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一年の最後の月はいつも慌しい。だが、嫌いなわけではない。
いつもこの時期になると子どもの頃に歌った正月の歌を思い出す。大人になった今も幼い頃に感じた新年を迎える嬉しい気持ちは変わらないのだ。
しかし、ここ何年かの陸は年末を迎えると必ず思い出すことがある。
「なんか怖い顔してるけど、どうかした?」
デスクの向かい側に同じ課の藤沢が立っていた。
「今日のことなら忘れて、さ。つーか、誰ももう覚えてないし」
顔を上げた陸は苦笑した。
藤沢は今日の午後の出来事を指して言ってくれているのだろうが、陸自身が既に忘れていた。考えていたのはもっと別のことだ。
「いえ、少し昔のことを思い出して、改めてムカついていたところです」
陸は自嘲気味に笑って見せて時計に目をやった。20時になろうとしている。
「何? 昔の彼女のこと?」
藤沢は腕を組んで愉快そうな顔をした。一瞬、目の前のキーボードに視線を落とし、また藤沢を見る。
「ま、そうです。そいつ、クリスマスイブは一緒にいてくれたんですけど、翌日友達と旅行に出かけやがって。それも二泊とか」
「女友達とだったら別にいいじゃん」
陸は小さくため息をついた。
「男となんて絶対許しませんけど。でも一泊でいいじゃないですか。しかも……」
(あんな限られた時間しか会えない仲だったっていうのに)
行き先を知っているにもかかわらず、何をしているのか気になって仕方がない。迷惑を承知で旅行中の沙希に電話をすると、普段と変わらぬのんびりした声が聞こえてきた。
「それ、ホントに元カノ?」
突然、藤沢の声が割り込んできて陸はハッとした。
「そうですけど」
「浅野さぁ、その人のこと大好きだったでしょ?」
思わず吹き出した。
「そうですね。たぶん一生忘れられない思い出です」
「なんかちょっと意外な一面を見たな」
藤沢は不思議なものを見るような目で陸を見た。
「お前、執着とかしなさそうじゃん」
陸は苦笑しながらノートパソコンの電源を落とした。コードを抜いて無造作に鞄にしまう。
「俺もその人に出会うまではそう思ってました」
「へぇ。……ていうか、それ川島さんでしょ?」
立ち上がった陸は目を細めただけで肯定も否定もしなかった。
「でも執着とは違うんですよ」
「は?」
「それがくだらないことだって教えてくれたのもアイツで」
沙希はおそらく必要とあれば崖っぷちに立つ陸の背中を押すことも厭わないのだ。他にそんな女性は知らない。おそらく潔さの点では沙希のほうが自分の母親より断然勝っている。
(迷いとかなさそ……)
陸は崖から突き落とされる自分を想像して身震いした。
「なんかキミたち、すごく濃い関係じゃん。よくお前、今日まで他人顔できたな」
「実際、他人なんですよ」
つい冷笑が口元に浮かんだ。藤沢はまた驚いた顔をする。
(だって他人じゃなかったらヤバいし)
「それじゃ、お先に。メリークリスマス!」
まだ何か言いたげな藤沢を置いて、陸は会社を後にした。
翌日、陸は来客を告げるけたたましい電子音に起こされた。
隣を見ると険しい顔をした沙希が目を開ける。そして次の瞬間、沙希は飛び起きた。
「サンタさんが来た!」
そして陸の肩を掴んで揺さぶる。陸も仕方なく起き上がった。
「おい、どこに26日にやって来るサンタがいるんだよ」
「いいから、とにかく出てよ!」
「なんで俺が……」
「私、パジャマだもん」
大きくため息をついてから陸はベッドを出て、インターホンのリモコンを手に取った。通話を終えると沙希に向き直る。
「サンタって宅配業者のコスプレしてるんだ?」
沙希は陸の嫌味など気に留めず、いそいそとフリースの上着を取ってきて陸の肩にかけた。
「はい、受け取ってきてね」
「なんで俺が……」
「だって陸にサンタさんが来たんだよ」
「へぇ」
不気味なほどニコニコと笑う沙希を置いて玄関へ向かった。
「なんだ、これ?」
受け取った荷物を見て陸は眉をひそめた。冷凍と書かれた箱の発送元は二人の地元の洋菓子店になっている。
「なんだろうね?」
「……って、頼んだの、お前だろ!」
「違うよ。サンタさんが陸にプレゼントを……」
「沙希」
「なんでしょ?」
「俺はもう大人だからサンタは来ないの。わかる?」
「オウ! ワタシ、ニホンゴ、ワカリマセン」
「そうか。残念だが、これは俺が一人で食うことにしよう」
「ちょ、ちょっと待った!」
沙希は慌てて陸の手から箱を取り上げた。
「だって私、プレゼントって苦手なんだもん。何がほしいのかよくわかんないし、あげても趣味じゃなかったら迷惑かなって思うし、そう考えたら迷って決められないんだもん」
悲しげな顔でうつむいた沙希をしばらく無言で眺める。
そういえば沙希は優柔不断だった、と改めて思う。彼女に決断力があるのは、非常に限定的な状況のみなのだ。
「ありがとう、嬉しいよ」
陸は沙希の頭に手を置いた。
「でもなんで今日届いたんだ?」
沙希はギクッとして顔を上げる。その顔の表情がふにゃっと崩れた。
「それがね、ギリギリにネットで注文したら今日の配達日になっちゃったの」
箱を開けながら陸は、それも本当かどうかはわからない、と思う。
12月に入る前にクリスマスケーキを予約するかどうか聞かれたことがあったが、既に沙希に内緒で予約してあったのでいらないと答えた。そのとき妙な顔をしていたので、もしかしたらわざと今日届くように手配したのではないだろうか。
(今日から休みだしな……)
箱の中には丸い容器が包装されて入っていた。見覚えがある、と思った。
「あ、これチーズケーキだろ。めちゃくちゃ美味いヤツ!」
実家に帰省したときに冷蔵庫の中に入っていたのを発見して味見したことがある。ベイクドチーズケーキにレアが重ねられていて、陸は初めて食べる味だと感動したのだ。
「そのチョコレート版だよ!」
「マジ? でも冷蔵庫で5時間から8時間解凍しなきゃだめらしい」
「ガーン!」
沙希の反応に吹き出しながら、陸はケーキを冷蔵庫にしまう。
(それにしても、よく俺の好きなものがわかるな)
自分の好みを詳しく説明したことはないが、沙希が陸のために選んでくれるものは大抵はずれがない。
(もっと自信持ってもいいのに……)
そして陸はふと思いついたことを口にした。
「なぁ、今度一緒に旅行に行かね?」
きょとんとした沙希は「うん」と小声で答える。
「温泉もいいな。お前、どっか行きたいところある?」
「どうしたの、急に?」
あまりにも唐突な提案だったようで沙希は戸惑いを隠せない様子だ。
陸は昔話の冒頭を読み上げるように、わざとらしく語りかける。
「昔あるところに、クリスマスだというのに愛しい人をほったらかして旅行に行った女がいました」
沙希は苦笑しながら顔を背けた。
「……それは酷い話ですねぇ」
「だろ? 考えてみればお前と旅行ってしたことないし」
「そうだね」
しみじみと答えた沙希は、突然口に手を当ててくしゃみをした。パジャマ姿のままキッチンで立ち話をしていたので身体が冷えたのだろう。
陸は上着を脱いで沙希の肩に掛けた。そして暖房のスイッチを入れる。北国で育った人間にとって、東京の冬は寒すぎるのだ。特に住居の隙間風には閉口する。
「さて、と。着替えたら一緒にメシ作ろう」
「うん!」
沙希が最高にご機嫌な表情で抱きついてきた。それはとろけるような笑顔で、たぶんそれを見た自分も同じように溶けそうな顔になっているんだろうと陸は思う。
昨日よりもっと沙希を近くに感じる。
(やっとここに戻ってきたな……)
力を入れたら折れそうだと思いながら、陸はありったけの想いを込めて沙希の細い身体を抱き締めた。
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