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学園祭に恋して 9



 ついに学園祭当日がやってきた。

 今日のために夏休み前からコツコツと積み重ねてきたわけで、俺の胸は学校に近づくにつれ高鳴り、実行委員会が制作した学園祭歓迎アーチをくぐると、テンションはマックスに跳ね上がった。

 そしていつもの教室ではなく、お化け屋敷に直行。菅原のほか数名がすでに到着していて、お化け屋敷の最終チェックを行っていた。俺もそれに加わる。

 クラスメイトが揃い、形式的な朝のホームルームを済ませると、お化け屋敷の係分担を確認した。呼び込みと受付、それから浴衣姿の幽霊役は女子が担当し、男子は裏方に専念することになっている。係は1時間交代制で、それ以外の時間はもちろん自由行動となる。

 俺は舞と一緒に学園祭をまわりたいと思い、昼食を共にする約束をしていた。

 こんな学園祭のような行事で校内を一緒に歩いていたら、誰もが俺たちをカップルだと思うだろう。

 だから舞は断固反対すると思っていたのに、驚くほどすんなりOKしてくれた。もちろん俺はめちゃくちゃ嬉しい。でもそのせいで舞が嫌な想いをすることのないよう気をつけなければならない。責任重大だ。

 しかし舞の心境の変化がいつ訪れたのか、妙に気になるところだ。



 ――アレか。きっとアレのせいだ。たぶん間違いない。



 俺は誰にも見られないようにクスッと笑う。

 やっぱりスキンシップの効果は絶大だ。するとしないでは天と地ほどの差がある。とはいえ、まさか舞の態度を軟化させる効果まであるとは思いもしなかったから、これは一挙両得と言ってもいい。

 教室内のスピーカーがブツッと音を立て、唐突に校内放送が始まる。午前9時ジャストに実行委員長が学園祭の開会を高らかに宣言した。

 浴衣に着替えた髪の長い女子が幽霊らしいメイクを施し、暗がりであごの下から懐中電灯を照らし、タイミングをテストしていたが、田中の「お客さん、入りまーす!」という小さな大声で、慌てて明かりを消した。

 お化け屋敷内は静寂に包まれ、裏方たちは息を詰めて客の足音を聞いていた。俺も出口付近の仕掛けで客を待つ。

 セット完成後、予行練習を何度も重ねたのだから大丈夫――そう自分に言い聞かせていた。

「きゃーっ!」

 突然、女性の悲鳴が上がる。そしてバタバタと慌しい足音が場内に響く。

 どうやらあの仕掛けは大成功だったようだ。

 俺は黒いマントを翻し、出口の前に立ちはだかる。

 頭にはシルクハットをかぶり、一応吸血鬼のコスプレなのだが、明るいところで見ると、いかがわしいマジシャンにしか見えない。ま、今はこの衣装に文句を言っている場合ではなかった。

 客は女子のふたり連れだった。俺の姿を確認すると笑顔で「えっ?」と小さく声を上げる。

 その反応には内心複雑なものがあるが、俺はニヤッと笑ってマントの内側で勢いよく紐を引いた。次の瞬間、俺の肩に止まっていたこうもりが客めがけて飛んでいく。

「きゃっ!」

 短い悲鳴が起こった。俺は横に1歩ずれ、道をあける。客は無事に出口へたどり着き、廊下ではクラッカーが鳴った。大成功の合図だ。

 ホッと胸を撫で下ろし、こうもりの仕掛けを肩に戻す。こういった仕掛けの都合で、次々に客を入れることはできない。そのタイミングも昨日の練習では確認していたので、続く客も前後の入場者とぶつかることなく出口までやって来た。

 なかなか順調な滑り出しだ。俺は胡散臭いシルクハットをかぶりなおし、表情も改める。

 廊下を歩く人の数が増えてきた。

 いよいよ外部からの客も来場するようになり、学園祭は活気を帯びる。廊下では「こちらにおかけになってお待ちください」と西こずえが客を案内している声がした。この吸血鬼の格好で廊下を覗くわけにもいかないので、受付と進行係が上手く連携してくれることを祈るばかりだ。

 そうして30組ほどの客を出口へ送り出し、この吸血鬼役が板についてきたなと思ったころ、通路の向こう側から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「なんなの、この仕掛け! セクハラだわ!」

 鼻息荒く言い捨てる、その威勢のいい声は、たぶん1年の桜庭とかいう女子のものだ。昼休みに堂々と俺たちのクラスに入ってくるだけあって、上の学年を完全になめている。彼女は年長者に対する尊敬とか、畏怖のようなものはまったく持ち合わせていないらしい。

 せっかく周囲から「かわいい」とちやほやされる容姿を持っているのに、使い方を誤っているとしか思えないが、桜庭さんもまだ高校1年生だ。いろいろな経験をして、これから徐々に角が取れていくのだろう。

 ――彼女にはまったく興味ないけどね、俺は。

 そして桜庭さんとその友達が出口前に到着した。

「あっ! 清水先輩!」

 桜庭さんの顔が花が咲いたように満面の笑みになる。しかしその笑顔はかわいいというより、凄味さえ感じられて怖いくらいだ。

 俺は眉に深く皺を刻んだまま、近づいてくる桜庭さんとその友達にこうもりを放つ。それから脇によけようとしたが――。



「きゃーっ! 怖いー!」



 ドンとなにかが俺に体当たりしてきた。

「ちょっ、放せ! 出口は後ろだ」

「だって怖かったんだもん。少しこのままで……」

「はい、時間です。スムーズな運営にご協力ください」

 俺はしがみついてくる桜庭さんを引き剥がし、友達のほうへ押しやった。友達は驚いた顔で桜庭さんと俺を見比べている。

「先輩、その格好、写真撮ってもいいですか?」

「そんな時間ない。悪いけど、君のためにこのお化け屋敷全体を止めるわけにはいかないんだ」

「えー、すぐ終わるのだし、少しくらいいいじゃないですか」

「さ、もう出てくれる? これ以上営業妨害するなら、君の担任に報告させてもらうよ」

「別に担任なんか怖くないけど」

「桜庭さん、早く出よう。皆さんに迷惑だよ」

 桜庭さんの友達は彼女より賢かった。俺の機嫌が悪くなってきたことに気がついたらしく、まだなにか言おうとする桜庭さんの背中を押して退場する。

 俺は急いで着崩れたマントを直し、次の客のために準備をした。

 いくら1学年の中で一番かわいい女子とはいえ、桜庭さんに抱きつかれても迷惑でしかない。ついでにあの「世界は私を中心に回っている」的態度、俺はやっぱり苦手だ。

 そう考えると俺って、子どもっぽい女子より、大人の女性のほうが好きなのかもしれない。単に年上がいいというわけじゃなく中身が大人という意味で、ね。

 だから舞のことを好きになったのも、俺の中では当然というか必然だったように思う。舞は普段他人に無関心な態度をしているが、実はとても情の深い部分がある。そして相手の気持ちを推し量る豊かな想像力――つまり俺に足りないものを持っていたから、強く惹かれたんだ。

 俺は暗がりでニヤけていた。慌てて表情を引き締め、頭を切り替える。

 それからしばらくすると出口の暖簾(のれん)から堀内が顔を出した。

「清水、交代の時間」

「ああ」

 堀内は俺の頭からシルクハットを奪い取り、俺がつけていたマントを肩にかける。シルクハットから長い前髪が垂れ下がり、それだけでも妖しげな雰囲気が漂っていたし、黒いマントは線の細いひょろっとした身体によく似合っていた。

「堀内、吸血鬼が俺より似合うな」

「まぁね。ホントに美女に吸いついてもいいなら、もっとやる気出すんだけど」

「……お前、本当にやりそうだからヤダ」

 堀内は声を出さずに笑った。

 そういえばヤツの彼女、高梨にどうやらアレが来たらしい。そのせいか堀内の笑顔がいつもより華やいで見えた。

 しかし恋愛に関して、俺がこの男に後れを取っているとはどうにも納得がいかない。付き合い始めたのは俺たちのほうが遅いのだから仕方ない部分はあるにしても、相変わらずチャラいところのある堀内を高梨はどう思っているのだろう。

 相手がとっかえひっかえするような男でも「別にいいいんじゃない」と言い放った舞ですら、俺が女性と話をしているといい顔をしない。いや、俺は舞のそういう部分を好ましく思っているのだけど。

 でも堀内と高梨は互いにそういった些細なことで嫉妬するような雰囲気がないのだ。

 あれはやっぱりふたりの結びつきが強いからなのだろうと、俺は思う。それは付き合っている日数に比例して強固になるものなのか、それとも物理的な結びつきの効果なのか、そのあたりを是が非でも知りたいのだが……。

 堀内に出口を任せて、俺はお化け屋敷の裏側へ入った。

 昼に係を外してもらうため、午前は連続でお化け屋敷要員になっていた。今度は屋敷の中間で客を入れるタイミングを調整する係で、裏方の中でもかなり重要な任務と言える。

 受付には女子バレーボール部の山辺さんがいた。隣には西こずえの金魚のふん的存在の藤谷さんが座っている。

「清水くん、よろしくね」

「合図出したら、客入れて」

「任せて!」

 山辺さんが親指を突き立てて見せる。確認が終わると同時に新たな客を迎え入れた。

 この1時間は夢中で仕事をしていたせいか、あっという間に終わった。来客数が増えてきて、係を交代する午前11時ころには廊下に30人以上が並んでいた。

 企画書を作成した俺としては、この盛況ぶりを目の当たりにして嬉しくないわけがない。自然と頬が緩んでしまうが、必死でポーカーフェイスを装う。

 自分たちで作り上げたものが、他の誰かを楽しませるなんて、最高にエキサイティングなことじゃないか。

 というわけで俺は弾むような歩調で廊下を進み、舞と待ち合わせをした体育館前へ向かった。

 体育館内のステージでは、ちょうど軽音部がテンポのかみ合わないロックを披露中だ。

 舞はその演奏を客席の最後列に座って聴いていた。さりげなくその隣に座り、俺は舞の横顔を見る。

「楽しい?」

「えっと、やはりプロのバンドのみなさんって本当に上手なんだな、と再認識しているところ」

「それ、アイツらが下手くそだって言ってるのと同じだよ」

 俺が笑いながら言うと、舞は少し慌てて「いえ、そうではなくて」と否定する。

「よく『みんなで心を合わせて』と簡単に言うけど、実際は難しいことでしょう」

「まぁ、そうだね」

「特に彼らはそれぞれ自己主張が激しそうだな、と思って。でも頑張ってるとは思う」

 舞の目はステージ上に向けられていた。眼鏡の奥でほんの少し目を細めて、困ったような笑みを浮かべる。

 俺はその慈悲深い視線に嫉妬した。

「ずいぶん、上から目線だね」

「あ、いや、そうではなくて……」

「舞はロックとか好きなの?」

「わりと好きかも」

「へぇ。俺も好き」

「カラオケで歌ってましたね」

 ちょっといい雰囲気になってきた、と思ったそのとき、突然、俺の隣に誰かが勢いよく腰かけた。

 そして俺のほうを向いて、その人が口を開いた。

「かわいいお嬢さんね。えっと、なんていうのかしら……こけ、こけ?」

「コケコッコー!」

 さらに向こう側から見覚えのある中学生の女子が、聞きなれた声を上げる。途端に俺の顔は青ざめた。

「違うわよ。こういう女の子の雰囲気を、ほら! こけ……なんとかっていうじゃない?」

「こけ……し?」

「ああん! 近いけど違う。和風じゃなくて、カタカナで、コケ……」

 俺は隣の席に座り込んできた、自分の母親の顔をまじまじと見つめた。背後で舞が今にも震えだしそうな様子でビクビクしているのが、手に取るようにわかる。

「コケティッシュ、とか言いたいんだろ。いいからふたりともどっか行け!」

 そもそも「こけし」と「コケティッシュ」のどこが近いんだ。

 そう憤りながら母親と妹を睨みつけたが、ふたりは俺の怒りなどまったく気に留めず、それどころか身を乗り出して舞をじろじろと観察している。

 しかしこのふたりに遠慮というものはないのか。

 ――ない、な。あるわけがない。

 俺は舞を隠すように背筋を伸ばす。

「あらあら、母親に向かって『どっか行け』なんて、そんな口の利き方、教えた覚えがありませんけれども。ね、笑佳?」

「はる兄は言葉が乱暴だから嫌。きれいな顔なのにかなり損してるよね」

「……嫌なら俺のところに来るな」

 よく40代の人気女優に似ていると言われる母親と、中学生にしては大人びた妹の顔を交互にねめつける。ふたりは顔を見合わせて不満そうな顔をした。

「そんなに冷たくされたら、泣いちゃうんだから!」

「え、ちょっと、お母さん?」

 手で顔を覆った母親はわざとらしく「うえーん」と声を上げた。

 すると後ろで舞がプッと噴き出した。

「……舞?」

「あ、すみません」

 舞は笑いを無理矢理引っ込めて、首を縮めた。

「舞ちゃんっていうのね!」

 突然、泣きまねをしていた俺の母親が、ガバッと顔を上げ、目を輝かせる。妹の笑佳も目を丸くして舞を見つめていた。

「あの、高橋舞と申します」

 消え入りそうな小声だったが、舞ははにかみながらそう言った。俺は舞を振り返る。案外、落ち着いた様子だ。

「あらあら、暖人の母です。いつもお世話になってます」

「と、とんでもないです。私のほうこそいつも清水くんに迷惑をかけまくっていて……」

 舞はすっかり恐縮した面持ちだったが、俺の母親と普通に会話をしている。その不思議な光景を、俺は奇跡を見るような想いで眺めていた。

 まぁ、BGMはそれをぶち壊すような調子ハズレのロックなんだが、この際それも許してやるか。

 このやり取りで満足したのか、俺の母親は「それじゃあ」と席を立った。

「暖人、舞ちゃんを泣かせるようなことをしたら、私が許しませんからね」

「わかってる」

「じゃあ、舞ちゃん、また会いましょうね」

 ひらひらと手を振りながら、母親と妹はあっという間に立ち去った。やって来たときも突然だったが、いなくなるのも素早い。もしかすると、あの母親にしては珍しく俺たちに気を利かせたつもりなのかもしれない。

「ごめん。びっくりしたよね?」

 俺は舞のほうを向く。

「え、……まぁ、少し」

 こういうとき、舞はとても素直だ。

 たいていの女子は俺に媚を売るかのように「ううん、全然」などと平気でウソをつく。それから母親の容姿を大げさなほど褒めちぎる。そのたびに小さくため息をついてきた俺としては、舞の素朴な反応が嬉しい。

「でもおもしろいお母様ですね」

「コケコケ、しつこくてごめん」

「うちの母親も普通とは言いがたいけど、清水くんのお母様はなんというか、かわいらしい……?」

「どこが!?」

 俺は思わず大きな声を出した。舞がびっくりした顔をする。

「若く見せようとして、ことごとく失敗しているイタイ母親だよ。ついでに頭も弱い」

「そうではないと思います。私は素敵なお母様だと思いましたよ」

 やけにはっきりとした口調で言い切った舞は、俺を見てにっこりと笑った。

 その瞬間、カシャッと胸の中でシャッター音が鳴る。

 できることなら今を切り取って、心の奥に焼き付けておきたいと思う。好きなときにいつでも取り出して眺められるように。

 その笑顔がいつまでも色褪せないことを願いながら、俺も彼女に微笑み返した。





 ほとんど騒音に近いロックを背にして、俺たちは体育館を出た。それから「しろくま食堂」に向かい、人目を避けるように窓際の席に座る。

 他人になにを言われても、俺は気にしない。
 
 だけど面倒なことに巻き込まれて、舞とふたりで過ごす時間がぶち壊されるのは嫌だ。

 そもそも他人の存在が邪魔だった。舞を連れて月まで飛んでいけるなら、俺は他のすべてを捨ててもかまわないとさえ思う。とにかく俺たちにはもっと時間が必要なんだ。

 しかし現実はそう簡単に俺の願いを叶えてくれない。

 舞が月見うどんを食べ終えたので食堂を後にした。残り時間を気にしながら美術部と書道部の合同展示室を回り、お化け屋敷の手前で「じゃあ」と切り出す。

「後夜祭が終わったら、駅まで送る」

「うん」

「受付の仕事、頑張って」

 舞は小さく頷いた。本当は受付ではなく、幽霊の役をやりたかったと言っていたが、髪の長い女子限定だったため、おかっぱの舞は立候補できなかったのだ。

 まぁ、幽霊も似合っていたかもしれない。でも舞が眼鏡を外して、顔を白く塗ったら、なまめかしすぎる。お化け屋敷に入る客は女性ばかりではないのだ。

 それに他校の生徒の姿も多くなってきた。ヤツらは少しでも好みの異性を見つけるため、目を皿のようにしている。もし他校の男子に声をかけられたとしても、舞はまず相手にしないだろうが、俺はいい気分がしない。

 そういうことを言い出すと、受付だってやらせたくないけど。

 でも受付は女子ふたりで担当しているし、必ず周囲にクラスのヤツがついている。暗闇の中、ひとりで幽霊役をやらせるよりは安心だ。

 俺はお化け屋敷へ戻る舞の背中を見送りながら、舞のことになると、まるで父親のように心配性になってしまう自分に、心の中で苦笑した。


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 1st:2012/08/23