悟しとけ」

「なにコイツ、むきになっちゃって。しかも『舞』だって」

 菅原は少しビビったらしく、他のメンバーに助けを求めるような視線を送った。そういう態度が本気でムカつく。俺は一歩踏み出して菅原に顔を近づけて言ってやった。

「ふざけんな。わかったのかよ?」

「わ、わかったよ。ごめんね、高橋さん。……って、マジで付き合ってんの?」

 人差し指をメトロノームのように動かしながら俺と舞を交互に差す。

「冗談でこんなところに連れてくるわけないだろ」

 一瞬、場がシンとなった。メンバー同士が無言で視線を交わす。舞が俺の斜め後ろで更に小さくなっていた。



 ――こうなったらもう、アノ手しかないな。



 いや、今のままでも十分だし、俺はむしろこれはあったほうがいいとさえ思っている。でもこういう場合、やはりこれはないほうがいいのだろう。

 おもむろに舞を振り返って、顔の半分くらいを占領している分厚い眼鏡を外し、素早く畳んで俺のシャツのポケットにしまった。

 舞は小さく声を上げたが、俺の動作の素早さに唖然としてほとんど無抵抗だった。

 他のメンバーの視線は一斉に裸眼の舞に注がれる。教室内でも眼鏡を外すことは珍しくはないし、おそらくクラスメイトの誰もが一度くらいは彼女の眼鏡を外した素顔を見ているはずだ。

 それなのに、この驚きようはエリコマジックのおかげなのか?

 特に菅原と西が愕然としているのを見て、この作戦が予想以上の効果を発揮したことに俺は大いに満足する。

 なんだかんだ言っても、外見で他人を判断する輩は多い。それくらい視覚情報というのは強烈なのだろう。

 特に今日の私服姿は薄い黄色のTシャツに白いスカートで、いつもの制服姿に比べれば格段に爽やかな感じがする。更に細い黒のカチューシャが舞の女の子らしさを適度に強調していて、男子からの好感度はかなり高いと思う。

 それに普段目立たない分、インパクトが強い。しかも、大きな目で不安そうに俺を見上げる表情が何とも言えずそそる。

「で、まず何するんだ?」

 内心勝ち誇って天狗になった俺は、まだ茫然としている菅原に話しかけた。菅原はハッとして、まず余裕を取り戻すためか、腰ではいているジーンズのポケットに手を突っ込んで意味もなくのけぞって見せる。

「ボウリングやろうぜ。男女二組ずつで勝負する」

「お、いいじゃん! じゃあ、とりあえず移動するよー」

 なぜか田中が引率係になってメンバーの先頭に立ち、後から一同がぞろぞろと続いた。

 西は俺のほうをちらちらと見て、おとなしい藤谷に何か耳打ちしている。俺は何を言われても気にしないが、それでも女二人がこそこそするのは胸がムカムカする光景だった。





 ボウリング場に到着すると、エントリーシートを囲んでチーム分けをした。ここでは菅原が陣頭に立ち、自分に都合のいいチームを作る。俺は舞と一緒なら異論はないのですんなりと決まった。

 そして各自準備に入る。

 舞がトイレに行くというので眼鏡を返し、俺は舞を待つついでに自動販売機で飲み物を買うことにした。

 何を買おうかと迷っていると、すぐ隣に人の気配を感じた。

「ねぇ、君って高校生?」

 知らないお姉さんが俺の腕に触れるか触れないかくらいの位置に立っていた。結構かわいい人だがかなり派手なメイクで、それを至近距離で見てしまった俺は一瞬ぎょっとなる。

「そうですけど、何か?」

「お姉さんとメル友にならない?」

 これが最近よく聞く肉食系女子だろうか、と思いながら笑顔を作った。

「メル友なら間に合ってます」

 途端にお姉さんはきつい目をして俺を睨む。

「彼女いるんだ」

「いますよ」

「ふーん。でも友達は何人いてもいいじゃん」

 お姉さんは俺に軽く体当たりしながら「ね?」と首を傾げてかわいらしく微笑んだ。

 俺はどうもこの手のケバいお姉さんは苦手だ。何度見てもメイクに気合が入りすぎてて少し怖い。

「俺の友達を紹介しますよ」

 丁寧な口調で提案すると、お姉さんはあからさまに落胆し「はぁ」とわざとらしいため息をついた。

「いや、友達には興味ない。突然ごめんね。これ、あげるわ」

 お姉さんは俺の胸のポケットにチケットのようなものを入れて去っていった。案外あっさりとした性格の人だったらしい。

 見てみると「ボウリング1ゲーム無料券」だった。有効期限を見ると来週から1ヶ月の日付になっている。今日使えない券なら俺もいらないが、とりあえずしまっておいた。

 今のは一体何だったんだ、と思いながらお茶とグレープフルーツジュースの缶を買って振り返ると、ちょうど舞がトイレから出てきたところだった。



「清水の番だぞ!」

 舞と二人でボールを選んでレーンに向かうと、同じチームの沖野が待ちきれない様子で大声を上げる。

 急いでアプローチに立つと右側のレーンに母親より少し年上と思われる女性が既にボールを構えていたので、すぐにアプローチから降りた。

 こう見えても俺はボウリングには少しうるさい。何しろ母親がアマチュアの大会で優勝するような腕の持ち主で、小さい頃からマナーに始まり投球フォーム、果ては理論まで叩き込まれてきたのだ。

 腕にリスタイをつけた右隣の婦人が美しいフォームで投球し終わると、俺は再度アプローチに立った。

 ――見てろよ。

 ボールを抱えてピンを睨みながら立ち位置を確認する。呼吸を整えて腰を落として助走を始め、一球目なので慎重に、そして丁寧にリリースした。

 リリースした瞬間に、これはいったな、と思った。ピンはパカーンといい音を立てて左右に転がる。ストライクだった。背後で歓声が上がった。

「清水くん、プロ級じゃない?」

 同じチームの山辺さんが興奮して立ち上がっていた。一球目で褒めすぎだろ、と思いながら苦笑すると、目の端に舞がボールを持ってふらりとアプローチに立つのが見えた。

 なぜか自分の番より緊張しながら、その挙動を見守る。

 よいしょ、という感じでボールを抱えるとゆっくり歩き出し、そっとボールを送り出した。よろよろと転がっていく様子が舞の印象と重なって、笑いがこみ上げてきたが何とかこらえる。

 後ろで見ている俺と沖野と山辺さんはきっと同じ気持ちだっただろう。三人とも息を止めてボールの行く末を案じる。

「ああ……」

 レーンの上の長旅を終えたボールは優しく撫でるようにピンを転がして消えた。

「おお!」

 俺を含め見学者三名は異口同音に感嘆の声を上げた。

 威力がないのでストライクは無理だったが、あの投球スピードで八本も倒れたことに俺はかなり感動していた。

「これはうちのチームの勝ちかもね」

 山辺さんは隣の菅原・田中・西・藤谷チームのスコア表を見て満足げに言う。まだ1フレーム目なのにいくらなんでもそれは早計だと思うが、誰も否定はしなかった。

 だが、田中が突然立ち上がって勢いよく言う。

「今のは練習だから!」

 山辺さんの言葉に触発されたのか、急に投球フォームの研究を始めた。スコア表を見ると田中は一投目ガター、二投目は三本だけ倒れたようだ。

「田中、真っ直ぐ転がせばいいだけだぞ」

 俺は一心不乱に投球練習をする田中に親切心からアドバイスしてやったが、ヤツの耳には誰の言葉も届いていない様子だ。というか、女子と遊んでいることも忘れている気がする。あんなの楽しみにしていたのに、勝負がかかると女子はどうでもよくなってしまったようだ。

 レーンのほうに目を戻すと、西が投げ終わったところで「フォー!」などと意味不明な高い声を上げて、藤谷ときゃあきゃあ言っている。ちなみに西は器用にも1本だけ倒した。

 ――まぁ、俺の敵はいないな。

 2フレーム目以降も基本に忠実に平常心で投げる。点を稼ぐコツがあるとすれば、これに尽きると思う。ともかくピンを倒さなければ点数にならないのだから。

 そうこうしているうちに1ゲーム目は終わった。

 菅原が尻上がりに調子が良くなり後半スコアが伸びたくらいで、他のメンバーはほぼどんぐりの背比べだった。

 勿論、俺は200越えで余裕の一位だ。こうなると、俺と菅原の一騎打ちの様相を呈してきたと言っても過言ではないだろう。

 ふと隣を見ると舞は暗い表情をしている。心配になってうつむき加減の顔を覗きこむようにすると、舞は閉じたままの唇をニッと真一文字に伸ばした。

 ――え? なに、その表情……。

 面食らった俺は渋い表情を作って問う。

 これはマンガに出てきそうな顔だなと思った。どう見ても笑い顔ではないので、怒っているのかとやや不安になる。

 いや、悪いのは俺だということは重々承知している。この状況で舞が楽しいわけがない。特に菅原と西は、意図的に舞を無視した言動を取っていた。

 西も許しがたいが、俺としては菅原のほうが許せない。男のクセに男らしくない態度だ。だから2ゲーム目は更に格の違いを見せ付けてやろうと密かに思っていたのだ。

 舞はその不思議な表情のまま、少し首を傾げて俺に身体を寄せた。

「後ろのプロっぽいおば様たちが、こっちを怖い目で見ているのだけど」

 小声でそう言って舞は困ったように口を尖らせた。今度はアヒルのような口だ。これはちょっとかわいい……っと、舞の百面相を楽しんでいる場合じゃない。

 何気なく振り返ってみると、俺の背後には貫禄のある女性が腰に手を当てて仁王立ちでこちらに睨みをきかせていた。

 ――うわ、これマジギレしてるよ。

「次、清水だぞ」

 沖野から声を掛けられて、俺は立ち上がる。舞がアヒル口のまま見上げてきたので、ポンポンと頭を撫でておいた。

 隣のおば様が怒るのも仕方ない。何しろ菅原・西のチームは常に意味もなく騒がしいし、こっちのチームはこっちのチームで、沖野は性格上ボールを持ったらすぐに投球しないと気が済まないらしく、右隣優先のマナーなど無視してズカズカとアプローチに上がっていた。

 こんなうるさいガキどもが隣にいたら、真面目に練習している人がペースを乱されて怒るのは当然だと思う。

 でも、今日は日曜日だ。俺たちの他にも高校生や大学生らの若者やファミリーなど多様なグループが気軽にボウリングを楽しんでいる。こんな日に若者の行動に関していちいち目くじらを立てていたらキリがない。

 そんなことを考えていたせいか、一投目はピンが残ってしまった。やはり雑念があるとよくない。気持ちを切り替えて二投目はしっかりとスペアを取る。

 ガッツポーズを作りながら席に戻ると、舞が右の手首をぶらぶらさせながらため息をついていた。

「手が痛い?」

「うん。変なところに力が入ってるみたいで……」

「ああ、コースを狙うと変に力んで手首痛めるよ。真っ直ぐ振り子のようにボールを送り出してみなよ」

「はい」

 いつも思うが舞は素直な生徒だ。こうしてアドバイスをすんなりと受け入れてもらえると気持ちがいいし、もっといいところを伸ばしてあげたいと思う。

 舞がボールを持ってアプローチに立つと、西は少し離れた場所から冷ややかな視線を舞に送った。

 ――しかし、西はなぜ舞を目の敵にするんだ?

 今日も見事に外跳ねしている西の髪の毛を眺めて思う。英理子や高梨からの助言によると、西は俺に気があるらしいが、俺自身そういう気配は全然感じない。

 だからこそ厄介だ。現状だと単に西が舞のことをいじめているようにしか見えない。

 舞が俺とのことを隠していたい気持ちもわかるが、そうなるといつまでも俺が西の陰湿なやり方に口出しできなくなってしまう。そういうのはもう嫌だ。特に相手が舞だからこそ、俺はこのまま黙っていたくない。自分の手で舞を護りたいと思う。

 そんな決意を秘めて舞を見る俺の目に、いきなり衝撃的な映像が飛び込んできた。

 助走に入った舞は、俺のアドバイスどおりにボールを振り子のように勢いよく後ろへ振り上げた。なかなかいいフォームだ、と思った瞬間――



 ゴン! ……ゴロゴロゴロ……。



 前方のレーンを転がるはずのボールが、右斜め後方で仁王立ち中のおば様の座席のほうへすっ飛んでいった。

 途端に耳を覆いたくなるような怒号が響き渡る。



「ちょっと何やってんのよ!? 危ないじゃない! どういうつもり!?」



「ごめんなさい」

 顔をこわばらせた舞がその場ですぐに頭を下げる。だが、おば様の怒りはここぞとばかりに炸裂した。

「アンタたち、さっきから見てればマナー悪すぎる。高校生でしょ? どこの学校の生徒? 一体どういう教育されてるの。他人に迷惑をかけないって当たり前のこともできないわけ?」

「本当にごめんなさい」

 舞が小さくなってボールを拾いながら更に謝った。唾を飛ばしながら激しい口調で抗議するおば様の前に、身を低くしながらも進んでいける舞の勇気には感動する。

「私が怒っているのはアンタだけじゃない。アンタたち全員やかましいし、私が投げようとしているのも確認せず投球するし、さんざん迷惑掛けておきながら少しもすまなさそうな態度はしないし、黙っていればどんどんエスカレートして、もう我慢できないわ! 周りをよく見てご覧なさい! ここはアンタたちだけがボウリングをしているわけじゃないんだから」

 腰に手を当てたまま息もつかずにまくし立てたおば様が、フンと鼻息荒く言葉を区切った頃合いを見計らって、俺は立ち上がった。


BACK / INDEX / NEXT

HOME


Copyright(c)2010 Emma Nishidate All Rights Reserved.

 1st:2010/07/26