>> One Night Lovers > 01 / 02 / 03 / 04 > text index

 結局私とケイゴが眠りについたのは空が白みかけた頃だった。彼の長い手足に包まれている感覚はそう悪くなくて、いつまでもこうしていられたらいいのに、と思った。出会ったばかりの人なのに、こんなに安心して全てを委ねられるのは、身を重ねた相手だからなのだろう。身体の隅から隅までを愛撫され、幾度となく高みまで追い詰められて降参する。恋人と交わすときよりも濃密な行為のように感じたのは、彼との関係がこの夜だけのことだと思うからなのかもしれない。
 目が覚めるとカーテンがほんの少し開かれ、その隙間から眩しいほどの朝日が部屋に差し込んでいた。
 ケイゴは窓際で椅子に座ってケータイを見ている。私が目覚めたことに気がつくと「おはよう」と声を掛けてきた。照れくさく思いながら返事をする。
「目は悪くないの?」
 今も眼鏡をかけていない。ケイゴは一瞬困ったような顔をして、それから笑った。
「実は悪くない。でも眼鏡とかサングラスをしてると落ち着く」
「邪魔じゃないの?」
「普段は気にならない」
 そういうものかな、と思いながら起き上がって服を着た。身支度が整ったところでケイゴが立ち上がる。
「行くの?」
「うん。まだ時間あるから、温泉入ってから朝食に行けそうだな、と思って」
「ああ、そうだね。じゃあ、ルリの連絡先教えて」
 すごく自然な流れでそのセリフが出てきた。バッグを手に持ったまま、どうしようかと悩む。
「でも、彼女いるんでしょ?」
 胸がズキズキと痛むのをひた隠し、精一杯笑顔を作って言った。ケイゴの表情が少し険しくなり、私の頬も悪い予感で強張った。
「まぁ、彼女……みたいなものかな」
 曖昧な表現は私に対する気配りなのだろうか。だったらちょっとだけ嬉しいけど、結局彼が私を欲しいと思ったのは旅の開放感のせいで、別に私でなくてもよかったのだ。それは私だって同じはずなのに、今日か明日かには愛する彼女の元に戻るケイゴと、日常に帰れば独りに戻ってしまう私とでは何かが決定的に違う。
「それなら私の連絡先とか必要ないって」
 ため息混じりに言った。
 邪で背徳の香りがする魅力的な誘惑だけど、同じシチュエーションで彼氏に捨てられたばかりの私には、彼女がいると聞いた後で「いいよ」とは言えなかった。そういうゴタゴタした男女関係はもうたくさんだ。ずっと私だけを特別に愛してくれる人と純粋な恋をして、できるなら熱が冷めないうちに結婚してしまいたい。
 だけどケイゴとはそういう道が想像できないのだから、どうしようもないと思った。
「ダメ……かな?」
「ダメでしょ」
「ルリがそう言うなら仕方ないね」
 寂しそうな笑顔を見せて、ケイゴはケータイをしまった。時間もないので私は彼に背を向けて出口を目指す。せっかくだからもう一度温泉に入っておきたい。
 ドアノブに手を掛けたとき、後ろから腕を掴まれた。有無を言わせぬ力強さでケイゴが私を振り向かせたのだ。訳がわからないうちに私の唇にケイゴの唇が押し付けられていた。
 たぶん嫌なら避けることができたと思う。でもそうしなかったのは彼のキスが嫌いじゃなかったからだ。
 ケイゴのキスを黙って受け止めて、それから私は彼の部屋を出た。こんなふうに記憶に残るキスをするなんてずるいと思ったけど、それよりもなぜだかとても嬉しくて満たされた気持ちになっていた。スキップでもしたい気分だ。
 最初から割り切っていると最後もこんなふうにすっきりと終われるのかもしれない。ネネが一夜の恋に夢中になるのも少しわかる。
 だけどやっぱり私は誰とでも、というのは無理だ。ネネのように簡単には男性に好意を持てない。やはり一瞬であっても自分から好きになれる男は限られていると思った。
 温泉の後でネネと合流し、お互い申し合わせたように昨夜の話は一切しないまま、朝食を取りホテルを後にした。
 ただ帰りの新幹線の中でネネが一言だけ私に訊ねてきた。

「ねぇ、この旅行中なんかいいことあった?」

 ためらわずに私は大きく頷いた。
「うん」
「そっかぁ! よかった。やっぱりあのオバさんの占い、当たったね」
 それには頷くことができないでいた。考えてみれば占い師の予言は当たったのかもしれない。でも私が信じたかったのはこんな結末じゃない。こんな恋に似た贋物なんか予言されても迷惑なだけだ。
 占いなんて聞かなきゃよかった。
 旅の終わりにしみじみとそう思った。


 日常に舞い戻った私は、静かで穏やかな毎日を繰り返していた。相変わらずネネは私を夜の遊びに連れ出してくれたけど、酔っ払うほど飲むこともせず、適当に切り上げて遅くとも終電で帰る。別にいい子ぶっているわけじゃない。毎回いい男はいないかと期待して出かけていくのだけど、そういう相手には全く巡り合わないだけだ。
 ふとしたときにケイゴを初めて見た瞬間のことを思い出す。あれはない、と思ったのは自分自身に大嘘をついていたのだな、と今は思う。たぶん最初から彼のことが気になって仕方なかったのだ。素直じゃない自分に苦笑いしたくなる。
 どうしたらまた「この人だ」と思う人に出会えるのだろう。
 そんなことを考えながら毎日を過ごす。虚しい日々だけど、元彼に振られた直後のよう自堕落に過ごしているわけではない。時間がたくさんあるのでショッピングにも十分時間を費やせたし、伸び放題だった髪の毛もカットとカラーリングを施してリセットし、メイクも今までとは変えてみた。いつもどこかで誰かに見られているような意識が私の中に芽生えたのだ。
「ルリ、好きな人でもできた?」
 ネネが隣の席からこっそり訊ねてきた。
「全然」
「急に綺麗になった気がして、もしかしたらと思ったんだけど、違うのかぁ」
 ものすごく残念そうに口を尖らせたネネを見て苦笑する。
「いい男に出会いたいとは思う」
「ホントだよね。でもルリがそんな前向きになれたのは……あの旅行の後?」
「まぁそうかな」
 ふむふむ、と隣から納得するような相槌が聞こえた。
「やっぱりルリってものすごく面食いなんだ」
「え?」
 慌ててネネの顔を見ると彼女は全てお見通しというような表情で笑う。
「しかも次は元彼よりも更にレベルが高くないと、とか思ってない?」
「ど、どうかな?」
 そう言われるとドキッとする。もしかして図星だったのか、と自分自身の気持ちに焦りを感じた。何しろ、私の本心とやらは幾重にも嘘を纏って、常に上辺の意識を騙しているらしいのだ。心の奥ではそんなことを思っていたんだ、と今更ながら自覚する。
「それとも、忘れられなくなっちゃった?」
 ネネの目が細くなり得意げな表情になった。
 途端に私の心臓がドクンと跳ねる。

「……何を?」
「ケイゴくん」
「誰、ケイゴって……?」

 背中に汗が噴き出た。頬が引き攣る。
「嫌だなぁ、とぼけちゃって。今、めちゃくちゃ動揺してるくせに」
 フフンと鼻を天井に向けるとネネは眉を「どうだ」と言わんばかりに上げて見せた。
「まさか! あんな金髪男、今まで綺麗さっぱり忘れてました」
 言いながら、完全に負けたと思う。ネネは全く表情を変えずに小刻みに頷いた。
「そう言いつつ、こっそり連絡取ったりしてるんでしょ」
「いや……それはない」
 これは本当のことだった。声が自然にトーンダウンする。
「えー、ちょっと意外。二人ともすごく意識してるっぽかったから、こりゃ絶対付き合うなって思ってたのに」
 ネネは腕組みして考えるようなポーズになった。
「それはないよ。連絡先教えなかったし」
「はぁ!? どうして? 聞かれたでしょ?」
 仕事中ということなどすっかり忘れた様子でネネは大声を上げる。
「うん、まぁ。でも彼女いるって言ってたし」
「ウソ!? トシくんはケイゴくんも彼女いないって言ってたよ」
 小声に戻ったものの興奮気味のネネとは逆に、私は冷静さを取り戻していた。
「でも本人が『彼女みたいな』人がいるって言ってんだから、いるんでしょ」
 他人事のように言い捨てる。実際他人事だ。ケイゴに彼女がいることと、私とは何の関係もない。
 それでもネネは納得しなかった。
「おっかしいなぁ……」
「何が?」
「なんか変。なんか引っかかる。それにルリもルリだよ。彼女いてもメアドくらい教えたらよかったのに」
 ネネなら絶対教えただろう。私だって一瞬迷った。だけどこれ以上ケイゴと何が期待できるというのだろう。彼女からケイゴを奪ってまで彼と幸せになりたいとは思えない。たぶん私はケイゴをそこまで好きではないのだ。
「ケイゴだってあっさり引き下がったし、別に私なんかどうでもよかったんだと思うよ」
 そう言いながら、だけどあのキスは何の意味があったんだろう、と自問していた。あれは連絡先を教えないと言った直後の出来事だった。私のことはどうでもよくてもキスをしたのだろうか。こんなことを考える私は、最後のキスに意味があると信じたいらしい。もしあったとしても、結局どうにもならないのだと知ってはいるのだけど……。


 私の生活に劇的な変化が訪れたのは旅行から戻って二ヶ月近くが過ぎた頃だった。街はすっかり秋の装いになり、濃い緑に覆われていた避暑地は紅葉が見頃らしい。テレビニュースでたまたま見かけて、夏の一夜の恋を思い出し懐かしい気分になる。
 同時に今夜から元彼のカジケンが主演のドラマが始まるということもテレビで知った。番宣のために朝の番組にも生出演していて、久しぶりに元彼が喋る姿を見て懐かしくなった。もう好きとか嫌いとかそういうややこしい感情とは無縁の、ただ大学の同期を久しぶりに見たなという薄っぺらな感動だった。自分でも意外なくらい未練はない。
 テレビで観るカジケンは付き合っていた頃より痩せて鋭くなったような気がした。そしてテレビ映りが格段によくなった。彼は彼なりに努力しているのだろうと思い、彼の成功を心から嬉しく感じる。
 だけど、主演のドラマを観るべきか否かという点で、私の心の中は激しく荒れた。何しろドラマのストーリーは略奪愛をテーマにした純愛だと番宣で派手に紹介されている。略奪愛で純愛とは矛盾もいいところじゃないか、と朝食のサラダを頬張りながら画面につっ込んだ。
 結局ドラマの録画予約はせずに出勤した。
 朝一番にメールチェックをして、見知らぬ人からのメールを発見する。アドレスを確認すると社内の人間であることは間違いないが、件名がない。不思議に思いながら開いてみると、仕事には全く関係のない用件だった。
「あなたのことが気になっています。よかったら来週一緒に食事でもしませんか」
 簡潔な文章で嫌な感じはしなかったが、送信者が誰だかわからない。隣の席のネネに見つからないようにこそこそと社員検索をし、ようやく相手を突き止めた。フロアも別で仕事上もほとんど接点のない部署の男だった。いつどこで見られていたのかと訝しく思いながら、席を立つついでに実物を確認しに行く。
「あの男か。秋の異動でアメリカ研修から帰ってきた人だね。ここのフロアの女子が騒いでた」
 背後に人がいるとは思ってもみなかったので、さすがに驚いて肩がビクッと震えた。振り向くとネネが腕を組んで相手を物色している。
「な、なんで!?」
「昨日、何とかシンジという男からメールが来たの。『あなたの隣の席の女性には恋人がいますか?』って」
 どういう男だ、と呆れてしまい急に気持ちが萎えた。ネネもネネだ。それならそうと昨日教えてくれればいいのに、と思う。
「それでなんて返事したの?」
「『特定の恋人は三ヶ月近くいない模様』と正直に書いたよ」
 感謝すべきか怒るべきか迷い、最終的に深くため息をつくことしかできなかった。ネネはニヤニヤと笑って私に耳打ちする。
「結構いい男だし、試しに付き合ってみたら? もしかしたら占いのオバさんが言ってたのはあの男のことかもしれないし」
「占いは、もうどうでもいいよ」
 ネネを振り切って先に自分の部署へと戻った。
 シンジは真面目な好青年といった感じで他には際立った特徴はない。顔は悪くないが、どこにでもいる若いサラリーマンだと思う。ネネが言うようにいい男の部類に入ることは認めるが、好きになれるかどうかと考えるといまいちピンと来なかった。
 シンジを見てトシユキのことを思い出す。
 もしあの晩ネネがケイゴを落としていたら、私はトシユキとどうにかなっていたのだろうか。何だか想像するだけでも変な気分だ。

「トシには悪いけど、俺はルリが欲しい」

 ケイゴの掠れた声が耳の奥で鮮明によみがえる。胸の奥が鈍く痛んだ。たぶん私はずっと後悔しているのだと思う。あの晩、軽はずみでケイゴの部屋に行ったのだから、メアドくらい気軽に教えればよかったのだ。そうすれば今頃になってたった一夜の思い出に縋るような惨めな自分はいなかったかもれしない。
 とりあえずシンジに返事をしなくてはならない。パソコンの前でぼんやりしていると、遅れて戻ってきたネネが「ねぇ」と声を掛けてきた。
「ルリさ、やっぱりまだ気になってるんでしょ?」
「何が?」
「ケイゴくん」
 私はネネの顔を正面から見た。ネネは困ったように眉根を寄せる。
「私、トシくんに連絡取ってみようか?」
「そんなことしなくていいよ」
 ネネの口からトシユキの話題が出ないところをみると、旅行後にトシユキとは連絡を取っていないのだろう。それに今、ネネにはお気に入りの年上男性がいて、暇さえあればその男性の部屋に押しかけているのだ。そんな彼女の手を煩わせ、更にトシユキを介してまでケイゴと連絡を取りたいとは思わない。
「でもケイゴくんだってルリに会いたいと思っているかもしれないよ」
「私はケイゴに会いたいなんて一言も言ってないし、思ってもいない」
 ネネの言い方に無性に腹が立ち、彼女を無視してすぐさまシンジにメールの返事を書いた。食事くらいならいくらでも付き合ってやる、とやけくそな気持ちだったが、心のどこかではこれが踏ん切りをつけるいい機会なのだと諦観していた。


 シンジから浮き足立ったメールが届き、一週間後の夜に食事をすることになった。
 始まるときは簡単に始まるのだな、とシンジとの約束に関しては冷めた気持ちでいるが、全然期待していないわけでもない。これが上手く行って結婚に結びつけば、ほぼ人生は安泰じゃないかと目算している自分もいる。何しろシンジはアメリカに二年ほど研修に行っていたのだ。それはウチの会社では重役コースへの最短路線でもある。
 約束の当日、私は珍しくワンピースを着て、ネックレスやらブレスレットやらで無意味に自分を飾り、待ち合わせ場所の隣にある百貨店のトイレでメイクを直し、シンジを待ち構えていた。これは本当にデートのようだ、とぼんやり突っ立ったまま思う。
 シンジは時間通りにやって来て、予約していたフレンチレストランへ向かった。小洒落ているが落ち着く店で、案外センスがいいのかな、などと思う。
 アメリカ研修中のことなどを面白おかしく話すシンジは、見た目と同様、中身も真面目で好青年のようだ。一緒にいても気詰まりな感じはないし、まぁこれはこれでアリかな、と食事が終わる頃には思っていた。
 店を出て、シンジは「明日も仕事なので今夜はこれでお開きにしましょう」などと優等生らしいセリフを言った。私も異存はないので頷く。シンジと並んで駅へと足を向けた。
 途中賑やかな自社テーマソングを大音量で流す大型電器店の前を通る。ショーウィンドウには液晶テレビが数台並べられ、テレビ番組が大画面に映し出されていた。
 そういえば今夜はカジケンのドラマの日だ、と画面にデカデカと映る元彼のドアップを見て気がついた。地デジとは恐ろしいもので、彼の毛穴すら見えそうだと眉をひそめる。 場面が切り替わったのでテレビから目を離すつもりだったが、その瞬間、自分の意志とは無関係に視線が画面に吸い込まれていた。

「ウソ……!」

 シンジが振り返り「どうかしたの?」と声を掛けてきた。
 でもその声は意識の上を素通りし、完全に立ち止まった私はただ画面を食い入るように見つめる。
 そこには見覚えのあるライオンの鬣に似た髪型の金髪男が、ふらふらと軸のない足取りでこちらに向かって歩いてくる姿が映っていた。
「これは……どういうこと?」
 私が知っている場面と決定的に違うのは、その金髪男がサングラスをかけていないということだろうか。勿論、背景も違うし、コーラの缶も持っていないのだが。
 シンジが私の隣まで来て、不思議そうにテレビの画面を覗き込んだ。
「どうしたの?」
 やっと我に返ったものの、それでも画面から目が離せないでいる。遠くからこちらへ近づいてきた男は、私の期待を裏切らず、私の知っている男に間違いない。
 どうしてケイゴがテレビに映っているのだろう。しかもこのドラマはカジケンが主演のドラマだったはずだ。これは一体どういうことなのか?
 頭の中は激しく混乱していた。それでもシンジに悟られないよう表面は何とか取り繕う。
「あ、えっと、なんかこの場面、デジャヴュっていうの? 前に見たことがある気がしたんだけど、気のせいだった」
「そうなんだ。じゃあ行こうか」
 歩き出そうとするシンジを見ようともせず、私は静かに言った。
「ごめん。私、このドラマ、見逃したくないから先に帰って」
「録画してないの?」
「うん。忘れてた」
 言いながら、やはりこのドラマを録画予約しておけばよかったな、と先週のことを激しく後悔する。シンジが歩き去るのを感じたが、それでも私の視線は画面に釘付けになっていた。
 ドラマの初回を観ていないのでよくわからなかったが、ケイゴは今回が初登場で、カジケンに会いに来たようだった。二人が同画面上に並んでいるのが不思議だけど、どちらも本当に綺麗な顔の男だと思った。メイクをしているのか、テレビの中ではカジケンのほうが上品な印象を受けるが、実物はケイゴのほうが柔和で育ちがよさそうな感じがする。あんな金髪でなければケイゴのほうが絶対にいい男なんだ、とドラマを観ている人全員に言って歩きたいくらいだ。カジケンは普段の言葉遣いや態度に粗野な部分があって、それを男らしいと言ってしまえばそれまでだけど、ケイゴにはそういうガサツなところが全くなくて、そこが彼と一緒にいてものすごく安心できる部分だった。それにケイゴにも秘められた男らしさがあると私は思う。
 そんなことを考えながら画面を見ていると、言い合いをしていたケイゴとカジケンの間の空気がどんどん険悪になった。はらはらしながら見守っていると、ケイゴの真剣な顔が大写しになり、一瞬ぼうっと見とれてしまう。

「…………!!」

 その次に私の目に飛び込んできたのはケイゴの拳と頬を押さえてよろめくカジケンの姿だった。ケイゴがカジケンを殴ったのだ。
 目を疑った。何が起きたのかわけがわからない。
 そしていきなり今夜の放映分が終了した。


 大型電器店前でドラマの次回予告までを見終え、茫然としながら家に帰った。あまりにも衝撃が大きすぎて自宅までどうやって帰ってきたのかも思い出せないくらいだった。
 部屋に入ってバッグを開けると、不在着信とメールの着信を知らせるケータイのイルミネーションが光った。着信にも気がつかないくらい、ボケッとしていたらしい。
 確かめてみるとどちらもネネが発信者だった。メールはドラマにケイゴが出ていたことを知らせる内容だ。ネネには今夜シンジと食事をすることを知らせてあったので、私がドラマを観ていないと思ったのだろう。そう考えると私があのドラマをあのタイミングで観ていたことは、偶然どころか奇跡的な出来事だったな、と改めて思う。
 とりあえずシャワーを浴びて着替えをしてからネネに電話を掛けた。
「もう、びっくりしたー!」
 繋がった瞬間、ネネはほとんど叫ぶように大声で言った。同じ気持ちだけど、幾分私のほうが冷静だ。
「私、観たよ」
「え? ドラマを? どこで?」
「電器屋さんの前で、たまたま通りかかったの」
「そんな偶然って……すごくない?」
「確かに。でも、なんでケイゴがドラマに出てるんだろう?」
 それだけがわからない。しかもカジケンをグーで殴っていた。あれは一体なんだったんだろう。
「ちょっと、ルリってば何言ってんのよ。ケイゴくん、俳優さんだったんだよ!」
「は? だってあの人、小さな鉄工所で働いてるって……」
「だから、ルリ、本当にドラマ観てたの?」
「え?」
 思わず首を傾げる。勿論ドラマはずっと観ていた。それでなぜかケイゴが映って……
「それはあのドラマの役柄だよ。ケイゴくんが私たちに言ったのはウソだったってこと!」
 ネネの言葉の意味が理解できない。

 ウソ? ……何が?

「ごめん、私、混乱しているのか、意味が全然わからない」
「ルリらしくないなぁ。どうしちゃったのよ」
 心配そうな声がケータイから響いてきて、きっと私はどこかおかしくなってしまったんだと急に悲しくなる。

「どうもこうも……何が本当で、何を信じたらいいのか、もうわからなくて……」

 どうしてこんなぐちゃぐちゃな気持ちになってしまうのかもわからない。ネネが返事をしてくれないのでますます不安になってくる。
 しばらくしてネネが暗い声で言った。
「実はさっきトシくんにメールしてみたんだ。なんかトシくんもここのところケイゴくんとは連絡取れないみたい。こんな話題のドラマに出てるんだもん、当然かもね」
「そうだね」
 酷く落胆している自分自身が憐れだ。なんだかんだ言ってもネネの情報網に期待していたのだ。一縷の望みも絶たれてしまった。
 だけどドラマに出演している間はテレビで彼に会うことができる。カジケンのドラマというのがいただけないが、この際ケイゴの姿を見ることができるならもう何でもいい。
 そう思うとなぜか急に気分が浮上し、元気が出てきた。考え方一つでこんなにも人は変われる。
 人生捨てたもんじゃないと言ったのは確かあの占いのオバさんだったな、と懐かしく思い出す。今になってほんの少しだけオバさんの言葉をありがたく感じた。

back page top next
2010/09/15

Designed by TENKIYA /// HOME / text / 【恋愛遊牧民R+】