その日はとても寒かった。
沙希は寒い中ぶるぶると震えながら公衆電話ボックスの中に入っていた。別に公衆電話から電話をするわけではない。
(タバコ臭いな……)
コートのポケットの携帯をまた取り出して見る。
(遅いっ!)
沙希が見つめる方向には紺色の制服を着た高校生たちがみな首をすくめて下校していく姿があった。
テスト期間中なので全学年の生徒が一斉に下校している。
(そりゃ……こんな中に混ざるのは嫌だけど、黙って待っているのも寒い……)
今日は陸が「一度だけでいいから一緒に下校してみたい」と言うので、終わる時間をめがけて陸の通う高校までやってきたのだ。
(一緒に下校……って私、高校生じゃないし)
でもその願いがかわいらしいと思ったのでついOKしてしまった。
まさかこんな寒い日に当たるとは……。
だんだん校門から出てくる生徒の数がまばらになってきた。
(何してるんだろう……)
黙って立っていると足が冷たくなるので電話ボックスの中で足踏みをする。
するとようやく携帯が震えた。
「ワンコしてから出て行くから待ってろよ」
「はいはい」
そのワンコールがようやく着た。電話ボックスから出ると更に冷気が顔を刺す。
ゆっくりと校門の近くまで歩く。
女子生徒たちが不審な目で沙希をちらちらと見ていた。
玄関の方から、遠めに見てもわかる独特の歩き方で陸がこちらへ向かってきた。
「お待たせ」
「寒いよー!」
「鼻赤くなってるぞ」
「だって……」
突然鼻をつかまれた。暖かい手だった。陸は目を細めて笑っている。
「ホントさみぃ〜」
「その格好は誰が見ても寒いよ」
沙希は横目に陸の姿を再確認する。
学ランにマフラーだけ。
勿論、学ランの中にはセーターを着ているのだが、それにしてもこの北国の冬には薄着すぎる。
「若いから大丈夫」
男子生徒はほとんどが同じような格好で、上着を着ている生徒を探す方が難しいかもしれない。
女子生徒はコートこそ着ているが、いわゆるナマ足がほとんどだ。
冬になればタイツ着用でなければ外出できない沙希には考えられないことだった。
「どうせ私はオバさんですよ」
「お前はさ、身体弱いからちゃんと着たほうがいいぞ」
「言われなくても着てます」
「ふーん。後で確かめよう」
陸はニヤニヤ笑った。
「何言ってんだか……。あっ!」
鼻に冷たいものが当たった。沙希はどんよりした空を見上げた。
「雪……」
「降ってきたな」
陸も同じように空を見上げた。雪がはらはらと音も立てず舞い降りてくる。
「うわ! 浅野くんの頭、もう積もってる」
沙希は指差して笑った。
「俺だけじゃねーし」
吐息が白く煙る。陸の格好は見ているだけでも寒い。
沙希は思わず彼のマフラーに積もりかけている雪を手袋をはめた手で払った。
その手が陸につかまった。
「手繋いでもいい?」
「え? ここで?」
沙希は前にも後ろにも陸の学校の生徒が歩いているのを気にした。
「別にいいじゃん。誰も見てねーよ」
「だって……」
(皆見てるし。浅野くんが後でいろいろ言われちゃうよ?)
沙希は言葉を飲み込んだ。
気にせず陸は沙希の手袋を脱がせて自分の指を絡める。
「お前、手袋はいてるのになんでこんなに冷たいわけ?」
「あの……私、変温動物なの……」
「はぁ?」
昔から沙希はひどい冷え性だ。小学生のときには既に通学で足も手も冷え切っていた。一緒に登校していた友達が歩いているうちに鼻の頭に汗をかいているのに驚いた記憶がある。
「まぁいい」
陸は一人納得して言った。
(……?)
きょとんとしている沙希の顔を覗き込んで囁いた。
「後で温めてやるからな」
「ちょっ! ……今日はちゃんと勉強するわよ」
沙希は真っ赤になりながら怒ったが、陸はまるで気にしていない。
手がぎゅっと強く握られた。
温かい手……。
沙希の心も温かくなる。少し強く握り返した。親指で陸の手を撫でる。
この手を繋いでいる間はきっと大丈夫。
もしいつか陸の気持ちが、この雪のように溶けてなくなってしまうとしても、自分だけは覚えていようと思う。
今、この瞬間を。
この手の温もりを。
いつまでも……。