この作品は2011/03/11東日本大震災チャリティ電子書籍企画『プロジェクトうりゃま 〜ラブ&ハッピー〜 夏』に掲載されていた作品の再掲載となります。

このコンテンツはR18相当の描写を含みます。18歳未満の方、苦手な方は閲覧をご遠慮ください。



 どうして日曜の後には月曜が来るのだろう。
 そんなことを思いながら、結花は出勤した。本当なら休みたいところだが、今日は球技大会だ。休むわけにはいかない。
 生徒たちの好プレイ、珍プレイを間近で応援できたら余計なことを考えなくても済むのだが、あいにく結花は保健室で待機している。
 こんな日にひとりで過ごすのは堪えた。
(……失恋、ですね)
 うっ、とまた涙が溢れてくる。
 最初はハンカチで涙を拭っていたが、秀人の「愛してるよ」という声を思い出すと、目から洪水のように涙がこぼれ、ハンカチでは追いつかなくなった。思い出さなければいいのに、別のことを考えようとすればするほど、秀人のことが頭の中にチラつく。
 あの夜、確かに感じた熱い彼の吐息、肌の上を滑る彼の指の感触、耳元で囁く彼の低い声――。
 結花の全身が秀人の不在を寂しいと訴える。
 これでは仕事にならないと思うが、自分の身体の一部がちぎれてなくなったかのような喪失感が結花の理性を狂わせていた。
 ノックの音がしたので結花は慌てて表情を取り繕った。
「結花?」
 体育教師の前岡だった。
「呼び捨てにするなら『日置』と呼んで下さい」
「何、そのタオル? そしてその顔は一体どうしたんだ?」
 結花の言葉を無視して、前岡は結花が手にしている白いフェイスタオルを指差す。通常、手洗い後に使用するタオルだ。
「私の顔に何か文句あるんですか」
 パンパンに腫れた目を前岡に向けると、前岡は体格のいい体育教師のくせに怯んで見せる。
 そんなにひどい顔なのか、と思った途端、涙がぶわっと溢れた。
「失恋か」
「約束したのに来てくれなかったんです」
 前岡は少し首を傾げた。
「連絡先は?」
「知ってたらこんなことにはならないですよね。だけど……」
 言葉の途中で涙が滝のように流れ出る。秀人のことを考えると涙が止まらないのだ。
 前岡が大きなため息をつく。
「俺がここで留守番してるから、少し外に行って来い。天気は良すぎるくらいだから、帽子かぶればその顔も隠れるだろう」
 結花の前にポンと麦わら帽子が置かれた。確かにこれなら顔を隠すことができるかもしれない、と思う。
(仕事中に失恋で号泣するなんて社会人失格ですね)
 折れに折れている気持ちをほんの少し立て直した。
 結花はその麦わら帽子を目深にかぶると、応急手当のボックスを持って保健室を出る。
 前岡の「天気は良すぎる」という言葉を実感しながら、グラウンドへ向かうと生徒たちの歓声が聞こえてきた。
 球技大会はいくつかの種目があり、グラウンドでは男女別のソフトボールとサッカーの白熱した試合が繰り広げられている。女子のサッカーは案外人気があって、ひとつのボールを追いかける女子生徒たちの姿に結花は目を奪われた。
(一生懸命な姿は、見ていても気持ちがいいですね)
 教員の仕事をしていて、1番感動するのは生徒の成長を目の当たりにする瞬間だ。
 よく保健室にやって来る悩み多き生徒が、クラスメイトと声を掛け合っているのが見えた。嬉しくて自然に頬が緩む。
 ほっこりとした気分になっていると、背後でドサッと異質な音がした。
(えっ!?)
 振り向くと移動中の男子生徒たちが集まって、「おい、しっかりしろ」と口々に呼びかけている。その輪の中心には誰かが倒れていた。
「激しく揺すらないで!」
 結花は叫んで駆け出した。
「先生!」
 生徒たちは一斉に縋るような視線をよこす。
 倒れている生徒に触れてみると熱い。意識は朦朧としている様子だ。脈を確認しながら、何度も名前を呼びかけた。
「おそらく熱中症です。他の先生たちを呼んで来てください。それと保健室に前岡先生がいるので連絡してください」
 反射神経のよい数人の生徒がクモの子を散らすように方々へ走っていく。
 結花は更に数人の男子生徒の手を借りて倒れた生徒を日陰へと移動し、彼の首と腋の下、足の付け根に冷却シートを張った。
 とにかく体温を下げなくてはならない。結花は次々と指示を出し、自らは冷静にここでできる限りの応急処置を進めた。
 そのうち救急車のサイレンが近づいてきた。
 駆けつけた教頭とともに結花も付き添いとして救急車に乗る。結局、学校から少し離れた大きな病院へ搬送された。
 病院に到着し、教頭と結花は病院側から指示のあった場所で待つことになった。
「日置先生も顔色が悪いね」
 教頭が結花の顔を覗きこんで心配そうな声を出す。
「私は大丈夫です」
 そう言ってから、自分が麦わら帽子をかぶったまま、ここまでやって来てしまったことに気がついた。急に恥ずかしくなってひっそりと帽子を取る。
 しばらく教頭と球技大会の様子について会話したが、話題が途切れるとどちらともなく黙ってしまった。
 時間の経過がとてもノロい。
 祈るような気持ちでじっと待っていると、突然ドアの開く音がした。
「お待たせしました」
 そう言った男性の声に結花はハッとして顔を上げる。
(……嘘!?)
 出てきたのは白衣姿の医師だ。彼はまず教頭に向かって軽く会釈をすると、結花の顔を真っ直ぐに見る。
「意識が戻りました。危険な状態は脱したと思われますが、まだしばらくは処置が必要です。保護者の方の到着までどちらかの先生に残ってもらいたいのですが」
「私が残ります」
 結花は即答した。
 何か言おうとする教頭をキッと見据えると「保護者への説明は、私が適任だと思います」と付け足す。教頭はわかったとばかりに頷いて、学校に連絡を入れてから戻ると言い残し、その場を離れた。
 教頭と結花のやり取りを黙って見ていた医師は、教頭の姿がなくなると結花に小さな声で「お疲れさま」と労いの言葉をかけてきた。
「まさかこんなところでお会いするとは思いませんでした」
「初期の応急処置がとてもよかった。感心したよ」
 医師の返事を聞きながら、結花は戸惑った。褒めてもらったのは嬉しいが、相手が何を考えているのかよくわからない。
「どうして……?」
 言いかけて、やめた。
 ここは彼の職場だ。プライベートなことを話すには無理がある。
 白衣の男性としばらく見つめ合った。
 明るいところで見るのは初めてだが、直視するのが恥ずかしくなるような整った顔立ちだ。一瞬、あの夜の彼を思い出し、結花は恥ずかしさで顔を赤くした。
「もうすぐ昼休みだから、学校まで送るよ」
 白衣姿の秀人は結花の返事も聞かずに、回れ右をすると自分の仕事に戻っていった。