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涙色の彼女 7



 日曜の夜、自宅のリビングは宴会場になっていた。

 一応、名目は俺の誕生会らしい。そういえば三週間前に誕生日が来た。だけど誕生会というのは単に大人が酒を飲む口実がほしいだけで、ぶっちゃけ主役のはずの俺をそっちのけで両親や叔父、叔母たちがビール瓶を次々と空にし、今はワインの講評で盛り上がっている。

 そして、若いグループは酔っ払いどもを尻目にテーブルの上の料理を平らげ、リビングの一角で情報交換を始めたところだ。

 こういう場合の中心人物はいとこの英理子だ。英理子を見ているといつも思うが、女ってホントよく喋るよな。

「ひろくん、彼女できたんだって?」

 英理子が突然寛人に向かって問いかけた。

 もう英理子まで伝わっていることに驚きながら弟の寛人を見ると、照れたように顔を紅くしてニヤニヤと笑ってやがる。母親の勘は当たっていたらしい。俺は寛人から目をそらして大きくため息をついた。

「ね、どんな人? どこで知り合ったの?」

「同じクラスの人?」

 妹の笑佳も英理子の隣で寛人の尋問に加わる。俺は何だか悔しくて鶏のから揚げに箸を突き刺した。

「違うよ」

 寛人ははにかみながら答えた。

「じゃあ、どうやって知り合ったのー?」

「ちょっと言いにくいんだけど……」

 モジモジしている寛人に無性に腹が立って、俺はから揚げを飲み込むとからかい半分で話に割り込んだ。

「コイツの場合、ネットゲームで知り合ったとかじゃねぇの?」

 寛人が驚いた顔で俺を見つめてくる。……冗談で言ったつもりだったが、まさかビンゴ?

「えー!? ホントに?」

 英理子が手を口に当てて信じられないものを見るような目で寛人を見た。寛人は一同の視線を浴びて小さくなる。

「だ……ダメかな? でもすごく性格がよくて、写メ送ってもらったけど顔もけっこうかわいいし」

 寛人の説明によるとたまたま同じギルド(ゲーム内のグループのようなものだそうだ)で仲良くなった女の子が、偶然にもS市に住んでいてそれがきっかけで更に親密になり、ゲーム内で付き合っているらしい。

「それってゲームの中だけでリアルは別なんじゃないの?」

「そんなことはない……と俺は思ってるけど」

 なんだよ、焦ったじゃないか。だいたい俺に彼女がいないのに、コイツに彼女ができるなんておかしい話だ。

 英理子もがっかりしたようで寛人への尋問はそこで終わった。そして急に意味ありげな笑顔を浮かべて俺の向かい側に移動してきた。

「はるくん、何か良からぬことを企んでるでしょ?」

「良からぬこと? 何のことやらさっぱり」

 俺はとぼけてウーロン茶を飲んだ。英理子の顔を見ていると心の中を見透かされそうな気がして怖い。

「何かあったの?」

 今まで黙って聞き役に徹していた遠藤さんが口を開いた。遠藤さんは英理子の彼氏だ。彼は既にこの宴会の常連なのだ。

 彼がこの宴会に初登場したのは二人が付き合い始めてすぐの頃だった。特に俺の母親が「皆に紹介して」と英理子にしつこく頼み込み実現したのだ。それ以来、遠藤さんは特に用事がない限り、必ず宴会に参加するようになった。

 他の家庭の親戚付き合いを見たことがないから自信はないが、それにしても我が家は異常だと思う。

 こんなふうに親戚公認の付き合いだと英理子も遠藤さんも簡単に別れるわけにはいかないだろう。

 今のところ別れそうな雰囲気は全く感じられないが、この先何が起こるかはわからない。英理子はまだ俺と同じ高校生だ。遠藤さんが大人だから上手くいっているのだろうが、このまま結婚まで続くかどうかなんて誰にも予想できやしない。

 それにしても、だ。

 たまたま遠藤さんはウチの親戚にアレルギー反応が出なかったからよかったが、この雰囲気についていけないと思う人間は少なくないと俺は思う。

「英理子が何のことを言ってるのかわかんない」

「あら、そんなこと言う? 私、月曜日に学校でうっかり口を滑らせちゃうかもしれないけど悪く思わないでね。『清水暖人の初恋の人が……』」

 ツンと澄ました顔でそう言うと、英理子は立ち上がろうとした。

「ちょっと待て!」

 俺は慌てて引き止めた。

「俺は今更誰に何を言われても平気だけど、隣の席の人はそういうことに免疫ないからやめれ」

 英理子がニヤリとして腰を下ろした。

「私『隣の席の人』のことだって言ったかしら?」



 ブーッ!



「お兄ちゃん、汚い!」

 思わず飲んでいたウーロン茶を噴いてしまった。笑佳が慌ててティッシュペーパーを探す。英理子の得意げな微笑を忌々しく見返した。

「でもちょっと安心した。あんな真面目な人だし、また本気じゃなかったらかわいそうだと思ってたの」

「それにしても彼女はなんであんなふうになっちゃったんだろう」

 俺は密かに疑問だったことを口にした。少なくとも小学生のときは眼鏡はかけていなかったし、あそこまで人を寄せ付けない印象はなかった。

 英理子は少し首を傾げる。

「もともと内気なタイプだと感じてたけど、人付き合いが苦手なんじゃない?」

「苦手っていうかほとんどしてない」

「そうなんだ。なんかあったのかな?」

 こればかりは想像してもわかるものでもない。俺たちが一瞬黙った隙に遠藤さんが口を開いた。

「はるくんの隣の席の人が初恋の人なんだ?」

 俺が返答をためらっていると、頼んでもいないのに英理子が代わりに答える。

「そうなの。最初に会ったのは小学一年のときだったかな。お姉さんがウチのお母さんのところにピアノを習いに来ていて、夏休みだったから舞ちゃんも一緒に来てたんだよね。そこにはるくんもやって来て、仲良く三人で遊んだんだけど、なぜか舞ちゃんだけ綺麗さっぱりそのときのことを忘れているみたいなのよね」

 ホント、なんで忘れるかな?

 俺たちと遊んだ記憶はあまり楽しいものじゃなかったってことだろうか。

「それで、昨日はるくんのクラスに行ったら、その舞ちゃんがはるくんの隣の席だったの! でもすっごく分厚い眼鏡をかけていて、休み時間中ずっと一人で読書してるみたいで、昔と少し印象が違うっていうか……。その舞ちゃんをはるくんがちょっかいかけてるんだよね?」

「まぁ、否定はできないな」

 遠藤さんがクスッと笑った。

「はるくんって案外子どもっぽいところあるんだ」

 ――俺が子どもっぽい?

「いや、違うんです」

 慌てて反論する。

「からかうと反応が面白くて」

「それ、酷いじゃない!」

 英理子の俺を見る目が冷たいものに変化した。更に俺は慌てる。

「いや、だって普通に話しかけても必要最低限のことしか返事してくれないし、どっちかっていうと、俺、避けられてるし。でも、からかうとこっちの予想以上に反応してくれて、それが素でかわいいっていうか。昨日の帰りなんかすっげーおかしくて、久しぶりに爆笑したし」

 それから俺は昨日の下校時に起こった人攫い事件について、かいつまんで英理子と遠藤さんに話して聞かせた。まぁ、当然自分に都合の悪いところは端折ったけれども……。

「舞ちゃんってそんなにかわいいの?」

 遠藤さんがぶしつけにそう言った。

「たぶんかわいいっていうより、男からするとおとなしくて言うこと聞きそうに見えるんじゃ」

「いや、普通にかわいいでしょ」

 英理子が自信満々に俺の発言を否定した。

「眼鏡なければね」

「いや、眼鏡しててもかわいいでしょ。それに世の中には眼鏡ッコ好きだっているんだし、舞ちゃん一人で帰るのは危険すぎるわ。そうだ、決めた! 明日から哲史さんのお迎えついでに私が舞ちゃんと一緒に帰るわ」

 おいおい、英理子。なんでそうなる?

「確かに、英理子と一緒なら安心だよね」

 おいおい、遠藤さん。そりゃ、英理子は見た目からは想像もつかない怪力で、空手なんか習っちゃってるけど。

「というわけで、明日はるくんのクラスに迎えに行くから、舞ちゃんに伝えておいてね」

「待てよ、勝手に決めんな」

「あら、はるくんこそ何よ。彼氏でもなんでもない、ただの隣の席の人のくせに」



 ――言ってくれるじゃないか。



「そうだよ。ただの隣の席の人だけど、何か?」

「私、舞ちゃんの親友になることに決めたわ」

 とびきりいいことを思いついたというように、英理子が顔を輝かせて宣言した。英理子は言い出したら最後、他人の話を聞く耳は持っていない。

 明日からの舞の運命を思い、俺は舞に心底同情した。

「私たち、きっといい友達になれると思うの」

 思い込みが激しいのも英理子の欠点だと思うが、英理子が俺のイトコである以上、遅かれ早かれこういうことになる宿命なのかもしれない。

 それに、と俺は遠藤さんを見て改めて思う。

 もし俺に彼女ができたら、この宴会にも連れて来なければならないのだろうか。できればそれだけは避けたい。この一癖も二癖もある酔っ払いの大人どもに絡まれることを想像すると、いくらなんでもかわいそうだ。

 それを考えると英理子と舞が友達になるのは、あながち悪いことではないかもしれないと思った。





 俺はその晩、布団に入ってもすぐに眠れずとりとめもなく考え事をしていた。

 もしかすると俺は舞に対する認識を誤っていたのか、と思い始める。そう考え始めるとおかしなもので、誰もが舞の魅力に気が付いているのではないかと急に不安な気持ちに襲われた。



 ――こりゃ、のんびりしてられないかもな……。



 もう一つ、焦る理由に心当たりがある。

 ハプニングとはいえ、舞を抱きとめてしまったことだ。自分よりも小さくて柔らかくて頼りない不思議な感覚。

 ガッツクつもりはないけど俺も男だからね。困ったことにあまり長くは我慢できない仕様だったりする。

 でもホント、通りかかったのが俺でよかった。きっと舞もそろそろ俺を意識し始めただろう。そう思うと、ニヤニヤと笑いがこみ上げてくる。

 それにしても俺の勇気ある告白(もどき)を全く聞いていないとは舞もどういう神経をしているんだか……。



 こうして俺は明日からの計画を練り直しながら、いつの間にか眠りについたのだった。


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 1st:2009/12/20