>> One Night Lovers > 01 / 02 / 03 / 04 > text index

 ホテルにチェックインし、部屋に荷物を運び入れ、くつろぐ暇もないまま夕食と温泉入浴を済ませた。夜九時にトシユキとケイゴの男二人と待ち合わせしていたからだ。メイクをし直して、旅行バッグを開きながらネネは唐突に言った。
「私、今夜は帰らないから」
「帰らないって、どうするの?」
「トシくんの部屋に行く」
 真剣な顔でそう言い放ち、ネネはメイク道具や最低限の着替えを小さなバッグに詰め直す。これは本気だ。
「え、私はどうなるの?」
 つい母親に置いていかれる子どものような心境になった私は弱々しい声でネネに言った。忙しく荷物を詰め替える手を止めて彼女は私を見る。
「好きにすれば? この部屋使ってもいいし」
「つ、使う……?」
「トシくんたちもツインの部屋なのかな? だったらケイゴくんの寝るところがないじゃない」
 あっさりと言うネネの顔を私はまじまじと見つめた。
「私、別に彼とは……」
 なぜか言葉がしどろもどろになる。私を見返すネネの顔から笑みが消えた。
「ぶっちゃけ、私はケイゴくんもいいって思った。いや、トシくんよりむしろケイゴくんのほうが好き。顔も好きだしシャイなところもカッコよくて、抱かれてみたいって思う」
 自分の本音をここまではっきりと言えるネネに私は圧倒されていた。いくら親友だといっても、そこまで明け透けに「好き」とか「抱かれてみたい」なんて言葉を口にするのはためらわれる。
「それならケイゴさんにすればいいよ」
 胸がチクチクするのを不思議に思いながら言った。トシユキとどうにかなることは、やはり未だに想像できないけど、絶対に嫌だというわけじゃないし、酔った勢いならそういうこともあるかもしれない。
 そう思ってみるが、妙に心臓が痛む。何か胸の中がもやもやして嫌な気分だ。
「ケイゴくんはたぶん無理」
 ネネは怒ったように言った。私にはネネがそう考える理由がわからないので首をひねる。
「ネネが迫って拒否する男なんていないでしょ」
「彼、ルリのことが気になってると思う」
「え?」
 ドキッとした。そんなこと、あるわけない。
「もしかしたら私なんて名前も覚えられてないかもね」
「それはないって」
 吐き捨てるように言うネネを慰めながら、ケイゴの言動を思い返していた。いきなりルリと呼ばれてカチンと来たけど、彼がネネのことをどう呼んでいたかなんて覚えていない。
 ネネがフッと笑顔に戻る。
「占いで言われた『いい男』って、ケイゴくんのことなんじゃない?」
「まさか! あんなライオンみたいな金髪だよ?」
 勢いよく否定したものの、ネネが意地悪い笑みを浮かべて私の顔を覗きこんでくるので、心の中は騒がしくなった。恥ずかしいような照れるような変な気分だ。
「だから何? なんかルリとケイゴくん、怪しい雰囲気だったよ」
「全然そんなんじゃないって!」
「ま、いいや。私、トシくんのことも大好きだから」
 出会ってからたった数時間で相手を「大好き」になれるネネはすごい。実際、相手に継続的な愛情を求めないネネは、男性にとっても都合がいいのだろう。その行為の最中だけ愛を感じることができればネネは満足なのだ。そして一人の男性に縛られることを何より嫌う。
 彼女のことを理解できるか、と問われると返事に詰まってしまうのだが、私自身はネネのことが嫌いではない。自分の本能に素直なところは羨ましいくらいだ。でも私がネネと同じようにできるか、と考えてみた場合、即座に無理だと断言できる。
 男女の付き合いなんて、結局は身体の関係が一番重要で、それ以外の部分はおまけみたいなものなのかもしれない。だからネネは美味しいところだけ美味しくいただければいいと思っているのだろう。
 でも私は欲張りで寂しがりやだから、いつもそれだけでは満足できない。好きな人にはあれもこれもと求めてしまう。その分私も相手に全て捧げるつもりで尽くしているのに、いつの間にかそれは当たり前になり、もう少し経つと重荷になる。最後に邪魔になって捨てられる。
 結局、私は面倒な女なんだろう。元彼と別れてからようやくこの結論に達したが、彼を失ってこんなことに気がつくなんてただ虚しいだけだった。
 ぼんやりしている私の目の前にネネが立った。
「また終わったことを考えてるんでしょ? せっかく旅行に来たんだから楽しもうよ。たくさん飲んで、いっぱいおしゃべりしようよ。いい男もいるんだし、ね?」
「……いい男、かなぁ?」
「結構いい線いってると思うけどな。会社にいる男よりは全然マシでしょ」
 確かにウチの会社にいる同年代の男性社員は数が少ない上、私にとっては対象外だった。
 準備万端のネネに促され、私もバッグを持って立ち上がった。彼女の言うとおり、終わったことは考えても仕方がない。急に「今夜はこれまでにないくらい弾けてやる」という気分が戻ってきた。
「そうだね。じゃあ、もう終わったことなんか忘れてパーッと楽しく盛り上がろうかな」
 明るい調子でそう言うと、ネネは顔をくしゃくしゃにして笑いながら私の背中をポンと叩いた。


 ホテル内にはカジュアルなカラオケラウンジとムーディーなバーがあり、悩んだ末飲み放題という言葉に釣られて私たち四人はカラオケラウンジに腰を落ち着けた。
 しばらくは仕事の話など当たり障りのない話題が続き、テーブルの上のグラスはかなり早いペースで空になった。特にネネは最初から飛ばしていた。彼女が自ら志願してビールの一気飲みを披露すると、つられるように男二人も一息にグラスを空け、私も負けじとむきになって飲む。他のグループがカラオケを始めたこともあるが、だんだんと酔いが回り、それぞれの話し声は自然と大きくなる。どうでもいいような話題で大いに盛り上がり、久しぶりに私もほろ酔い加減で楽しい気分になっていた。
 そこで急にネネが「ねぇねぇ」と私たちを手招きした。軽い気持ちで全員がテーブルの真ん中に顔を寄せ合うと、ネネは突然ニヤリと笑い「これ、機密情報なんだけど」と前置きしてから囁くように言った。

「この中にあのカジケンと付き合っていた人がいるの」

 途端にネネを除いて全員の目が大きく見開かれる。
 そして私の顔から急に酔いが引き、目の前が一瞬暗くなった。
「カジケンって、あのイケメンで人気急上昇中のカジヤマケンセイ?」
「そうよ」
 トシユキは心底驚いた顔をしていた。それは当然だ。カジケンことカジヤマケンセイは今年大河ドラマの準主役に抜擢され、この数ヶ月で一気にブレイクした若手俳優だった。長身で整った小顔、スポーツ万能で有名大学を出ている。タレントとして人気を集めそうな要素ばかりを持っていた。
「え、カジケンと付き合ってたのって、ネネちゃん?」
 小声でトシユキが言うとネネはクスッと笑う。
「まさか」
「ってことは……」
 トシユキとケイゴの視線が同時に私に降り注いだ。これ以上ないくらい小さく首を縮めてうつむくが、亀ではないので頭まで完全に隠れることはできない。
「ルリちゃん? マジで?」
「もう別れたけど」
 消え入りそうな声で言った。チラッと目を上げると険しい顔をしたケイゴと目が合う。今はサングラスの代わりに黒の角ばったフレームの眼鏡をかけている。サングラスを外した彼の顔は一言で言うと綺麗な顔だった。垂れ目気味で黙っていると少し寂しげに見えるところなんかは、思わず目が離せなくなる。これでこんな明るい金髪でなければもっと印象は違うだろうと思う。そしてせっかく綺麗な顔なのに眼鏡がアンバランスで邪魔だった。
「なんで別れちゃったの?」
 一番答えにくい質問が一番最初にトシユキの口から出た。
「まぁ、捨てられたってところかな」
 軽く言うつもりだったが、頬が引き攣って上手く笑えない。
「付き合ってたのっていつ?」
 トシユキにはデリカシーがないのだろうか。それとも酔っているから気持ちが大きくなっているのだろうか。答えたくはないが、仕方なく口を開く。
「一応、一ヶ月前までは……」
 何とか繋がっていたのだ。一ヶ月前がほんの少し前のようでもあり、もうずいぶんと遠い昔のようにも感じられた。感覚がおかしくなっている。
「結構長い間付き合ってたの?」
「五年くらいかな」
 元彼とは大学のときに知り合ったのだが、当時はまだ時折モデルの仕事をするくらいで、世間では全く無名の男だった。女子の間ではそれなりに人気があったが、手の届かない人というわけでもなく、夏の集中講義でたまたま隣の席に座ったことから知り合いになり、彼のほうからアプローチしてきたのが恋の始まりだった。
「ってことは、売れる前からずっと……」
「まぁね。有名になる前は本当に普通の人だったんだけどね」
「じゃあ、売れたらやっぱりこうなっちゃった?」
 トシユキは自分の鼻の前に握った手をくっつけ、天狗の真似をしてみせる。それを見てケイゴがフッと笑った。そんなに面白い顔だったわけでもないのに、ケイゴがどうして笑うのかわからない。
「そうなのよ! ルリみたいにかわいくてできた彼女を『忙しくて会えないから』って理由で振るなんて、ちょっと人気が出たからっていい気になりすぎ!」
「ネネ、声が大きいよ」
 身を乗り出して熱弁をふるうネネの肩を押し留めるように抱くと、彼女から強いアルコール臭が漂ってくる。
「そんな理由?」
 ケイゴが静かに言った。私はその目を見つめ返す。
「私が直接聞いたのは、ね」
「ふーん」
 つまらなさそうにケイゴはグラスを傾けた。言葉のニュアンスで本当の理由が別にあるとわかったようだ。
 はっきりと確かめたわけではないが、一年位前から二股を掛けられていたらしい。不思議とそういうことを親切に教えてくれる人がいて、知りたくもないのに知ってしまったのだ。よせばいいのに私は彼の気持ちを引き止めたいがために、無駄な足掻きを繰り返した。彼はそんな私を鬱陶しく思い始め、会う間隔がどんどん開いていき、最後に「忙しくて会えないから別れよう」と言われたのだった。
 場が妙にしんみりしてしまい、私は慌てた。
「やだなぁ、皆そんな顔して。私はもう何とも思ってないの。あの人、人気出てホントよかったよね。私としてはこうしてネタにもなるから、もっともっと有名になってほしいって思ってるし」
「ルリちゃん、君、ホントいい子だね」
 斜め向かいからすっかり感激した様子のトシユキが握手を求めてきた。苦笑しながら私も手を伸ばす。固く握った手をブンブンと数回振るとパッと解放された。
 行き場がなくなって引っ込めようとした手を、突然ケイゴが掴む。いかにも便乗したという感じで、トシユキと同じようにわざとらしく数回腕を振る。だが、すぐには離してくれない。眼鏡の奥の目が悪戯っぽく揺れた。

「ホントは一発くらい殴ってやりたいんじゃない?」

 ケイゴは不敵な笑みを浮かべていた。握った手から伝染したのか私も不敵に笑いたくなる。
「うん。もしもう一度会うことがあったら、思いっ切りグーでパンチかましてやりたいね」
「ルリのパンチ、めちゃくちゃ痛そう。俺、カジケンの情けない顔、見てみたくなった」
 向かい側でケイゴは爽快な笑顔を見せた。急に私の気持ちがふわりと舞い上がる。たぶんどんな慰めの言葉よりも、今のケイゴの言葉が私の心に効いたと思う。
「ちょっとぉ、いつまで手繋いでるのぉ?」
 ネネが割り込んできたので、どちらからともなく手が離れる。ケイゴの手は大きくて少し骨ばっているが肌は滑らかだった。手のひらから急速にケイゴの体温が失われて、それが少し寂しかった。
 それを契機にトシユキの失恋話に話題が移り、ホッとしたところで喉がカラカラなことに気がついた。グラスを空けて次は何を頼もうかとメニュー表を手に取る。アルコールが回ってきたのか急に思考能力が低下し、春に失恋したトシユキの話が遠くで鳴るBGMのようだった。
「何頼むか決まった?」
 ハッとして顔を上げるとケイゴが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。仕切られたボックス内にはケイゴと私しかいない。
「あれ、ネネとトシユキさんは?」
「トイレ」
「私もトイレに行ってくる」
 トイレという単語で急に身体が反応した。立ち上がってトイレを探す私にケイゴは「あっち」と指をさして教えてくれる。店の外のようだ。バッグを持って出ようとすると後ろから声がした。
「今行かないほうがいいと思う」
「どうして?」
 トイレに行くのを我慢しろと言うのだろうか。私は振り返りざまに座っているケイゴを睨んだ。
「いや、なんでもない。行っておいでよ」
 仕方ないという諦め顔でケイゴは私を送り出した。夜のこんな時間に掃除をしているわけでもないだろうし、行かないほうがいいとはどういうことだ、とムカついたが、ふらふらと歩いているとすぐにそれもどうでもよくなる。
 トイレには先客もおらず、どこも変わった様子はない。なんだ、何でもないじゃないかと用を足してトイレを出た先に、突然その光景が目に入った。すぐに目を逸らし、慌てて店に戻る。
 エレベーターの脇に非常用を兼ねた階段があり、その壁際に男女の姿がちらっと見えた。見覚えのある服装から、人目を避けて絡み合う二人がネネとトシユキだとすぐに気がついてしまった。
 元のボックス席にはケイゴが一人、相当な数のグラスを空にしているというのに昼間と全く変わらない顔でケータイを弄っていた。私が戻ったことに気がつくと、目を上げて少し微笑んで見せる。
「あ、あの、……知ってたの?」
 先ほど一瞬見た映像が頭の中にちらつく。衝撃が大きすぎた。他人が抱き合ってキスしているところを、生で目撃したのは初めてかもしれない。
 ケイゴは笑いながらケータイをしまう。
「まだそこにいるんだ。二人ともしばらく帰ってこないから、そうかなって思った」
「み、見ちゃった……」
 向かい側でクッと声を上げてケイゴが笑う。
「だから言ったのに。今行かないほうがいいって」
「だけど、トイレに行きたかったんだもん」
「うん。仕方ないよね」
 よしよしと慰めるような口調で言うと、彼はしばらく誰も手をつけなかった枝豆を口に運んだ。私はまだパニック状態が収まらず、ただ目をパチクリとさせることしかできない。
「アイツら、この後どうするんだろう。トシの部屋に行くのかな?」
「ネネは……さっきそのつもりって言ってた」
 私の言葉にケイゴは小さく頷いた。そうなると、彼はどうするつもりなんだろう。急にそれが気になり、聞くべきか否か迷いに迷った。だってそれを聞いてしまうと、場合によっては私から誘っているようにも受け取られてしまう。どうしようと考えているとまたネネとトシユキの姿が思い出され、顔が発火しそうに熱くなった。
「ネネちゃんって積極的だよね。酒入るとますます?」
 悩んでいるとケイゴが先に口を開いた。枝豆が止まらない様子だ。
「うん。いつもあんな感じ……」
 彼の落ち着いた様子を見ていると、次第に私の興奮状態も収まってくる。髪型はライオンのように派手だけど、彼自体はおとなしい性格らしい。それにかなり飲んでいるはずなのに、少しも酔っていない。酔えないと言っていたのは本当だった。
「ルリは酔うとどうなるの?」
「見たとおり」
 ケイゴは首を伸ばして私をジロジロと観察した。
「別に変わんないよね。顔は真っ赤だけど」
 思わず手で顔を覆う。頬は熱があるのではないかと思うくらい熱い。
「今、どんな気分?」
「ふわふわして、とてもいい気分」
「へぇ。羨ましいな。俺も酔ってみたい」
 そう言ったケイゴは笑っているのに寂しそうな表情だった。何だか私だけ酔っているのが申し訳なくなる。
「もっとガッツリ飲んで酔っちゃえば?」
「そうしたいところだけど、もうすぐラストオーダーの時間」
「ウソ!?」
 首をめぐらせて時計を探した。いつの間にか十一時を回っている。
「もうそんな時間なんだ」
 この店に入ってから二時間が過ぎたのだ。俄かには信じられなかった。
「そうだよ。部屋まで送る?」
 私はケイゴの顔を正面から見つめる。やっぱりはっきりさせておいたほうがいいんじゃないかと思ったとき、ケイゴが上目遣いで私を見た。

「それとも俺の部屋に来る?」
 
 心臓が激しくドキドキと鳴っていた。口を半開きにしたまま、どういう反応をしたらいいのか考えるが、考えは一向にまとまらない。
「トシユキさんとは部屋が別なの?」
 直接的な返事をするのがためらわれた。ケイゴはそれを見透かしたようにクスッと笑う。
「まぁね。俺らはそれぞれシングルの部屋だよ」
「ずいぶん用意周到だね」
「トシも手が早いから」
 嫌味っぽく言ったのに、笑顔でさらりとかわされ、しかもその言葉でまた先ほどのキスシーンを思い出してしまい、胸のドキドキが更にヒートアップする。一瞬ぼうっとなっていたのか、気がつくとケイゴは立ち上がって私に手を差し伸べていた。

「まだ部屋に戻りたくないでしょ?」

 ドクンドクンと自分の心臓の音がはっきりと聞こえてくる。その脈動を五回数えて、首を縦に振った。今夜は思い切り弾けるつもりだったが、どういうわけか今は心臓が弾けそうになっている。男性を目の前にしてこんなにドキドキしたのはいつ以来だろう。胸の中は期待と不安、それに歓びと切なさがごちゃ混ぜになって泣き出したいような気持ちだった。


 ケイゴの部屋は別館にあった。本館の私たちの部屋に比べると狭いが新しい。ベッドとちょっとした机と椅子、そのどちらも完全に一人用だ。
 どうしようか、と立ちすくんでいると後ろから抱き締められた。ベッド脇のスタンドが淡い光で薄暗い部屋を照らす中、私もケイゴもしばらくそのままでいた。
「ふとしたときに泣きそうな顔をしていて、遊園地にいるときからルリのことがずっと気になってた」
 耳元にケイゴの吐息がかかり、頭の隅っこが痺れるような感覚になる。
「私、そんな顔してたんだ」
「たぶん、トシも気がついていたと思う」
「……どうして?」
「元気がないコのことは誰でも気になるよ。それがルリみたいにかわいいコなら尚更。ネネちゃんがトシを誘わなければ、トシはルリを口説いていたと思う」
 背後から覆い被さるようにしてケイゴが支えてくれているのをいいことに、私は首をのけぞらせて頭を彼の胸に預けた。
「でも、私が一番嬉しかったのはケイゴの言葉だよ」
 上から私の顔を覗き込んできたケイゴはいつの間にか眼鏡を外していた。優しい眼差しが私の視線を捕らえて放さない。

「トシには悪いけど、俺はルリが欲しい」

 きつく抱き締められた腕の中でくるりと身を翻し、背伸びをしてケイゴの首に手を回した。胸がはちきれそうでもう我慢できないと思ったそのとき、ケイゴの唇が私の唇に重なった。
 お互いをむさぼるようにキスを交わす間に、ゆっくりとケイゴの手が服の上から私の身体を這う。私の身体はアルコールの効果も相まって、すぐさま溶け出しそうなほどに熱く火照る。今日初めて会った人だというのに、今はもうためらう気持ちはこれっぽっちもなかった。
 あんなに変だと思っていた金髪もこの薄暗い部屋の中では落ち着いた淡い色合いに見える。昼間はライオンの鬣のように立たせていたのに、湯上り後はふわりとした緩いウェーブのある長めの髪を下ろした自然な髪型だ。サングラスも眼鏡もないケイゴの顔は想像以上に美しかった。元彼もイケメンと騒がれているほどだから整った顔立ちをしていたが、それとは別の種類の、男性らしい硬さと彼の内面から滲み出る柔らかさを併せ持つ、とても魅力的な顔立ちだった。もしかすると元彼よりももっといい男かもしれない。
 ケイゴの首に回した手を支えに重心を後ろに傾け、ベッドの上に倒れ込む。私の真上ににある彼の瞳には妖しく艶っぽい光が揺らめき、その奥に私を欲して静かに燃え始めた炎が見えた気がした。
 ふと私は大事なことを確かめていないことに気がついた。最初に彼を見たときに、ちゃんとした社会人ですらなさそうだと勝手に思い込んでしまい、彼女の存在など考えもしなかったのだ。だけどこんなに綺麗な顔の男なら恋人に不自由しないだろう。そう思うと胸が痛む。
 でもこの状況で今更訊けるはずもない。もし恋人がいるならケイゴを裏切り者にしてしまう。いや、そうじゃない。彼に愛する女性がいること自体が嫌なのだ。だけどそんなことを私が言うのはおかしい。
 だったら、私が彼に伝えるべき言葉はなんだろう?
 きっとこんなときは何も言わなくてもいいのだと思う。だけど、胸の中に湧き上がってくるこの名前のつけようがない不思議な感情を、どうにかして彼に伝えたかった。
 少し首を起こして自分からケイゴに軽く口づける。彼の瞳の奥をもう一度確かめるように覗き込みながら、私は懇願した。

「今だけでいいから、ケイゴの恋人にして」

「よろこんで」

 耳元でケイゴの掠れた声がしたかと思うと、首筋に柔らかい唇が軽く触れ、私は思わず短く声を上げた。それを契機に彼の唇は私の肩や鎖骨を這い、身を捩った隙にうなじを舐め上げられ、まだ身体を触れられてもいないのに甘く切ない刺激が全身を貫く。
 この気持ちの正体は何なのだろう。恋にしては刹那的で、ちょっとした出来心にしては気持ちが重すぎる。
 だけど、ただ一つはっきり言えることは、ケイゴが私に大事なことを思い出させてくれたということだ。
 彼の指が器用に私の服の中に滑り込んできて、胸の膨らみを探り当てる。その敏感に尖った先端を触れるか触れないかのところで弄ぶ。頭の中には甘い痺れが走り、身体は更なる快感を求めて意志とは関係なく動いた。
 彼の指に素直に蕩けていく私の身体は悦びに悲鳴をあげる。そうだ、気持ちがいいことは、今ここにしかない。過去のことは思い出して悲しくなることもあるだろう。だけど、私はいつだって今のこのときを生きているのだ。
 大事なのは何よりも今、このとき、この瞬間なのだと、私は空っぽになりそうな頭で噛み締めるようにそれを思った。

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2010/09/14

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