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涙色の彼女 8



 月曜の朝はいつもと少し違う朝だった。

「おはよう」

 俺は舞のそっけない返事を覚悟して声を掛ける。実はこれが結構心臓に悪い。

「おはようございます」

 普段となんら変わりのない返事だが、俺はその舞の表情に数秒間釘付けになった。眼鏡の奥の瞳に答えを探すような気持ちだ。

 ほんの少しだけ微笑んだように見えたのは錯覚だったのだろうか?

 瞬時に舞は無表情に戻り、無関心の空気を纏い直したようだ。

 でも、俺は微妙に変化した舞の態度に敏感だった。授業中、わざと腕がぶつかるくらいに近付いても、舞はもうあからさまに避けたりはしない。それは明らかに進歩だからもろ手を挙げて喜ぶべきところなのに、俺は心の片隅でなぜかほんの少し彼女の変化を寂しく感じていた。

 そして、昼休みに事件が起こった。





「あの……私と付き合ってください」

 俺は田中から借りた漫画に読みふけっていた。仕方なく傍らに立つ女子を見る。確か一年生でかわいいと評判の子だ。

「俺、今気になる人がいて、キミとは付き合えないよ。ごめんね」

 自分にしては優しく丁寧に断ったほうだと思う。何しろ、無関心を装ってはいるが、隣には舞が座っている。聞こえていないフリをするだろうが、絶対彼女は聞いているはずだ。

 だから俺からするとこのセリフは、むしろ舞に対して告白しているようなものだった。

 ――まぁ、全然気がついてないと思うけど。

 諦め半分でちらりと舞の様子を窺うと、本を開いてはいるものの、何やら眉に皺を寄せて難しい顔をして瞬きを繰り返している。

 思わず笑い出したくなるのをこらえて、改めて俺の席の横に突っ立っている訪問客を見た。

「その気になる人って、私よりもかわいい人なんですか?」

 彼女は挑むような視線をよこしてそう言った。

 よくそんな自信満々な発言ができるな、と感心しながら彼女をまじまじと見つめた。確かに容姿はそれなりのレベルだが、周りがちやほやしすぎるのか全身から「私はかわいい」という傲慢さが滲み出ているようだ。

 そういうツンツンしたところが好きだという男もいるだろうが、はっきり言って俺のタイプじゃない。

 できればその天狗の鼻をへし折ってやりたいという意地悪な気持ちが俺の中で大きくなる。

「うん」

 彼女は不愉快だとばかりに鋭い目つきで睨んできた。まだ納得が行かないらしい。

 この際、そういうところが苦手なんだとはっきり言ってやりたいが、この人目の多い場所であまり過激な発言はしないほうがいいような気がして、結局無難な路線で彼女を退けることにする。 

「あそこにいるサッカー部のヤツ、知ってる?」

 俺はクラスメイトの菅原(すがわら)を指差した。

「はい。人気ある人ですよね」

 そうなのだ。菅原は身長も低めで足も短めだが、いわゆるサッカー馬鹿で、少し垂れ目気味のところが一部の女子に絶大な人気があった。

 それをいいことに菅原は二股をかけるくらいのことは日常茶飯事で、俺と同じくらい悪評高くもある。ちなみに俺は菅原のことはあまり好きじゃない。

「そう。例えばさ、キミがもし今、アイツに『付き合って』って言われたら、キミはどうする?」

「お断りします。私は清水先輩が好きなんです」

 ――菅原、ご愁傷様。

「つまり、そういうこと」

「……わかりました。でも私、諦めませんから」

 そう高飛車に言い捨てると彼女は回れ右をして教室を出て行った。

 俺はとりあえず面倒を回避したことに満足して、また漫画を読み始めた。

 すると誰かが前の席に座る気配がした。それが田中なのは見なくてもわかる。

「おい、清水。あれ、1年で一番かわいいって子だろ? フっちゃって勿体ねぇな。いいのかよ?」

 田中は深刻そうな声を出した。

「いいも何も、興味ない」

「珍しいな。1年のときはかわいい子なら即オッケーだったろうが」

 確かにそういうこともあった。それは否定できないが、今、ここで言われたくはない。

「人聞き悪いこと言うなよ」

「本当のことだろ? とっかえひっかえ……」




 ――余計なことを言うな!




 俺は漫画の雑誌を机に叩き付けた。田中と舞が驚いて肩を震わせる。

 一つ深呼吸をしてから、口の軽い田中にとてつもなく寛大な気持ちで話しかけた。

「これ、ありがとう。面白かった」

「お、おう」

 田中はわけがわからないらしくきょとんとしたままだ。当然、説明してやる気もないが。 

「俺、高橋さんと話がしたいから、どこか行ってくれる?」

 一瞬だけ「え、なんで?」という顔をしたが、俺が笑顔のまま目つきを少しだけ鋭くすると、素直に退場してくれた。

 今更、清純派を気取るつもりはないが、それでも俺は舞と話をしなければならないと思ったのだ。

 ――さて、と。

「高橋さん、全部聞いてたよね?」

 気が進まないが、舞への尋問を開始する。

「い、いえ、何も聞いてないよ。私、本読んでたし」

 舞はあくまで白(しら)を切るつもりらしい。

「さっきから同じページを行ったり来たりしてるみたいだけど」

「私、カタカナの名前ってなかなか覚えられなくて『この人誰だったかなぁ』と思ってね」

「それ、カタカナの名前の人出てこないでしょ。夏目漱石の『明暗』って表紙に書いてあるように思うんだけど」

 諦めたのか、舞はようやく俺を見た。腫物に触るような態度が癪に障るが仕方がない。

「さっきアイツが言ったみたいに、女の子をとっかえひっかえするような男って最低……だよね?」

 俺は言いながら、激しく気分が滅入っていくのを感じた。この回答次第で俺は、自分がかなり厳しい立場にいることを嫌でも自覚しなければならない。

 

「……別にいいんじゃない?」



 意外にも俺を励ますような力強い語調だった。

「それはどういう意味?」

「どうって……それは人それぞれだと思うから。私が好む好まないは関係ないことだと思っただけ」

 ――なるほど。

 俺は頬杖をついた。考えてみればそれは至極当然の答えだった。

 だが、俺の立場は厳しいどころではない。そもそも眼中にもないと言われたのだ。

「つまり、高橋さんは俺に興味がないということ?」

 ここで引き下がらないのが、俺。

 今まではそうかもしれないけど、今日からは俺に興味を持ってもらいます。

「きょ、興味って……」

 ――困ってる、困ってる。

 内心、俺はほくそ笑んだ。

「答えにくいでしょ? じゃあ、好きな人がもしそういうヤツだったら?」

「別に……」

 ――強がっちゃって。

「気にしないの?」

「まぁ……」

「浮気されるかもしれないよ?」

「それは、そういう人を好きになったんだったら仕方ないんじゃない?」

 ――仕方ない?

 かなり意外な言葉だった。それは相手の嫌な部分も受け入れるということだろうか。俺なら無理だ、と思う。

「高橋さんってやっぱり変わってるね。あ、悪い意味じゃなくて。普通は『そんな男はイヤ』って思うからさ。俺だって自分の好きな人がそんなだったらやっぱり嫌だし」

 舞も少し驚いた様子で俺を見た。ホント、俺はどういう風に見られているんだろう。

「今、意外だと思ったでしょ? 俺は独占欲が強いよ」

「そうなんだ。私は……経験がないから、本当はよくわからない」

「でも好きな人くらいいたでしょ?」

「……考えてみれば、いない……かも」

 舞は本気で過去を振り返って考えたようだった。

「ええ!?」

 ――……って、今まで好きになった男なんか一人もいないってこと?

「……変、かな?」

「変じゃないよ。恋はしようと思ってできるものじゃないからね」

 そうは言ったものの、俺の心中は穏やかではなかった。

 少なくとも今まで舞が出会った異性の中には心を動かされるようなヤツはいなかった、と言っているわけだ。そしてその中には勿論俺も含まれている。

 ものすごく悔しいし、納得が行かない。

 ――それに、あのとき……。

 俺は初めて会ったときの驚いた舞の顔を思い出した。確かにあのとき、舞は俺を意識していると感じたのに。

 心のどこかでずっと自惚れていた自分がまるでピエロのようだと思う。

 ――バカだ……。

 自分をあざ笑うと、さっさと気持ちを切り替えた。くよくよ考えても仕方がない。

「あ、そうだ。昨日英理子がうちに来てて、土曜日の話をしたら今日から高橋さんと一緒に帰るって言い出してさ。たぶん放課後迎えに来ると思う」

 昨夜のことを思い出して苦笑しながら舞を見ると、なぜか彼女は突然表情を硬くしていた。

「本当は英理子じゃなくて俺のほうがいいと思うんだけど、アイツ言い出したら絶対引き下がらないからさ」

 訝しく思いながらも言葉を続けたが、舞は凍りついたように冷たい顔のままだ。どうも彼女の意識は別の次元にあるらしい。

「って、高橋さん、聞いてる?」

「は?」

「いきなり自分の世界に入ってるし……」

「ご、ごめん」

「とにかく今日だけでも英理子と一緒に帰ってやってほしいんだ」

「はぁ……」

 心もとない返事に俺も釈然としない気分になったが、そこで昼休みは終わってしまった。





 昼休み以降、舞の様子はますますおかしくなってしまった。今朝のほんの少しだけ打ち解けた態度は、夢か幻かと思うような豹変ぶりだ。あれから数時間しか経っていないのに、今朝が懐かしくなる。

 考えてみると英理子の名前を出したあたりから舞は別世界にトリップしてしまったように思う。何かまずいことでも言っただろうかと思い返すが、全く心当たりがない。

 もしかして、と舞を盗み見る。

 ――体調が悪いとか?

 そう思って見るといつもより顔色が悪いようだ。そうだ、女子にはいろいろと体調不良の日があるからな、などと勝手に決めつけて舞の体調を密かに見守った。

 放課後になった途端、本当に英理子が教室にやって来て、周囲の注目をよそに有無を言わさず舞を連行して行った。

 後れを取った俺は慌てて二人を追いかけようとしたが、予想外に田中が俺の進路に立ちはだかった。焦る俺は少しイラッとしながら仕方なく問う。

「何?」

「清水、俺に隠し事してるだろ?」

 険しい表情の田中がにじり寄ってきた。俺は思わず一歩後退りする。

「はぁ?」

 とぼけてみるが、田中は全く動じない。

「親友の俺にも言えないのか」

「何のことかわかんないけど、とにかく俺は急いでる」

 そう言って田中を振り切って歩き出そうとすると、突然両肩をつかまれた。

「安心しろ。俺はどんなことがあってもお前の味方だからな!」

 田中は真剣な眼差しで俺を見つめると、何かを納得したように頷いてから俺を解放した。

「あ、りがとう?」

 半信半疑で礼を言って俺は先を急いだ。チラッと振り返ってみると、田中は俺にもう一度頷いて見せる。

 ――なんなんだ!?

 もしかしたら田中は俺の気持ちに気がついたのかもしれない。

 自転車を漕ぎながら、ふと俺はそう思った。だが、それにしては何か腑に落ちない態度だとも思う。もしそうだとしたら、いつもの田中ならもっと茶化したように言ってくるに違いない。

 ――もしかして、アイツ、妙な勘違いをしてるんじゃ……

 嫌な予感がした。背筋が寒くなる。

 そう感じたとき、視界に舞と英理子の姿が入ってきた。 


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