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番外編 ふたりの恋がはじまる 《 LESSON 11 》

 翌日は昨夜の土砂降りが嘘のような晴天だった。

 昼食を取った後は自分の机に突っ伏して寝るのが最近の陸の習慣になっていた。沙希と明け方まで電話することも多くなり、寝不足が続いていた。しかも近頃は授業も真面目に受けている。

(これってアイツの影響?)

 机に突っ伏した姿勢のまま陸は沙希のことを考えていた。

 家庭教師の日にだけ会っている間は気が付かなかったが、沙希はかなりの努力家だ。苦労など無縁に見えるし、実際夏でも汗をかかないのではないかと思えるような涼しい顔をいつもしている。

 だがそれで沙希は周囲からずいぶんと妬まれてきたらしい。努力せずに何でもこなしていると勘違いされて、筋違いの嫉妬に悩んだこともあるとこぼしていた。

(結局、人間は上辺しか見ないってことだな)

 今の陸は沙希の気持ちが少しわかる。

 中学生までの陸は小太りだった。両親は共働きで好きなだけジュースやお菓子を摂取していたためだ。だが異性を意識し始める時期になると、陸はモテる男子が羨ましくて仕方なかった。

 幸か不幸か中学最後の検診で血糖値が高いことが判明して、食事制限と運動に取り組まなければならなくなった。正直なところ陸にはかなり辛いダイエットだったが、そのおかげで痩せて思いがけずモテるようになった。

 そしてわかったことは、上辺だけで判断されることはむなしいということだ。

(女にとって俺はアクセサリーと同じってこと。まぁ、お互い様って部分もあるけど)

 一時期はそれを利用して遊びまくったことを苦い思いで振り返った。後悔するわけではないが、今はあまり思い出したくない気分だ。

(俺は何をやっていたんだか……)

 沙希と一緒にいると、今まで自分がどれだけ真面目に努力することをサボってきたかを思い知らされた。 

(ダメだ、眠れない)

 身を起こして椅子にぐったりともたれて頭をかく。そのとき教室の入り口に長身の影が見えた。トオルだ。教室内の女子の視線を一斉に集めて陸のもとへやって来る。

「昨日はどうも」

「……何?」

 心の底から嫌そうな声で陸は返事をした。だがトオルは意に介せず陸の前の席に長い足を組んで座る。それすら陸には腹立たしい。

「どうでもいい話だけど、F女子の黒川が学校辞めたらしいね」

 陸は一瞬眉をひそめた。

(もしかして昨日……沙希はそれで?)

 その表情の変化に満足したようにトオルは笑みを浮かべた。それを見て陸はすぐに表情を消す。まさかそれだけを言いにきたわけではないだろう。内心身構えた。

「まぁ、陸にはもう関係ないよね。でも……あんなにかわいい人だとは思わなかったな。ずいぶんレベル高いじゃん。どうやって落としたの?」

「……るせぇ。お前に関係ないだろ」

 トオルが沙希のことを「かわいい」と言ったのが気に入らない。

「冷たいなぁ。お前が羨ましいよ。……俺もあの人とヤってみたいな」

 一気に頭に血が上った。

 気が付けば椅子を後ろに蹴飛ばしてトオルの胸倉をつかんでいた。

 トオルは紅い唇を器用に端だけ上げて艶然と笑って見せる。陸はトオルの胸倉をつかむ手に一層力をこめた。

「へぇ、虫も殺せないような陸が、彼女のためなら俺を殴れるんだ?」

「おい、もうやめろよ」

 横で別のグループと喋っていた隣の席のクラスメイトが割り込んできた。陸の手をトオルの胸元から引き剥がして陸の肩に手を置いた。

「トオルも言いすぎだろ。それくらいにしとけ」

 トオルはフッと鼻で軽く笑いながら制服の胸元を直した。そして何もなかったようにポケットに手を突っ込んで教室を出て行った。

「浅野も気をつけろよ」

 隣の席のクラスメイトは自分の席に座り直して陸に忠告した。

「知ってるとは思うけど、トオルは『他人のもの』を盗るのが好きなヤツだからさ」

「ああ」

 陸は深呼吸してドカっと自分の席に腰を降ろした。

 今まで付き合っている彼女が心変わりしてもそれほど執着心はなかったが、沙希に限っては別だ。別れることも考えたくないが、もし万が一そういう日が来ても、沙希が他の男性に抱かれるのは絶対に許せないと自分の中の何かが主張する。

(今だって彼氏に会いに行かせたくないのに)

 会えない週末は気が狂いそうだ。だが陸には止めることができない。

(これでまだ相手を知らないから何とかやり過ごしていられるけど……)

 女性に間違われるような男……。

 トオルが気に入らないのはどこかで沙希の彼氏と重ねているからかもしれない。

 そう自覚した瞬間、先ほどのトオルの言葉が頭の中に響いた。



「へぇ、虫も殺せないような陸が、彼女のためなら俺を殴れるんだ?」



(もし俺が沙希の彼氏だったら……許せねぇな。殴るどころじゃ気が済むはずない。しかも聞く限りじゃかなり危ない人間だから、バレたら俺……殺されちゃうかも)

 ゾッとした。今まで深く考えないようにしていたが、ここまで来て今更急に怖くなる。



(俺は……沙希の彼氏が怖い?)



 予鈴がなった。そこで無理矢理に思考を止める。

 沙希が自分を受け入れてくれればそれで全てが満たされると思っていたが、むしろ今のほうが苦しい。人はどこまで貪欲なのだろうかと陸は思う。

 きっと会えない時間がこんな気持ちにさせるのだろう。

 陸は携帯を取り出して片手でメールを打った。

 > 今日会える?

 すぐに返信が来た。

 > 今日はゼミの飲み会だよ。

(知ってるよ)

 沙希の返事にツッコミを入れながらまた文字を打つ。

 > 今日どうしても会いたい。

 送信したところで午後の授業の開始を知らせるチャイムがなった。

(会えなかったら俺、不安でどうにかなっちゃいそう)

 返事を待つのがもどかしい。早く、早く、と祈るように携帯を見つめた。

 教室の戸が開くのと同時に着信があった。机の下でこっそり見る。

 > いいよ。いつものところで待ってるね。

(沙希っ! 大好き!)

 あと三時間すれば会える。そう思うと途端に気が晴れた。携帯をポケットにしまい、教科書を開いて意識を授業へと切り替えた。





 沙希はメールにあったようにいつも待ち合わせする地下鉄駅で待っていてくれた。

 文句のひとつでも言われるかと覚悟していたが、沙希は何も言わない。それどころかずっと前から約束していたかのような態度だった。

「飲み会、行かなくていいの?」

 陸はさすがに気が引けておそるおそる訊いた。

「うん。そんなに行きたくなかったからちょうどよかったよ」

 と、にっこりして沙希は答えた。それなら最初から行くなんて言わなきゃいいのに、と言いたくなったが止める。強引に会いたいと言ったのは陸のほうなのだ。

「F女子の黒川が学校辞めたんだって。お前、知ってた?」

 沙希は何とも言えない複雑な表情で陸を見た。そして小さく頷く。

(やっぱり……)

「それで昨日元気なかったのか」

「そんなことないよ」

 そう言った沙希の顔は昨日とは打って変わって晴れやかだった。

「俺に気を遣って言わなかったの?」

「うーん。そういうわけじゃないんだけど……」

「じゃあ、何?」

「まぁ、言いにくかったのかな。よくわかんない」

「お前ねぇ、自分のことだろ? よくわかんないわけないだろうが」

 沙希はいつも語尾がはっきりしない。最初はその態度にイライラすることもあったが、今は言い方でおおよそ見当が付く。この場合は陸に遠慮して言わなかったというのが当たりだろうと感じた。

「ま、いいや。あんまり言うとお前泣くからやめ」

 むぅ、と沙希が口を尖らせる。そのふくれ面を見ながら陸はため息をついた。

(ホント、他人のことばかり考えすぎ)

「でも俺に気を遣うの、やめて」

 陸は自宅マンションのエレベーターに乗り込んだと同時に沙希を抱き締めた。驚いた顔の沙希と目が合う。

「距離があるみたいでヤダ」

 沙希がフッと笑った。

「そうかな? じゃあ……」

 エレベーターが開いた。言いかけた言葉の続きが気になるので急いで玄関の鍵を開けて沙希を引き入れた。靴を脱いで自分の部屋に入るとすぐに鍵をかける。

「それで、じゃあ……何?」

「なんだっけ?」

「おい!」

 陸は思わず両手で沙希の腕をつかんだ。とぼけた表情が悪戯っぽい笑顔に変わった。



「もっともっと、近づいておいでよ」



(え?)

 心臓がドキっと高鳴った。陸は自分の耳を疑う。

「そんなこと言っちゃっていいの? 俺、ホントにどこまでも近づいちゃうよ?」

 沙希はニッと笑って見せたかと思うと、陸に抱きついてきた。

(ちょっと! ……なんでこの人、こんなにかわいいことすんの?)

 細い身体を抱きとめて陸はその耳元に囁いた。

「沙希も……俺のことが好きでしょ?」

 沙希が微かに反応する。顔は見えないがたぶん笑ったのだろう。陸にはそれでも十分だった。

「愛してる」

 キスをすると恥ずかしそうな表情をした。それを見ると我慢できなくなり両腕で沙希を抱き上げてベッドに運んだ。






「……いっ!」

 沙希が小さく声を上げる。おそるおそる上目遣いで見ると睨まれた。

「何してるの!?」

「大丈夫、ここなら家の人にもバレないって」

 胸の谷間から少し上のところに赤い跡がついた。それを陸は指でなぞってみた。

「それに……こんなの、すぐ消える」

 言いながら少し胸が痛んだ。だが、消えたらまたつければいいや、と思い直しニヤリと笑う。

「そうかもしれないけど……痛かった」

 沙希は悲しそうな声を出したが怒ってはいないようだ。

「そりゃ思い切り吸ったからね。じゃないと跡がつかない。あーあ、キスマークついちゃった」

「誰よ、つけたのは?」

 沙希が首だけ起こして陸が残した跡を指で触る。

「俺、キスマークなんかつけたの、初めて」

「ふーん」

(もうちょっと喜んでよ)

 沙希の反応が不満だが、その跡を見ると思わず笑みがこぼれてしまう。何日かは残るだろう。それを見るたび沙希は自分を思い出してくれるはずだ。

(でも、少しわかるな……)

 こんなことをする意味が今まで陸にはわからなかった。ましてや沙希に暴力を振るうヤツの気持ちなんて理解不能だと思っていた。



(束縛……か)



 陸は沙希の胸に顔を埋めた。

「くすぐったい」

 抗議しながらも沙希は髪を撫でてくれる。これ以上ないほど安らかな気持ちだった。死ぬときはここで死にたいな、と思う。

「いい匂いがする」

「えー?」

「優しくて甘い沙希の匂い。……お母さんの匂いみたい」

「まだお母さんになったこともないけどね」

 そう言って沙希は肩をすくめる。顔が見たくなって身体を少し起こし上から覗き込んだ。

(……どうしてこんなことを思うんだろう?)

 一瞬ためらったが、陸は思ったことをそのまま口にした。



「お前が俺のかあさんだったらいいのにな」



「……なんで?」

「お前が俺の本当の母親でも……」

「……うん?」



「お前と……できるよ」



 沙希の目が途端に大きく見開かれた。普通驚くよな、とその顔を見て思う。だが陸はそれがそれほど突飛な考えだとは思わなかった。たぶんずっと前からどこかでそう思っていたのだろう。

「……私はそんなの、イヤ」

 皮肉っぽい笑みを浮かべた表情で沙希は言った。

(でも、もしそうだったとしてもお前は拒めないでしょ?)

 今ならそう確信できる。

「まぁ、それくらい俺は本気ってこと」

 軽くキスをして沙希の横に肘枕をした。胸のキスマークとは別に沙希の胸にはほくろに似た跡がある。今度はそれを触ってみる。

「それ、いつの間にか出来てたんだよね」

「へぇ」

「あと、足にも痣があるの」

 沙希は足を上げてその場所を指差した。それが? と問うように陸は沙希を見る。

「これで身元不明のときに私だって確認できるよ。あと歯も矯正してるし」

「お前……何言ってんの?」

 陸はなぜだかわからないが急に苛立ちを感じた。そんな事態など起きるわけがない。それにもしそんなことがあったとして……



「俺は、例えお前がどんな姿になっても、お前のことはわかるよ。髪を切ろうが、後ろ姿だろうが、ばあちゃんになっていようが……。俺がどれだけお前のこと見てるか、ホントわかってない!」



 一気にまくし立てると沙希は叱られた子どものように悲しそうな顔をした。

(そんなこと言われて悲しくなるのは俺のほうだって!)

 ときどき沙希が何を考えているのかわからなくなる。自分の気持ちが膨らむばかりで、こうしている今も片想いと変わりがないような気がした。

(近づいておいでよって言ったよね?)

 陸は手のひらで沙希の胸を包む。すっぽりと収まってしまうほどの膨らみしかないが、小さくてかわいいと思う。沙希の印象そのものだった。

「……小さくてごめんね」

 沙希が消え入るような声で言った。何度その台詞を聞いただろうか、と思う。陸はゆっくりと円を描くように軽く手のひらを動かした。

「……やっ!」

 わずかに身を捩って沙希が応える。その反応に陸は満足する。この人の身体は正直だな、と思うと自然と笑みがこぼれた。

「感度がよければ、大きさなんてどうでもいいよ。それに俺はこれくらいが好き」

 沙希の頬が赤く染まったように思う。もう何度も身体を重ねているのに、恥ずかしそうにするのがおかしい。だがそこが沙希らしいな、と陸は思った。

「またしたくなっちゃった」

「えー!?」

「いいよね?」

「えー……」

 陸は片手を何もつけていない沙希の下腹部に滑らせた。指を彼女の中心に伸ばすと指先が湿る。入り口でかき混ぜるとじわりと溢れてきた。

「いいって言ってる」

「……やめっ! あっ……」

「もうこんなに濡れてる」

 沙希は唇をぎゅっと閉じてイヤイヤをした。

(ちゃんと感じるし濡れてるのに……)

 陸は入り口で指を止める。

(この呪縛だけは解けそうにないな。これ以上どうにもできねぇ)

 沙希が目を大きく開いて問いかけるように見つめてきた。

(あーもう! どうでもいいや)

 陸の表情の変化を見た沙希は少し怯えた目をする。

(ねぇ、俺を見て)

 じっと見つめると沙希の緊張が解けてふにゃっとしたいつもの顔になった。

(俺のことが好きでしょ? ……だったら俺に全部任せてよ)

 陸はニヤリと笑って見せると、いきなり沙希が弱い部分を重点的に攻め始めた。











 沙希がゲーム好きだということを知ったのは、知り合って比較的早い段階だった。ゲームセンターで偶然出会った後、沙希も家では家庭用ゲーム機で遊ぶのだと話してくれたのだ。

 ちょうど沙希と初めてキスした頃に、ビッグタイトルの新作が出た。陸も沙希もお互い購入して、電話ではよくそのゲームの進み具合が話題になっていた。

 今日も陸は少し進めて一息ついたので沙希に電話をした。

「俺、2枚目まで行ったよ」

「へぇ」

 心なしか沙希の返事がいつもより暗い。上の空で返事をしているような感じもした。

「で、お前はどこまで進んだ?」

「ああ、私、もう貸しちゃったんだ。だから当分できないの」

「え?」

 訊かなくても誰に貸したのかは明白だった。心の中に黒い傷ができて、それがじわじわと痛みを伴いながら急速に広がっていく。

「なんで?」

 陸は思わずそう口走った。

「なんでまだ終わってもいないのに、そんな簡単に貸しちゃうの?」

 この前聞いたときはまだほんの最初のほうしかやっていなかったのに、と陸は胸の中で抗議する。黒い傷が陸の心を飲み込んでしまいそうだった。

「なんで……って、だって、貸してって言われたから……」

 沙希が言葉を選びながら答えた。そのおそらく自分に対する気遣いがますますイライラを助長する。

(わっかんねぇ……)

 その腹立たしさをぶつける場所がない。陸は大きく呼吸をして自分の気持ちを静めようとした。

「……あの……?」

 沙希が陸の様子を窺うようにか細い声を発した。

 珍しく数秒沈黙する。



「俺、勘違いしてたわ」



 苛立ちを極力抑えたつもりだったが、言い方が乱暴になった。途端に沙希が警戒したようだ。

「……え?」



「お前は俺の彼女だって……思ってた」



 電話の向こうの沙希が沈黙した。言ってから陸は自分自身がおかしくて鼻で笑ってしまう。

(でも、これくらい言わせろよ)

 日々俺がどれだけ我慢してるか知らないだろう、と心の中で沙希を責めた。

 長い沈黙だった。

 ふと、沙希が泣いている気がした。

「もしかして、泣いてる?」

「……泣いてない」

(嘘つき……)

 イライラがすうっと消えてしまう。本当に素直じゃないヤツ、と思いながら陸は嘆息を漏らした。

「じゃあお前、今するゲームないんじゃない?」

「うん」

 鼻をすすりながら沙希は答えた。やっぱり泣いてたな、と陸は思う。

「じゃあなんか貸してやるよ」

「うん」

(素直じゃん)

 殊勝な様子の沙希に陸は嬉しくなる。

「ね、人生にもリセットボタンがあったらいいなって思わない?」

 気を取り直したらしい沙希が明るい声でそう尋ねてきた。

「は?」

 思いがけない言葉に陸はまた心の中に暗い影が差すのを感じた。沙希がどういうつもりで言っているのかわからない。陸はしばらく沙希の声を聞きながら考えた。

「ポチっと押したらやり直せるの」

(ずいぶん楽しそうに言うな……)

「私は……押すかな」

 沙希は神妙な声を出した。そう言いたくなる気持ちもわからないではない。だが陸は思う。

(俺とのことも……?)

 たぶん訊けば違うと答えてくれるだろう。それでもおそらく沙希はリセットボタンを押すはずだ。



「俺は押さないね。もしリセットしてお前に出会えない人生なら、俺はこの先どんなに残酷な終わりが来ようとお前に出会った人生を選ぶ」



 悲痛な心持ちで陸は一息に言った。

 また重い沈黙が訪れた。

 ごそっと音がした。たぶん電話の向こうで沙希が涙を拭った音だろう。

「泣くなよ」

「だって……」

「俺はお前に出会えて本当に幸せだって思ってる。頑張って痩せてよかったよな、俺」

「何それ?」

 沙希がクスッと笑った。ずいぶん立ち直りが早いな、と思うが沙希が笑うと自分も嬉しくなった。

「だって沙希は太ってる人は嫌いって言ってたもん」

「嫌いというか苦手というか……」

「どっちも同じだし。前のままだったら絶対に対象外だね。たぶん俺のことなんか相手にしない」

「どうかなぁ?」

 本当はどうなのか知りたい。

「まぁ、私は面食いだけど……でも外見だけで好きにはならないかな」

(それは俺のことを言ってるよね?)

 陸はそんな模範解答ですら自分に当てはめて都合よく解釈したかった。

(だって好きだって言ってくれないんだもん)

「俺、人を好きになってこんなに不安になるの初めて」

「……そう。なら、やめとく?」

 チッ、と舌打ちしたいくらいだが、沙希の声が微妙に上擦ったのを陸は聞き逃さなかった。

「でも今、俺に諦めてほしくないでしょ?」

「…………」

 その沈黙はたぶん肯定だ。陸はひとりほくそ笑んだ。

(頼まれても諦めるつもりはないけど)



 そしていつの日かきっと……好きだと言わせたい。



(でも、この人はホント難しいからな)

 電話の向こうで困った顔をしている沙希を思い浮かべながら陸はもう一度訊いた。

「俺と会えなくなったら寂しいでしょ?」

(これなら答えられるだろ?)



「……そうだね」



 沙希の声は小さかったがはっきりと耳に届いた。思ったとおりの答えが返ってきて陸は満足する。

(でも、もう少しだけ俺に近づいてきてよ。もう少しだけでいいから……)

 それでこの胸の不安が消えるとは思わない。だが、そう要求したい感情を抑えることが難しくなってきた。

 陸は既に切れている携帯を握ったまま天井を仰ぎ、二人の恋がいつまでも続くことをただひたすら願った。

 

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1st:2009/07/31
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