「未莉、すごいね。相手は守岡優輝だもの、普通は緊張しちゃって何も言えなくなるよ。それにさ、守岡くんが芝居の途中で素に戻ってふき出すなんて考えられない!」
「それって、私の顔が凄まじく醜かったという意味かな?」
「いやいや」
私の目の前で大げさに手を振ってみせるのは、大きな目と口がチャームポイントの島村柚鈴(しまむらゆず)だ。グリーンティ所属のモデルでは実力・人気ともにナンバーワンで、最近は女優業へと進出し、守岡優輝との共演歴もある。
「あの人はそんなことで芝居を中断したりしないよ」
そんなことイコール私の顔が醜い、なんだろうな。
美少女イコール島村柚鈴、な彼女は悪びれた様子もなくニコニコしている。くぅ、その笑顔がまぶしくて怒る気も失せてしまう。
「守岡くんもふき出すほどの不気味な未莉の笑顔、見てみたかったわ」
「お姉ちゃんまでひどい!」
アハハと豪快に笑う姉は珍しく地味な服装でデスクワークをしていた。一応この事務所の社長なので、ここが彼女の居城だったりもする。事務員はいるけど、私と入れ違いに午後5時で帰ってしまった。だから今事務所には柚鈴と姉の紗莉、そして私の3人しかいない。
柚鈴が応接ソファに埋もれるように腰かけた。私もつられて柚鈴の向かい側に座る。
「よくがんばったよ」
つぶやくようなそのひとことに、深い慰めの気持ちがこもっているのが感じられ、私は顔を伏せた。急にいろいろな想いがこみ上げてきて泣きそうだったから。
「そうね。大きな1歩だと思うわ。オーディションに招待してくれた人に感謝しなきゃね」
姉も柚鈴に同意した。私はますます顔を上げられなくなってしまう。笑えない私の事情を知っているとはいえ、ふたりは私を甘やかしすぎだ。
「それで、招待状の差出人はわかったの?」
「いいや。この人かな、と思う人はいたけど、結局何もわからなかった」
「そっか。残念だね。せめて差出人だけでもわかれば『何か仕事ちょうだい』って言えたのに」
明るい軽口に救われる思いで柚鈴を見た。
「ま、どうせオーディションはダメだったし、差出人もどうでもいいよ」
「あら、まだ通知は来ていないからわからないわよ」
姉が返事をする。柚鈴もパッと身を起こして同調した。
「そうだよ。守岡くんがふき出すまでは順調だったんでしょ?」
「うん、すごくやりやすかった」
昨日のことが脳裏によみがえってくる。
捨て台詞を吐いて会場を飛び出した後、オーディションのことを思い出さないようにしていたけど、考えてみればヤツに「変な顔」と言われるまでは自然にセリフが出てきて、わりといい流れだったかも。
更にさかのぼっていくと、自己紹介でぼーっとしてしまった私に助け舟を出してくれたりして、「変な顔」の衝撃が強烈ですっかり忘れていたけど、実はあの人、そんなに悪いヤツではない……?
「それなら番狂わせがあってもおかしくないよ。なにしろ未莉は招待された有力候補だもの」
「でも本命は姫野明日香でしょう」
「姫野明日香の演技は素人以下だよ。演劇部の高校生のほうがよっぽど演技力あるって」
身も蓋もない言い方に、私は一瞬うっと詰まった。しかしこれは決して柚鈴が毒舌というわけではなく、それが世間の皆さま共通の認識なのだ。
「でも明日香さんは啖呵切って会場を飛び出さなかったからね」
「それはさ……」
柚鈴の言葉をさえぎるように陽気な音楽が鳴り出した。姉が電話に手を伸ばす。
「はい、グリーンティ柴田です。お世話になります。昨日はどうもありがとうございました。……はい、おります」
姉は私を手招きした。受話器のマイク部分をてのひらで覆うと「西永さん」と短く告げる。
胸がドキッと鳴った。ま、まさか、オーディションの結果が……!?
姉のデスクの前で受話器を受け取った。
「お電話替わりました。柴田未莉です」
『おお、未莉ちゃん! 昨日は優輝が失礼なことを言ってすまなかったね』
電話の向こうの西永さんは、昔からの知り合いみたいに親しげな話し方であやまってきた。
「いいえ、こちらこそ後先考えずに飛び出してしまって申し訳ありません」
『いや、当然だよ。あれはひどい。女の子に向かって言うセリフじゃない』
そうだろうか。
あまりにも親身な西永さんに私はわけもなく警戒心を抱いていた。
『オーディションの後、優輝にはきつく言っておいたよ。そうしたら優輝も未莉ちゃんを傷つけてしまったことを深く反省していて、どうしても君に直接あやまりたい、と言ってね』
「え……?」
あれ、なんだか思ってもみない方向に話が展開しているような……。
『どうだろう。この後、時間もらえるなら、食事しながら話したいんだ。もちろん優輝も同席する』
「えっと『この後』って今夜、ですか?」
驚いて時計を見た瞬間、姉に受話器を奪われた。
「行きます」
『じゃあ5分後、事務所前へ迎えに行く』
姉が微笑みながら受話器を戻した。私はただ目をぱちぱちとさせることしかできない。
「社長命令です。いってらっしゃい」
「……はい」
茫然と答えて、通勤かばんを手にした。事務所から退出するそのとき、「グッドラック!」という柚鈴の力強い声が私の背中を後押しした。
まさか2日連続でこのイケメンを拝むことになるとは思わなかったが、今夜の守岡優輝は一段と無愛想だった。ひと目見て、彼がここにいるのは本意ではないとわかってしまう。それならなんのためにここにいるんだろう、この人。
「ひどいことを言ってごめんなさい」
私が席に着くと、彼は形式的に謝罪してきた。頭も下げて、セリフも心がこもっているけど、顔の表情だけは正直で、不機嫌なのが手に取るようにわかる。
「あの、私は全然気にしていませんので」
「いやいや、優輝はデリカシーがなさすぎるよ。深く反省しなさい」
私の真向かいに座っている西永さんが父親のように諭した。このふたりは仕事上の付き合いが長いらしい。西永さんが守岡優輝とのこれまでを語り始めると、イケメン俳優はたまに相槌を打つ以外は、静かに肉を焼いていた。
そう、私たちは焼肉店にいて、仲良くひとつの網を囲んでいるのだ。
ムード? そんなもの、あるわけない。
でもテーブルごとに個室になっているから、守岡優輝みたいな有名人には居心地のいい店かもしれない。
ハイペースで3杯目のビールを飲み干した西永さんが席を立った。ちなみに私はまだ1杯目をちびちび飲んでいる。
「なんでこんなところに来てんだよ」
「え?」
小声だったから一瞬何を言われたのかわからなかった。確かめるように守岡優輝を見ると、彼は箸をおいてビールのジョッキを手にした。
「私はそちらがどうしてもあやまりたいと言うから来ただけです」
何か文句があるのか、と続けたいところなんだけど、ドンと乱暴な音がしたので驚いて口をつぐむ。守岡優輝が空になったジョッキをテーブルに戻した音だった。
「ふーん」
いや、「ふーん」って、それだけ? ……ていうか、なんでこの人、機嫌悪いの?
「来ないほうがよかった、と言いたいんですか?」
「酒、強いの?」
「それほどでも……」
「じゃ、次の1杯でやめとけ」
「は?」
おごってもらう機会などめったにない私にたったの2杯でやめておけとは稼いでるくせにケチな男だ、と威勢よく言い返してやりたかったが、戸の開く音に邪魔される。
「あれー? 未莉ちゃん、飲んでる? 次の飲み物注文した?」
西永さんが私の隣に腰をおろし、馴れ馴れしくすり寄ってきた。目を見開いて向かい側を見ると、だから言っただろうとばかりに冷たい表情のイケメンが小さく嘆息を漏らす。
「あ、すいません。お手洗いに行ってきます!」
こういうとき愛想笑いでも浮かべられたらいいのだけど、それもできない私はそそくさと席を立った。
もう謝罪はしてもらったし、オーディションの合否を教えてくれるわけでもなさそうだし、このまま帰ってもいいのかな、とトイレを出た私はすっかり逃げ腰になっていた。
西永さんのことは嫌いではない。むしろとてもすてきな年上の男性だと思う。だけどアルコールの力を利用して接近されるのは、はっきり言ってうれしくなかった。
でも何も言わずに帰るのはよくないか、と思い直して個室へ戻る。引き戸に手をかけたところで、私は硬直した。
「やっぱり笑顔がないと使えないわ。せめてグラビア系で売り出せたらなぁ。でも彼女、そっちの路線も無理だな」
――彼女って、私のこと……?
「西永さんにとってタレントは商品かもしれませんが、気分が悪くなるので、僕の前ではそういう言い方やめてください」
「でも実際商品だろ。優輝だって自分のことをそうやって言うくせに」
「事実かどうかではなく、僕は西永さんの口からそういうことを聞きたくないだけです」
「まーたはじまったよ、優輝の説教が」
――笑顔がないと使えない……?
心がショックで麻痺したみたいになって、何も考えられなかった。戸を開ける勇気がない。茫然としている私の背後に突然人の気配がし、誰かが私の代わりに戸をノックした。
「失礼します。そろそろ優輝を返してもらいますよ」
肩越しに振り返ると、後ろにいた男性が不敵な笑みを浮かべて私に目配せした。
「高木くん、迎えに来るのが早すぎるよ。未莉ちゃんだって今戻ったばかりだし、楽しい時間はこれからだよ。そうだ! 今日は高木くんも一緒に飲もうよ」
「いいえ、私は運転手で、優輝は明朝に仕事が入っていますので、これで失礼します」
フットワークの軽い西永さんが戸口まで来て高木さんの肩に手を回すが、その横をちっとも酔っていない守岡優輝が平然とすり抜け、私の腕をつかむ。
えっと……これはどういう展開!?
「西永さん、未莉は僕たちが責任をもって送り届けますので。ごちそうさまでした」
腕をぐいと引っ張られ、私は「あ、ちょっ……」と言葉にならない何かを発しながら店の出口へ連行された。気になって振り返ると、私たちをガードするように高木さんがすぐ後ろにいた。
わけのわからないまま焼肉店を出て、店の前に堂々と駐車してあった車に乗せられる。車のドアが閉まったとき、やっと腕が解放された。
「どういうこと?」
隣に座る守岡優輝を軽く睨む。彼は窓に肘をついてじろりとこちらを見た。しかし意外なことに、返事は運転席から聞こえてきた。
「送っていきますよ。申し遅れましたが、優輝のマネージャーの高木です。紗莉さんが事務所でお待ちです」
「えっ、姉が? 姉と知り合いなんですか?」
「紗莉さんには恩があるんでね」
今度はつまらなさそうにしている隣の男が答えた。
「恩?」
「未莉」
「はい?」
あの、質問にきちんと答えてもらっていないんですが。……っていうか、なんでいきなり呼び捨て!?
「僕のことは優輝って呼びなよ」
「はぁ!? なんで?」
「僕は『未莉』って呼ぶから」
なんだろう、この人。言っていることがまったく意味不明なんですが。
唖然としながら隣を見ると、彼は今日はじめて愉快そうな顔をした。通り過ぎる車のヘッドライトがつかの間、彼の魅惑的な表情を照らし出す。こうして多くの女性が彼の魔力の虜になってしまうのだろう、と思いながら私はためらいがちに口を開いた。
「わかりました」
「素直だな」
急に伸びてきた手が私の頬をそっと撫でた。驚きのあまり息が止まる。その優しいしぐさが何を意味するのか考えたくても、彼の指が触れている頬に全神経が集中してしまってうまくいかない。
「優輝、俺がいるのを忘れてねぇか?」
運転席から高木さんの呆れたような声が聞こえてくる。優輝は手をひっこめると小さくため息をついた。
「忘れるわけないよ」
「ま、未莉ちゃんがかわいいのは俺も認める」
体のあちこちがむずがゆくなって、私は慌てて口を挟んだ。
「あの、私はかわいくないですし、それに、笑顔が作れませんし……」
言葉じりが惨めなほどすぼんでいった。膝の上に置いた通勤かばんを一心に見つめる。
西永さんの言葉は、すなわち私のオーディション不合格を意味していた。
『なんでこんなところに来てんだよ』
優輝の言ったことは正しかったのだ。もしかしたら、なんて一瞬でも思った自分が恥ずかしい。
西永さんの言うとおり、視聴者が見たいのは明日香さんの愛くるしい笑顔であって、そんなウリすらない私自身にはなんの価値もない――それがこの世界の現実だ。
「でも昨日は僕に勝ったじゃない?」
隣から意外な言葉が聞こえてきた。それにしてもこの人、私とふたりきりのときと微妙に口調が違うような気がするんだけど、気のせい?
「勝った……って、あれはにらめっこじゃないですよ!」
ハハハと優輝の陽気な笑い声が車内に響く。運転席の高木さんまでクックッと肩を震わせて笑っている。笑わせるつもりで言ったんじゃないのに。
ひとしきり笑うと優輝が私のほうを向いた。
「本当に昨日はごめん」
「だから、私は気にしていませんので」
「気にしているくせに」
「これっぽっちも気にしていません!」
なぜだかわからないけどムキになって言い返すと、優輝は仕方ないなというように目を細めて、また私のほうに手を伸ばした。今度は頭のてっぺんの髪をくしゃっとつかむ。
「もっと気にしてよ。僕は未莉が1番よかったと思っているんだから、さ」
心臓がドキッと音を立てた。膝がくっつきそうな距離に守岡優輝が座っているこの状況だけでもありえないことなのに、い、今のセリフは、ゆ、ゆ、夢じゃないよね?
「う、うそ、でしょ?」
「今夜僕がなんのために来たと思う?」
「そ、それは……」
彼の指がゆっくりと頭を撫でる。思わず目を閉じてその指の動きを堪能したい衝動に駆られたが、さすがにそれでは私が危険人物になってしまうと思い、ぎりぎりのところで踏みとどまった。
それにしても心臓は壊れそうなくらい暴れているのに、脳内がうっとりしてしまうのはなぜだろう。もう自分でも自分がどうなっているのか、わけがわからない。
不意に優輝の顔が近づいてきた。
な、な、何を……!?
そう思った瞬間、車が止まる。
「じゃあね」
頬にふれそうな近さで優輝が囁く。最後に頭をくしゃくしゃと撫でられ、その手が私に向かってバイバイした。
ぎこちない動作で車を降りた私は、戸惑いながら手を小さくふり返してみる。するとドアが閉まる直前、優輝の口角が上がるのが見えた。ピッと短くクラクションの音がしたかと思うと、車は急発進した。
気がつけば、私は手をあげたままで、歩道にぽつんとひとり取り残されている。別れ際に見た優輝の蠱惑的な表情が網膜に焼きついてしばらく消えそうになかった。
#02 今夜君がここへ来たわけを教えて * 1st:2013/12/06