#25 ただ君の喜ぶ顔が見たいから

 翌朝、出社して最初に顔を合わせたのが製品管理部の谷本さんだった。
「最近お休み多いから体調悪いのかと思っていたけど」
 谷本さんは私の顔を遠慮なく覗き込んでくる。
「柴田さん、恋してる?」
「ど、どうしてそうなるんですか!」
 動揺した私は朝から廊下で大声を上げてしまった。通り過ぎる社員たちに怪訝そうな目を向けられ、肩をすぼめるがもう遅い。
 社員の谷本さんはニヤニヤしながら私に顔を寄せた。
「だってなんだかすごく表情が明るいから。なにかいいことあったでしょ? 彼氏できた?」
 間近にある谷本さんの顔を見つめながら、なんと答えるべきかと考える。
「そうですね。いいことはありました」
 昨日は無事コマーシャルの撮影を終えて、スペシャルドラマに出演できるかもしれないとわかって、予告なしに優輝が退院してきて、彼が実家に私のポスターを貼っていたのを認めて――。
 と、思い出していたら、谷本さんが声を潜めて「あのさ」と言いにくそうに切り出した。
「相手は友広くん?」
 私は思わず「は!?」と大声を上げる。
「違います。友広くんとは何もありません」
「あら、そうなの。でも噂になっているわよ」
「困ります。どうしてそんなことに?」
「だってあなたたち、最近よそよそしいでしょ? 逆にあやしむ人がいて、付き合っているんじゃないかって」
 なんということだ。社内恋愛が禁止されているわけでもないのに、よそよそしいのを付き合っていると深読みされるとは。
「違います」
 もう一度力いっぱい否定すると、谷本さんは残念そうな表情をしたが、すぐに「じゃあ」と目を輝かせた。
「どんな人?」
「い、いや、その……」
「社外の人? かっこいい? 歳は?」
 畳みかけるような問いに、深呼吸をしてから誠実に答える。ま、彼氏ができたことを認めるくらいはいいよね?
「えっと、年上の社外の人です。まぁ、かっこいい、かな」
「へえええええ!」
 谷本さんは頬に手をあて、照れるようなしぐさをした。
 そのおちゃめなポーズを見ながら私は、案外照れていない自分に内心驚いていた。むしろ彼氏の存在をもっとアピールしたいような気分だ。
 まぁ「彼氏を紹介しろ」と言われたら困るし、優輝を彼氏と呼んでいいのか若干疑問だけど。
 さらに何か言おうとした谷本さんが、不意に固まる。
「おはよう、友広くん」
 彼女は私の背後に向けて挨拶をした。振り返ると友広くんの姿が目に飛び込んでくる。
「おはようございます」
 彼はぶっきらぼうにそう言うと、すれ違いざま冷たい視線をぶつけてきた。
「かっこいい彼氏がうらやましいですね」
 私ではなく谷本さんへそう言い残し、友広くんは歩き去る。
 会話を聞かれていたことはショックだったが、これで友広くんとの変な噂が消えるはず。だからよかったのだ、と自分に言い聞かせた。
 怪訝な顔で友広くんを見送った谷本さんは、ふぅと大きく息をつくと私の肩をポンと叩いた。
「じゃ、今日も1日がんばろう」
「はい」
 元気に返事をしたら、もやもやとした嫌な気分はとりあえずどこかに吹っ飛んでいった。

 谷本さんが噂を否定してくれたおかげか、私に向けられる女性陣の視線はいつもより穏やかだった。
 友広くんもこれだけモテるのだから、常に怖い顔をした私ではなく、笑顔のかわいい女性をターゲットにすればいいのだ。
 そう思いながらそそくさと帰宅準備をする。というのも、仕事が終わったら事務所へ来るように、と姉からメールが来ていたのだ。
 もしかしたらスペシャルドラマの話に進展があったのかもしれない。
 会社を出て、すぐにタクシーに乗り込む。
 雲の上を歩くようなふわふわした足取りでビルの入口を通り抜け、事務所への通路を進んだ。
 ドアを開け、最初に目が会ったのは事務の伊藤さんだった。彼女はパッと顔を輝かせ、「決まりましたよ」とクリアファイルをかざす。昨晩優輝に見せてもらったスペシャルドラマの企画書だ。
「やったー!」
 思わずガッツポーズを取った私を見て、姉がクスクス笑った。
「よかったわね。未莉の嬉しそうな顔、久しぶりに見たわ」
 おおお!?
「私、少し笑えてる?」
「そうね。でも真顔と区別がつかないかも」
 頬を手で押さえてうつむいた。そうか。まだダメか。
 最近ちょっとずつ頬の筋肉が緩んでいる気がするんだけどな。
 でも死ぬほど嬉しい。幼い頃からの夢が叶いそうなのだ。今なら空も飛べる気がする。
「これもすべて、守岡くんが口添えしてくれたおかげよ。『未莉が相手役なら出演する』とテレビ局やスポンサーに直接掛け合ったみたい」
 姉が前髪をかき上げながら、言外に「礼を言っておけ」と圧力をかけてくる。
「うん……」
 あの人――ドラマの出演は辞退しろと言ったくせに。
 私と共演することでまた何か事件が起きるんじゃないかと心配しているくせに。
 でもやっぱり優輝は私のことを応援してくれていたんだ。そう思うと心の奥のほうが温かくなる。
「で、私はこれから何をすればいいのかな?」
「とりあえず契約社員は辞めてもらうわよ」
「え……でも」
「撮影は1ヶ月以上かかるから、OLを続けるのは無理でしょう」
「……わかった。明日上司に報告する」
 ついにこの日が来たか。さらば安定収入!
 姉と伊藤さんと3人で今後のスケジュールを確認し、私はタクシーで帰る。車中で興奮さめやらぬまま柚鈴にメールを送り、携帯電話を鞄にしまった。
 そしてタクシーの低い天井を仰ぎ見る。
 ――お父さん、お母さん、もう少しで夢が叶うかも。
 こんなとき、一番に伝えたい相手がいるとすれば、やっぱりそれは両親かもしれない。

 マンションに帰ると、優輝が鼻歌を歌いながら雑誌を広げていた。妙に機嫌がいい。
 背筋に寒気が走るのをなんとかやり過ごし、まずは深々と頭を下げた。
「スペシャルドラマの件、お力添えいただきまして本当にありがとうございます」
「よかったな」
 優輝はそれだけ言うとまたハミングし始めた。相当浮かれている。
 なんだろう。この不気味な感じ。
「あ、未莉にプレゼント」
 彼は急に思い出したように部屋の片隅のダンボール箱を指さした。宛先は高木さんの名前になっている。
「えっと、これ宛先が優輝でも私でもないのですが」
 よく見ると住所も成田プロの事務所だ。
「俺の名前で買うと、ここに住んでいるのがバレるだろ?」
 なるほど。顔が割れているから店で女性ものは買いにくいし、個人情報がばれるから通信販売も利用できないらしい。とかく有名人には生きにくい世界だこと。
 それで中身はなんでしょうか。
「品名『ルームウェア』?」
 読み上げた時点で、思わず「はぁ!?」と奇声を発してしまう。
「ぷ、プレゼントとおっしゃいましたか?」
「ええ、そう申し上げましたが」
 面白がって丁寧な口調で返答する優輝を、私は思い切り睨んだ。
「頼んでいないし!」
「そろそろ俺のパジャマ返せよ」
「だったら言ってよ。自分のパジャマくらい自分で買うし!」
 図々しいのは私のほうだとわかっていても、とりあえず文句を言わずにはいられない悲しい性。自己嫌悪で箱の上にうなだれる。
「開けてみれば?」
 優輝は私の姿を見てクスッと笑った。
 とっさに何か企んでいるのではないか、と勘ぐる。品名はルームウェア、イコール部屋着だけど、つまりはパジャマなわけで、通販で買うというと、ほら、エロい……もといセクシーなヤツとか……ね。
 いやいやいや、無理だから。そんなの着て眠れないし風邪ひくから。その前に恥ずかしくて着られないから。というか自分で言うのも寂しいけどセクシーとか似合わないから。
 しかし、私の予想は見事に外れる。
 箱を開けると、中にはパステル調のかわいらしい袋が詰まっていた。
 なぜか急激にテンションが上がっていく。
 私も一応かわいいもの好きの乙女だったみたい、と妙な感慨にふけりつつ、袋を取り出した。箱自体大きかったし、袋もビッグサイズ。持ち上げた感じ、ずっしりと衣類がたくさん入っている予感がする。
 まさかセクシーランジェリー福袋とかじゃないでしょうね!? ――にしてはラッピングが妙にセンスがよくおしゃれな感じなのよね。
 袋を開け、おそるおそる覗き込む。
 こ、これは――!!
「ふわふわ、もこもこーーー! なにこれ、かわいい!!」
 まず手に取ったのは手触りのよいふわもこパーカーだ。それと同じ柄のショートパンツとレッグウォーマー、おまけに同じ素材のヘアバンドまで揃っている。
 それからカップ付きのキャミソールとレギンス、袖がフリルになっているプルオーバーが袋から出てきた。
 ええもう、これだけあれば、組み合わせ次第でいろんなバリエーションが楽しめますよ――って私はどこぞのショップの店員か!
「どう? 気に入った?」
 優輝がニヤニヤしながら私の様子を見物していた。
 えっと、あの、私、今、どんな顔しているのかわからないけど……。
「う、嬉しい、です」
 うわー、言ったら顔が熱くなってきた。私は物で釣られたりしないが、プレゼントはやっぱり嬉しい。しかもこんなかわいいルームウェア、きっと自分では買わないと思うから。
「こんなにたくさん、ありがとうございます」
 改めて優輝に向き直って軽く頭を下げた。
「プレゼントって下心のかたまりだな」
「は!?」
 優輝は笑顔のまま目を細めた。
「何を考えた?」
「いや、だって下心なんて言うから」
「未莉が想像したような下心がないとは言わないけど」
「ほら!」
 鬼の首を取ったように声を上げた私の耳に優輝の大きなため息が聞こえてくる。
「喜ぶ顔が見たい」
「……はい?」
「ただその一瞬のためだけのプレゼント。贅沢だろ?」
 それってつまり、贈り主にとっては相手の喜ぶ顔がご褒美ってこと?
「あの、私……喜んでましたかね?」
「さぁな」
「えっと、そういう顔に見えないかもしれないけど、すごく喜んでいます」
「わかっている」
「本当にありがとうございます。嬉しいです」
 正座した膝に頭がくっつくほど下げて戻ると、優輝は困ったように眉を寄せていた。
「未莉、全然気がついていないんだな」
「何?」
「いや、いい」
「え、言ってよ。気になる」
 でも優輝はフッと笑っただけで、すぐに「そういえば」と話題を変えた。
「会社、辞めるんだろ?」
 私は「うん」とわざとらしいくらい縦に首をふった。ここで変に未練がましいことを言わないのが賢明だととっさに判断したのだ。だってせっかくのよい雰囲気を会社の話でぶち壊すのはバカバカしいじゃない?
 優輝は満足そうに頷く。
 そして「明日きちんと話をつけてこいよ」と、いつもより少し低めの声で念を押してきた。

 ここまでくれば迷うこともない。
 翌朝、課長に「突然ですが、辞めなければならなくなりました」と伝えた。すぐに部長に呼び出され事情を説明することになった。
 会議室での面談は10分ほどであっさり終了し、本日の重要任務を終えた私は給湯室でホッとひと息つく。
 コーヒーを淹れ、立ったままその場でひと口啜った。
 物足りない。それが今の正直な気分だった。
 いや、私は契約社員だし、いきなり明日からいなくなっても困らないだろうけど、その現実を突きつけられるとやはり落ち込む。
 それに――と、私は昨晩のことを思い出していた。
 プレゼントされたルームウェアは水通ししてから着用すると決めた。それがいけなかったのだろうか。
 昨晩の優輝はあんなに機嫌がよかったのに――なのに、私に指一本も触れなかったのだ。
 いや、彼はけが人だから、それが当然のことなのだろうけど、私も一応は女子の端くれである以上、何もないと少なからず落胆を覚えてしまうのだ。
 なんという面倒くさい生き物!
 彼が私のために自らテレビ局やスポンサーへ口利きしてくれただけでなく、あんな素敵なプレゼントを準備していてくれたのだ。それで満足できないというのか、私は。どれだけ欲深い女なのか。
 ――はぁ……。
 だがしかし。
 今日でこの職場を辞める人間が給湯室で呆けているのはまずいだろう、と我に返った私は自分のデスクへと戻った。
 午前は通常業務をこなし、午後はこっそり退職準備を進めた。昼礼で私の退職が発表されたので、こそこそする必要はなかったのだけど、この場を去る準備を堂々とするわけにもいかない。
 退勤時間になったのを確認すると、私は個人的にお世話になった方々へ挨拶して回った。
 最後に自分のデスクに戻り、忘れ物がないことを確認する。
「お世話になりました」
 部署のメンバーに向かって一礼し、帰ろうとしたそのとき、突然腕をつかまれた。思わず肩がビクッと震える。
「そんなに警戒しないでください」
 振り返ると友広くんが私を見下ろしていた。
「あの、手を……」
「みんなから、です」
 友広くんは私の腕を開かせ、そこへ花束を押しつけた。
「え、えっ……あ、ありがとうございます!」
 途端に拍手がわきあがる。それは隣の部署へも伝播し「たまには顔見せにおいで」などの温かい言葉まで聞こえてきた。
「これでお別れですね」
 小声で友広くんがそう言った。
 そうか。もう二度と彼に会うことはないかもしれない。
「お世話になりました」
 私が軽く頭を下げると、彼は愛想よく微笑んだ。
「お体に気をつけて、お元気で」
「友広くんもお元気で」
 作り物みたいな笑顔の友広くんに思い切って背を向け、部署を後にする。
 そういえばあの事故の日の友広くんのアリバイを調べていない、ということに気がついたが、今さら引き返すことはできない。
 ――ま、いいか。
 いい探偵にはなれそうもないが、私が目指すのは女優なのだ。
 それに友広くんが実行犯だとしても、動機が見当たらない。やっぱり事件には無関係なんじゃないか。
 花束を抱えて会社を出たら見覚えのある黒い車が目に入った。足が勝手に走り出す。窓から車内を覗き込むと案の定、不機嫌な顔をした優輝が後部座席を倒し、だらしなく寝そべっていた。

 こんなふうに突然契約社員を辞めたのは、とにかく時間がないからだ。
 今夜は高木さんの車で優輝と一緒にテレビ局へ出向き、局のディレクターからスペシャルドラマのコンセプトについて説明を受けることになっていた。早ければ早いほうがいい、と先方たっての希望だった。
 会議室のドアを開けると、ディレクターと思しき男性が立ち上がって「どうぞどうぞ」と私たちを招き入れた。まず優輝が座るのを見届け、高木さんと私も腰を落ち着ける。
 テーブルにはディレクターの他にもうひとり先客がいた。
「こちらはサイティさん。今回のスペシャルドラマの脚本を書いてくれます」
 私たちは口々に「よろしくお願いします」とつぶやいて頭を下げた。
 それにしても、と顔を上げた私は向かい側のサイティさんをまじまじと観察する。ウィッグと思われる金髪にサングラス、発色のよいオレンジ色のチークに同色のルージュ、手の込んだ刺繍が目を引くインド風のファッション――どのアイテムも個性を強調しすぎているせいか目がちかちかしてきた。
「ペンネームですか? 変わったお名前ですね」
 優輝のぶしつけな質問にもサイティさんは表情を変えず、形のよい唇を開くと女性にしては低い声で言った。
「ええ、『最低』という意味です」
 いや、意味というか、発音がそのままサイティですからね。
 私の内心のツッコミが聞こえたのか、サイティさんは私のほうを向いた。
「柴田未莉さんですね。はじめまして。驚きました。これほど私のイメージにぴったりな方はなかなかいない」
 漆黒のサングラスのせいで彼女の目は見えない。オレンジ色の頬が動いて、オレンジ色の唇が吊り上がる。
 ――なぜ?
 彼女がまず私に興味を示したことに、私は激しい違和感を覚えた。
 だって普通はまず、今をときめく守岡優輝に話しかけるものではないか?
 ――この人、何者!?
 脚本家らしいけど、優輝も知らなかったということは新人かもしれない。見た目、若そうだし。それで役者としては素人の私に共感して興味を持ったのか。
「ありがとうございます」
 とりあえず無難に礼を言う。
「守岡さんが強くプッシュするのも納得です。お付き合いは長いのですか?」
 ――つ、付き合いって……いきなり何を訊いてくるんだ!
 ギョッとした私の隣で、優輝はテーブルに身を乗り出した。
「そう見えますか?」
「ええ、守岡さんの隣に座っているのに、彼女、全然緊張していない」
「決してそんなことはありません!」
 私は若干声を震わせながら反論した。そりゃ私ひとりでここに来るのと、優輝と高木さんが一緒にいるのとでは天と地ほどの違いがあるとしても、だからといって全然緊張していないわけではないのだ。
 隣で優輝がクスッと笑う。
「柴田さんとは少し前にオーディションではじめて会ったけど、あのときもなかなか堂々としていましたよ」
「そういうところが気に入ったのですね」
「面白い人だな、と思って。ぜひ一緒に仕事してみたいと思ったところに今回のお話をいただいたんです」
 話している間、優輝はサイティさんにひたと視線を定め、私を顧みることもしない。
 対するサイティさんは背筋をピンと伸ばした姿勢で私たちのほうを見ている。しかし実際の目線がどこにあるのかわからないから不気味だ。
「こうしていると、とてもおとなしそうだけどね」
 ディレクターが私に微笑みかけてきた。表情を迷いつつ小さくなる。こういうとき、うまく返事ができるようにならないと、な。
「ドラマの話をしませんか」
 じれたように髪の毛をいじりながら優輝が強引に話題を変えた。

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#25 ただ君の喜ぶ顔が見たいから * 1st:2015/12/14
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