HOME


BACK / INDEX / NEXT
ないしょの関係 1



 ――大変なことになっちゃったな……。

 それが私の実感だ。

 今、私は学校の玄関にいる。何気なく靴を履いて普通の顔で玄関を出る。

 しばらく住宅地が続くのでとぼとぼと歩く。

 この学校の悪いところは住宅地の外れにあることかもしれない。なぜなら生徒のほとんどがこの道を歩くから、今の私がこんな目に遭っているのだ。

 でも、別に嫌々やっているわけじゃない。むしろ気持ちは空を飛べそうなくらいふわふわしている。

 ――ホント、飛んでいけたらいいのに。

 いやいや、ダメだ。飛んだら目立ちすぎる。目立たないようにとぼとぼ歩いているのだ。勿論、私は普通の人間だから飛べるはずもないんだけど……。

 そんなおバカなことを考えていると、ようやく片側三車線のやけに太い国道に出た。

 私は周囲を見渡した。勿論、何気なく、だ。



 ――よし。大丈夫そう!



 信号を渡ると、右へ曲がる。なぜだか急ぎ足になっている。まだここは生徒の大半が通る通学路だから、焦ってはいけない。

 そう思うものの、身体が言うことを聞かない。勝手に動き出すのだ。

 走り出したい気持ちを何とか堪え、小さな路地を曲がる。

 すると、自転車に跨って空を見上げてる男子の背中が目に飛び込んできた。白いシャツが眩しい。



 ――い、いた! ホントにいた!



 心臓の音がドクンドクンと大きくなり、胸が破裂しそうだ。

 こんな展開はティーン向けの小説みたいで、本当に自分の身に起きていることだとは、今この瞬間ですら信じがたい。

 しかも、相手が彼だというのがありえない度数を跳ね上げている気がする。

 そう思った途端、何気なく彼が振り向いた。

 目が合って、呼吸が止まる。彼が笑顔を見せたからだ。

「今日はのんびり歩いてきたんだ?」

 清水くんは自転車から降りて、ひょいと私の鞄を奪い取った。すぐに荷台に乗せる。



 ――あ、今日は二人乗りはしないんだ。



 少しホッとして、かなりがっかりした。自分でも気がつかないうちに、私は何かを期待していたらしい。

「……舞?」

「ひっ!」

 突然名前を呼ばれて、驚愕のあまり変な声を出してしまった。

 手で口を押さえて清水くんを見ると、怪訝な顔で見返される。

「もう学校じゃないし誰もいないんだから、そんなにビクビクしなくていいよ」

 私はその言葉に素直に頷いた。でも、ビクビクしているのは誰かに見られると困るからではない。

 ドキドキしながら思っていることを口にした。

「あの……私、こういうの初めてで……」

「こういうの?」

「うん」

「こういうのって、どういうこと?」

 え? それを聞き返しますか?

 困惑してうつむいた私の顔を覗きこむように清水くんが背を丸めた。

「えっと、その、つ、付き合う……とか」

「ああ」

 清水くんはニッコリと笑い、自転車を押して歩き始めた。私も遅れないように慌てて歩き出す。

「それで?」

 ――だから、付き合うとか初めてだから困ってるって言ってるじゃない!

 と言えるわけもなく、とぼとぼと下を向いて歩く。

「一緒に帰るのも嫌だってこと?」

 少し悲しげなトーンの声が聞こえてきて、私は思わず清水くんを見上げた。

「そうじゃないんだけど……」

 ――あ、アレ!?

 機嫌を損ねたのかと思ったら、彼は思いのほか機嫌の良さそうな顔で笑っていた。

「俺は学校の中でも普通に話したり、舞って呼んだり、付き合ってるって言いふらしても全然かまわないし」

「ダメ! それは困る」

 私は焦って首をぶんぶん横に振った。そもそも話が違う。約束は守ってもらわないと困るのだ。

「学校の中では今までと同じようにただのクラスメイトとして『高橋』と呼ぶって約束したので、それを破ったら一緒に帰るのもやめる」

「マジ?」

 清水くんの笑顔が少し引きつったような気がして、私はほくそ笑んだ。彼より優位な立場にいるというのは気分がいい。

「勿論マジです」

「でも別れるとか言わないよね」

 急に彼の顔に凄みが加わった気がした。その目に吸い込まれるように見入ってしまった私の頭の中には「別れる」という言葉だけがぐるぐると回る。

 好きだと自覚して間もなく清水くんも私のことを好きだと言ってくれたのは、奇跡としか言いようのない出来事だった。

 だから正直なところ、それからの私は嬉しいを通り越してパニックに陥ったままでいる。

 そんな私が付き合い始めて数日しか経っていないのに、別れることなんて考えているはずもない。

 だが、考えてみれば付き合うということは、同時に別れるという結末がついて回るのだ。

 そう思った瞬間、重量挙げのバーベルがドスンと落ちてきたような衝撃が胸の中に走った。



「……清水くんのほうこそ、そう考えてるんじゃない?」



 激しく動揺する気持ちを宥めながら、ようやくそう言った。言いながらズキズキと胸が痛むが、皮肉を言うほうが気持ちが落ち着くのだ。

 根っからのひねくれ者なんだよね、私。

 ところが、清水くんは微笑を浮かべて、少しだけ首を傾げた。その姿に一瞬だけ心臓が跳ね上がる。

「全然。俺、こう見えても結構一途なところあるし、舞とは簡単に別れたくないし」

「どこら辺が一途?」

 彼の言葉で顔がぼっと赤くなってしまったので、照れ隠しに揚げ足を取る。

「どこからどう見ても一途でしょ。ていうか、説明するようなことじゃないから」

 確かにそうだ。私は自分の靴先を見て、それからふと疑問に思ったことを口にした。

「それで、これからどこに行こうとしてるの?」

 隣でクスッと笑う声が聞こえたので、厳しい視線をぶつける。笑う意味がわからない。

 訝しく思っていると、清水くんは笑いを噛み殺しながら言った。



「いいところ」

「……はぁ!?」



 私は大声を上げて清水くんから横に一歩ずれる。そして改めて彼を非難の目で見た。

「え、舞は何を想像してるわけ?」

 またクスッと笑われる。



 ――べ、別に、変なことを想像しているわけではないですが、彼の言い方が変なんです!



 心の中で誰ともなしに言い訳する私……。

 そこに彼の明るい声が聞こえてきた。



「Yデンキに行こうと思ってるんだけど」



「え? 何しに?」

「ケータイを見に」

「ああ……」

 相槌を打つのに開いた口が徐々に笑いの形になり、同時に腹の底からふつふつと笑いがこみ上げてくる。

 清水くんは開いた二人の距離を一気に詰めて、私の耳元で囁いた。



「期待外れだった?」

「何も期待してませんっ!」



 私がキッと睨み返すと、彼はまた懸命に笑いを噛み殺している。本当にこの人は悪趣味だ。私をからかって何が楽しいんだろう。

「舞の家は厳しいほうなの?」

 ようやく笑いをおさめた清水くんはそう聞いてきた。

「普通……だと思う」

「じゃあケータイはどうかな? ダメって言われそう?」

「わからない。今まで相談したこともないし、そういう話題が出たこともないし」

「そっか。でも電車で通学してたら持っていたほうが便利だよね。最近、公衆電話もほとんどないし」

 そうなんです!

 今やケータイを持っていない人のほうが少数派という時代。小中学生だって持っている時代なのだ。

「やっぱりケータイを持ったほうがいいのかな」

「そのほうが連絡取りやすいってだけで、別にどうしてもってわけじゃないんだけど、でもメールとかやっぱり便利……」

「メール」

 私は思わず彼の言葉を遮った。メールという言葉で急に思い出したことがある。

「パソコンなら持ってる」

「ん? 自分の?」

「うん。高校生になったときに買ってもらった」

 途端に清水くんの顔が輝いた。

「それを早く言ってよ! じゃあ、後で俺のメアド教えるから、メールちょうだい」

「なんで?」

 反射的にそう答えていた。

「舞って本当に素直じゃないよね」

 冷ややかな声が返ってくる。それは自分でもわかっているんだけど……。

「だって、何を書けばいいのかわからないもの」

「何でもいいじゃん。あ、そうだ。今読んでる本のことを教えてよ」

「毎日隣で見てるから知ってるでしょ」

「じゃあ、感想を」

「感想文、苦手」

「舞のケチ」

「…………」

 まるで小学生の会話のようだと思いながら大きくため息をつくと、隣から「しようがない」という声がした。

「この際『あ』だけでもいいや。とにかくメールちょうだい」

「……まぁ、それなら……」

 ここで妥協する自分もどうかと思いながら、チラッと隣を見上げると本当に嬉しそうな顔をした清水くんと目が合って、また顔が赤くなってしまう。

 そんな会話をしていたらあっという間にYデンキに到着してしまった。





 店内を我が物顔でスタスタと歩く清水くんの後ろからキョロキョロしながらついて行くと、目指すケータイ売り場が見えてきた。

 到着する前から何だかまぶしい空間だ。

 父と姉は以前から持っているので、ケータイは私にとって珍しいものではない。でも、自分用となると話は別だ。

 清水くんのケータイは何度か見たことがある。シンプルな黒のケータイで、ストラップなども付けていない。

 逆に私の姉は、ケータイとストラップとどちらが主体なのかわからなくなるくらい、いろいろなストラップを重ね付けしている。おそらく本人が気に入ったものを無節操に取り付けていったのだろう。

 ――もし私がケータイを持つとしたら……



「これ、かわいいな」



 思考中に突然清水くんの声が聞こえた。かわいいと言う声が妙な響きを帯びていて、背中がぞくっとする。

 彼が手に持っているのは女子専用としか思えないピンク色のケータイで、それを見た途端、私はギョッとした。

「そう?」

「舞の趣味じゃないか」

 そう言ってケータイを戻した清水くんはふらりと別の陳列棚へ移動する。

 私は彼に握られていたピンク色のケータイを少し離れたところからじっと見つめた。

 ――ピンクか。……嫌いじゃないけど、何だか抵抗感があるな。

 でも確かにかわいい。隣に白と黒の色違いが置いてあるが、やはりピンク色が抜群にかわいかった。

 そして値札を見て目が点になる。

 ――結構なお値段で。

 どうしたものかと思いながら一応売り場を一回りすると、電車の時間が近づいてきたので店を後にした。

「気に入ったの、あった?」

 自転車を押しながら清水くんが訊ねてくる。

「うん、まぁ……」

「気のない返事だね」

「だってお金のこと考えたら、親に言い出しにくいなって思っちゃった」

 まずケータイを購入するのにまとまったお金が必要で、その上使用料を毎月支払わなければならないことを考えると、自分のお小遣いで全部まかなうのはたぶん不可能だ。

 そうなるとやはり金銭的な面でも両親に頼らなければならない。我が家が取り立てて貧乏なわけではないが、どうも親に甘えるのが苦手な私は、相談すること自体が億劫になっていた。

「そっか」

 清水くんは一言そう言ったきり、しばらく黙ってしまった。



 ――あれ、もしかして怒ってる?



 私は沈黙した彼の隣を歩きながら困り果てていた。この展開は初めてのパターンだ。

 どうしようかと悩んでいるうちに駅に着く。Yデンキから駅までは目と鼻の先なのだ。

「あの……ここでいいよ」

 自転車置き場に自転車を停めようとした清水くんの背中に呼び掛けた。

 彼は無言で振り向くと形のよい眉をきゅっと中央へ寄せた。



「他のヤツにいろいろ言われるのは、やっぱり嫌?」



 清水くんが静かに言った。

 私はただその場に立ち尽くして、彼の真剣な眼差しを受け止めるだけしかできない。



「俺に関わって後悔してる?」



 続く問い掛けには首を横に振った。

 彼がどうして急にそんなことを言い出したのかわからなくて、惨めな気持ちがあふれ出そうだった。

 数秒じっと私の目を見ていた清水くんはフウッと大きく息を吐いた。それから自転車を停めて鞄を二つ持つと「行くよ」と私を促す。

 でも私はその場に根が生えてしまったように動けないでいた。

 行かなきゃいけない。電車に乗り遅れてしまう。この電車に乗り遅れたら、次は二時間以上待たなければならないのだ。

 それでも私は清水くんを見つめたまま、同じ場所に突っ立っている。

 動こうとしない私に業を煮やしたのか、彼はつかつかと私の目の前までやって来た。

 そして同じ目線まで屈むと、いきなりニッと笑ってみせる。



「…………!」



 眼鏡の奥の奥まで見透かされたような感覚に驚いてひるんだ瞬間、彼は私の手を掴んで走り出した。

「ちょっと、待って!」

「乗り遅れてもいいの?」

「それは、困る、けどっ」

 足が長くてしかも早い清水くんに引っ張られて、私は息を切らしながら答える。



 ――でもこのまま改札口まで行って誰かに見られたら……



 そんな不安が胸の中で爆発しそうなほどに膨らんだときだった。

 清水くんが掴んだ私の手にぎゅっと力を込めてきた。



「いくらバレないようにこそこそしたって、遅かれ早かれバレるよ」

 私の考えはすっかり読まれていた。それでさっきから怒っていたのだろうか。

「だけど、そしたら、困る、でしょ」

 だって私なんかと付き合ってることがみんなに知れたら、清水くんにはダメージが大きすぎるもの。



「誰が?」



 階段を駆け上がったところで清水くんが振り向いて言った。手は繋いだままだ。そのことに気がついた私は急に恥ずかしくなり、耳までカッと熱くなるのを感じた。

 そっと振りほどこうとしたが、それどころか逆に指を絡められてしまう。

 清水くんは全てお見通しというように鋭い目つきで口の端を笑みの形に吊り上げた。



「俺は困らない。何も悪いことしてないから。誰に何を言われてもかまわない」



 力強い口調に圧倒されて、私は絶句した。 



「でも舞は違うよね。それにきっとこれから周りからの風当たりも強くなると思う。だから、学校やこういう知り合いの目に付く場所では今までどおりにしてほしいっていう舞の気持ちはできるだけ尊重したい」



 ――困るのは……私?

 ――私の気持ちを……尊重……



 清水くんを見上げて、その顔を食い入るように見つめる。

 ――それ、本気で言ってる?

 冗談を言うような状況ではないことはわかっているが、それでも確認せずにはいられない。

 私の分厚い眼鏡の奥の目を真っ直ぐに捉える彼の視線には、そんな疑問を挟む余地もなかった。

 突然、繋いでいた手がはなされて、所在のなくなった私の手の前に鞄が差し出される。

「だから今日はここまで。ほら、早く行かないと乗り遅れるよ」

 鞄を受け取った私の背を空いた手でポンポンと叩くと、後ろに一歩下がる。そして彼はその手をひらひらと振った。

 つられてぎこちなく手を振りながら前を向いて改札口へ通じる長い通路を歩き出す。

 一人で歩くことが不安で泣きたくなるくらい寂しく感じた。それくらい清水くんの存在が私の中で大きくなっていたのだ。

 十歩くらい歩いたときだった。

 後ろから誰かが走ってくる足音がした。すぐに肩をつかまれる。



「忘れもの。手を出して」

「え?」



 言うが早いか私の手を乱暴につかんで手のひらを上に向けさせる。

「ちょっと、何?」

「メアド」

 黒のボールペンでアルファベットを次々と書き込んでいく。手のひらがくすぐったいが我慢した。手のひらなんて書きにくいはずなのに、やっぱり読みやすい綺麗な文字が並んでいる。

 書き終わると彼は満足そうな顔でもう一度私の背を押す。

「じゃあ、メール待ってるから」

「期待はしないでね」

「めちゃくちゃ期待してるから、よろしく!」

 何ですか、その「よろしく」って……。

 突っ込みたいけれどもそんな時間はない。どうしようもなく笑いがこみ上げてきて、頬を緩ませながら走った。

 改札口に近づいてからチラッと振り返ると、長い通路の向こうで清水くんが軽く手を上げたのが見えた。近くに同じ電車の学生がいないことを確かめてから、私も小さく手を振り返す。

 見送ってくれる彼の姿をずっと見ていたい――そんな気持ちを振り払うように勢いよく前を向くと、私は小走りで改札口を通り抜けた。


BACK / INDEX / NEXT

HOME


Copyright(c)2010 Emma Nishidate All Rights Reserved.

 1st:2010/05/24