「はるくんって……ストーカー?」
英理子さんは眉をひそめて小声で言った。
そうじゃなくて英理子さんを追ってきたのでは? と思ったが口には出来なかった。
清水くんは英理子さんが振り返ってからは私たちとの距離を保ちながらゆっくりとついてくる。こちらの様子を伺っているようだった。
「ああ、もう! 何だか気持ち悪い!」
そう言うと英理子さんは勢いよく後ろを向いて仁王立ちした。ちゃんと腰に手を当てているところが何だか男らしい。……ってかわいい女子なんですけどね。
そして清水くんを真っ直ぐ指差した。
ちなみに私たちと清水くんの距離は、大声でなければ声は聞こえないくらい離れている。
私は何が起きるのかわからず無意味にドキドキしていた。
英理子さんは清水くんに向けた指を大きく振り上げてもう一度彼を指差す。
そしてその指はすぐに左の方角を指差した。
……これは何かのジェスチャー?
更に英理子さんは左手を腰に当てたまま、指差していた右手でシッシッと犬でも追い払うようなジェスチャーをした。
それを見た清水くんはまるで飼い主に酷く怒られた犬みたいに肩を落として引き返した。
私は茫然としてその光景を見ていた。
「よし! 邪魔者は帰ったわ」
英理子さんは満足げに微笑んで私を見た。それはすぐに怪訝そうな表情になる。
私はようやく我に返って「今のは?」と尋ねた。
「そうね、『アンタの家はあっちでしょ? Go home!』……という感じかしら?」
え、英理子さんって……。
私は口を開けたまま一瞬放心していた。
「ウフフ、高橋さんってはるくんの言うとおりね」
え? 私は清水くんに一体何を言われているんでしょうか? どうせからかうと楽しいとかそういうことだろうけどさ。
でも英理子さんは少し身をかがめて私の顔を下から覗き込むような仕草でこう言った。
「か・わ・い・い!」
――は?
「わかるなぁ。はるくんがつい構いたくなるのも」
おっしゃる意味が私には全然わかりませんけど……。
「ねぇねぇ、高橋さんの名前って『舞ちゃん』だよね?」
「そう……です」
なぜか丁寧語になってしまう私。どうも英理子さんのテンションについていけない。清水くんといい、英理子さんといい、この何日か私は他人に振り回される運勢のようだ。
「じゃあこれからは『舞ちゃん』って呼ぶわね」
「はぁ……。そう呼ぶのは家族だけですが、よければどうぞ」
「私のことは『英理子』でいいわよ」
いきなりそれは無理ですよ、英理子さん。
「『英理子さん』でもいいですか? 何となく脳内ではそうお呼びしてたので」
英理子さんは私の言葉を聞いてとても嬉しそうに頷いた。
「あとね、その丁寧語はやめましょう? ……私の言葉遣いも少し変だけど、これはなかなか変えられなくって」
「……努力します」
「だから!」
「あ、えっと、『努力するね』……とか?」
「そうそう」
英理子さんは思い切り私の肩をバシッっと叩いた。痛いよ! 本気で!
「舞ちゃんとはとってもいい友達になれそうな気がするの。よろしくね」
「こちらこそ、よ、よろしく」
正直な気持ち、かなり複雑だった。英理子さんが私のことを友達と言ってくれたのはものすごく嬉しい。こんなにかわいくて素敵な人が友達になろうと言ってくれるのは、何かの間違いじゃないかとさえ思う。
でも、英理子さんがどうして突然そんなことを言い出したのかよくわからない。それは……その……清水くんと関係あることなのだろうか。
そういえば昨日英理子さんは清水くんの家に行っていたらしいけど……。
そんな私の悶々とした想いなど知るはずもない英理子さんは、スキップでもしそうな軽やかな足取りだった。
「もう待ってるかしら」
……待ってる? 誰が?
不思議そうにしている私の顔を見ると、英理子さんは悪戯っ子のようにニタっと笑った。そして時計を見る。
「電車が遅れてなければもう着いたわね。急ぎましょう」
……一体何のこと?
私の心の中を見透かすように英理子さんはまた「ウフフ」と笑う。
駅に着いた私たちは何となく急ぎ足で階段を上った。英理子さんは改札口の方をちらちらと気にしながら私を急かすように早足になる。
「いたいた!」
英理子さんの視線の先には大学生らしい男の人がいる。こちらに気がついて手を上げた。
「お帰りなさい」
「ただいま、英理子。こちらは?」
その男性は長身で少しがっちりタイプ。でも顔はとても優しそうな好青年だった。
「紹介します。友達の高橋舞さん。はるくんのクラスメイトで、今、隣の席の……」
英理子さんがそこまで言うと、その男性は「ああ、君が」と私を改めてまじまじと見る。見るというよりは観察されているようだけど……。
「それで舞ちゃん、こちらは私がお付き合いしている遠藤哲史(えんどうてつし)さんです。大学生なの」
「ど、どうも。よろしく……」
私は恐縮しながら頭を下げた。
――って!? お付き合い? 英理子さんの彼氏!?
「あの……」
私は英理子さんに清水くんのことを聞こうとして口を開いたが、なんと聞けばいいのかわからず言葉が続かない。なので口をぱくぱくする羽目になった。
英理子さんは私の言いたいことがわかったようで、艶然な笑顔でひとこと……
「はるくんと私はイトコなのよ」
と、種明かしをした。
「何? 友達なのに言ってなかったの?」
英理子さんの彼氏の遠藤さんは不思議そうに私と英理子さんを見比べた。
「だって、舞ちゃんが勝手に勘違いしてるんだもの」
「勘違い?」
「私とはるくんが付き合ってると思ってたんでしょ?」
そう意地悪そうな笑みを浮かべて英理子さんは私を見た。遠藤さんは「なるほど」と納得したような顔でまた私を見る。
二人に見つめられて、私の顔は発火するのではないかと思うくらいかーっと熱くなった。
――って、勘違いしてたの知ってたのか!
英理子さんをちょっと冷たい目で睨む。
「ごめんね、舞ちゃん。騙すつもりじゃなかったのよ。でも哲史さんも紹介したかったからちょうどいいかなと思ったの」
「いえ、勝手に勘違いしていたのは私ですから……」
口調に刺があるな、と自分でも思った。英理子さんは少し悲しい顔で俯いてしまった。
「勘違いするのも無理ないさ。英理子の家の親戚ってすごく仲がいいんだ。昨日もはるくんの誕生日で皆んな集まっていたからね。俺もお邪魔したし」
遠藤さんはフォローするように優しくそう言った。とても感じのいい人だと思う。英理子さんも気を取り直したのか、遠藤さんを見上げて頷いた。
「そうなの。昨日ははるくんの家でお誕生日パーティーだったの。そこではるくんから舞ちゃんの災難の話を聞いて、哲史さんと駅で待ち合わせのときは舞ちゃんと一緒に帰ろうって思ったのよ、……ね?」
英理子さんの問いかけに遠藤さんも頷いた。二人の様子はとっても仲睦まじくて見ているほうが恥ずかしくなりそうだ。
私は英理子さんの好意に、先ほどの自分の態度を少し反省する。
「英理子さん、ありがとう」
小さな声で言った。英理子さんの顔にパーっと笑顔が戻る。本当にかわいい人だ。女の私でもドキドキしそうだ。
その後少し遠藤さんの大学の話を聞いた。そうこうしていると私の電車の時間になったので二人に見送られて改札を通る。
――英理子さんと清水くんはイトコだったのか……。
勝手に二人が付き合っていると早とちりした自分が滑稽で、誰もいないところでこっそり苦笑した。
そして何故だか私はほっとしている自分に気が付く。
――ん?
でも、また疑問が湧いてきた。
――じゃあ、清水くんの「気になる人」って?
英理子さんじゃないということは、他にいるということだ。また私の中にもやもやした変な気持ちが渦巻いてくる。
何故そんなことを気にするのだろう? 自分でもよくわからない。これじゃあまるで私が清水くんのことを気にしているみたいだ。
――え?
自分で自分の思考にびっくりする。
つまり私は……その、なんだ? 清水くんのことを気にしているわけ?
――えええええ!?
嘘!? ありえない! 違う。それこそ勘違い。おかしいぞ、高橋舞。
自分の中で一生懸命自分の想いを否定してみる。
でも、もう遅い。
私はようやく自分の気持ちを自覚したようだった。
電車の窓際でボーっと流れる景色を見ながら、初めて自分の中に現れた気持ちに戸惑う。今まで誰かのことをこんなに気にしたことなどなかった。どんな人が隣の席になろうと私にとっては何の変わりもなかったのだ。
なのに、どうして?
……自分に問うても答えなど出ては来ない。
それでも私は帰宅してからも一晩中答えのない問いを自分に繰り返していた……。
1st:2009/01/17