季節は廻り春がやってきた。俺もついに高校二年生になってしまった。
チャンスは毎月一回必ずやってくるのだが、俺はどうもくじ運が悪いらしい。高橋さんとは席が近くになれないまま初夏に突入した。
クラスで一番仲がいい田中が朝のHRで突然発言した。
「先生! 今日の6時間目は席替えしようよ」
「お、そういえばそろそろ席替えの時期か」
来た来た来た!!
待ち焦がれていた一ヶ月に一度のお楽しみの時間がついに来た。
ありがとう、田中。お前もたまにはいいこと言うじゃないか!
俺は6時間目が待ちきれないくらいワクワクしていた。ワクワクしすぎて授業のほとんどを居眠りしてしまった。寝ているほうがあっという間に時間が経つというものだ。
「では恒例の席替えくじ引きを行いまーす」
男のクラス委員が間延びした声でそう宣言して、サッカーボールが入りそうな大きさの箱を持って男子の席をまわり始めた。女子は女子のクラス委員がくじを持って反対方向からまわっている。
「ほい、清水」
クラス委員が目の前に立った。
俺はかなり気合を入れて箱に手を突っ込んだ。少し迷って指に触れた紙をつかむ。開いて見ると『7』だった。
――これは幸先いいぞ!
「7番。うわー! 一番後ろのいい席だ!」
周りからブーイングのような声が上がった。黒板を見ると確かに窓際の一番後ろの席だ。
――……今回もハズレか?
本来喜ぶべき座席だが、俺は瞬時にこれはもう絶望的だと思った。
あの分厚い眼鏡の高橋さんが万が一この隣の16番を引いたとしても、おそらく誰かと交換してしまうに違いない。
何しろ彼女は隣の席が誰だろうと関係ないのだ。何だか悔しい。
それ以前に彼女が16番を引く確率は相当低そうだが……。
「うおーっ! 一番前かよ!」
後ろから田中の雄叫びが聞こえた。自分から席替えを提案したのに一番前とは気の毒な話だ。
どんな顔をしてるのか見てやろうと思い振り返ると、突然田中の目が輝いた。
「清水くぅーん」
「気持ち悪い……」
「そう言わずに、俺と交換しよう」
「断る」
「俺たち親友だろ?」
「それとこれとは別だろ。不正をしたらくじの意味がない」
俺がそう言うと何人かがこそこそと自分の席へ戻った。席の交換交渉をしていたのだろう。
女子のくじは男子よりゆっくり進行していた。
もうすぐ高橋さんの順番だ。自分のくじ引き以上に緊張してきた。
ふと田中の申し出を保留しておくべきだったかと後悔する気持ちがわき上がってきた。
いや、そこまでしてどうこうしたいわけじゃない。それにそれは俺の信条に反する。
「高橋さん、引いてよ」
クラス委員の女子が高橋さんの前に立っていた。
少し驚いた顔の高橋さんはためらいがちにくじが入っている箱に手を入れる。すぐに一枚の紙片が取り出された。
「はい、高橋さん、16ね」
「ええーーーーーーーーーーっ!!」
――16って……
俺は思わず他人の目など気にせず高橋さんを見つめてしまった。
彼女は突如として騒然となったクラスの雰囲気に唖然としていた。黒板を見ても顔色ひとつ変えない。
本当に高橋さんは俺のことなど髪の毛一本分も気にしていないようだ。その淡々とした様子が憎いくらいだ。
案の定、彼女の後ろの席の女子が席を替われと交渉し始めた。
俺は小さくため息をついて机に肘をつく。
こんな嬉しい展開だというのに、俺の心の中は複雑に揺れ動いていた。
「えっと、今回はごめん」
高橋さんのはっきりした声が聞こえてきた。
――……え? 今、なんて?
俺はにわかには信じられなかった。
どういうことだ?
そんな分厚い眼鏡なのに一番後ろの席に座っちゃって大丈夫なのか?
本を読むときだってかなり近づけて読んでるのに。
真面目な高橋さんが居眠りをするために一番後ろに座りたいわけじゃないだろ?
じゃあ、どうして……?
「はい、じゃあお引越ししてくださーい」
またクラス委員ののんきな声が聞こえてきた。
俺はさっさと荷物をまとめて窓際の一番後ろの席へ向かう。まだ信じられない。珍しくワクワクした。
新しい席に座ってクラス全体を眺め回す。ここは最高の席だよ。しかも隣は……!
高橋さんを見るといつもと変わらぬ何の特徴もない動作で荷物をまとめて席を立ち上がったところだった。
そして振り返って俺のほうを見た。
すぐに黒板を確認するために前を見る。
――うん、間違ってないよ。
俺は笑いを噛み殺すのに苦労した。普段全く表情のない高橋さんが突然わかりやすい行動を取り始めたからだ。
しばらく黒板を凝視していた高橋さんは、まだ信じられないというような顔でこちらを向いた。
目が合う。
俺はできる限り自然に笑おうとした。が、……ヤバイ! かなり不自然な顔だろ、これ!!
だが、俺はすぐに心を引き締める。
近づいてきた高橋さんはまるで怯えた小動物のようだった。かわいそうなくらい動揺している。
それってどういう意味なんだろう? まぁ、いい。これからじっくり教えてもらうからね。
「高橋舞さん、よろしくね」
名前をわざとフルネームで呼んだ。
高橋さんはこれ以上ないくらいポカンとした顔で俺を見つめた。
「よ、……よろしく」
そして俺からあからさまに視線を外してこそこそと隣の席へ移動してきた。
――何だかその態度、傷つくな。
それって嫌がってるの? ……どこからどう見ても喜んでいるようには見えない。
――ふーん。そっちがそういうつもりなら、俺も手加減しないから。
俺は隣の席に向かって心の中で宣言した。俺にだってプライドがある。
次の席替えまでに俺にそんな態度取ったことを後悔させてみせる。
こんな千載一遇のチャンスを俺が逃す訳ないってことを嫌というほど思い知ってもらうさ。
明日からが楽しみだね、高橋さん!
1st:2009/08/19