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好きになる理由 5



 駅の近くの定食屋はお昼時ということもあって繁盛していた。

 清水くんの後ろからおそるおそる入るともわ〜んと湿った空気が襲ってきて、私のメガネは一瞬で使い物にならなくなった。

 それに気がついたらしい清水くんが私の腕を掴んだ。



 うわっ!



 ドキっとした。

 よく考えればさっきの私のほうが反動とはいえ、いきなり抱きついたりして……



 ギャーっ!!!



 今更思い出して恥ずかしくなった。

 しかもお礼も言わず、逆に「私をからかって楽しいのか?」なんて問い詰めた挙句、勝手に泣き出したり……

 ……はぁ。

 ため息が思わず漏れた。



 清水くんに腕を引っ張られて席に着いた。

 私はようやくメガネを外してハンカチで拭くことができた。よかった、これで見える。

 メガネを掛け直すと向かい側に座った清水くんと目が合った。

 いつも隣の席のソイツが真正面にいるのは妙な感じだった。落ち着かなくて視線を外してしまう。

「あの……さっきは本当にありがとう」

 やっとまともにお礼を言えた。

「別に、俺は何もしてないよ」

 清水くんは少し身体をずらして頬杖をついた。

 彼はよくそのポーズをする。身長が高い分、椅子が小さく見える。

 たぶん他の人がこんな格好をしていても「何カッコつけてるんだ?」と思ってしまうだろうが、彼は……違った。

 正直に言って、私はしばし見惚れていたと思う。

「えっと、高校生って私たち以外いないみたいだけど……」

 わざとらしく周りを見渡しながら話題を振った。だって何か話していないとまたボケーっと見惚れてしまいそうだったから……

「そうだね。普通はファストフードとかだろうね」

 清水くんは面白くなさそうに言った。

「だけどいつも混んでるから苦手」

 そうなんだ。私はあまり利用しないからわからない。ちなみに定食屋なんて初めてかも。

「でも清水くんと定食屋さんってギャップが……」

「そう? 高橋さんって俺をどういうイメージで見てるんだろう」

 クスリと笑った。この顔はちょっと悪魔っぽいな、と自分勝手に分類する。

「どういう……と聞かれても……」

 答えにくい。

 勿論名前もロクに覚えていない他のクラスメイトに比べれば、清水くんについての情報はこの私にも多少は入ってくる。でもそれは学校の誰もが知っているようなことばかりだ。

 ちょうどその時注文したものが運ばれてきた。

 清水くんはフッと笑って「ま、食べようか?」と言った。

 彼の表情を見ていると、たぶんこういうシチュエーションに慣れているんだろうなと思う。つまり女の子を誘ったり、一緒に食事をしたり、デートをしたり……



 で、で、デート……!!



「あちっ!」

 私は味噌汁の温度を確かめずに具をいきなり飲み込んでしまった。

「大丈夫?」

「らいびょーふ……れす」

 一応「大丈夫……です」と言ったつもりだけど、自分でもそうは聞こえなかった。口の中がひりひりする。

 よくわからないが、彼が近くにいると私の思考回路がおかしくなってしまう。

 冷静に、冷静に……

「それで、清水くんはもう進路とか決めているの?」

 うん、我ながら高校生らしい話題!

「進路ね……」

 そう。私たちは高校2年生だからもう進路について考えなくてはいけない時期なのだ。

「高橋さんは決めてるの?」

 うっ! また質問返しか! ずるいぞ、清水暖人!!

「ウチは貧乏だから、親に『国立しかお金を出せない』って言われてるの」

「なるほどね」

 これは本当のことだった。私が四大を目指すと宣言したら、ママは「できれば地元の四大に入ってちょうだい」と簡単に言い放ったのだ。

「高橋さんは文系なの? 確か数学苦手って言ってたよね」

「……そうです」

「行きたい学部はあるの?」

「あると言えばあるような……」

 言葉を濁すのは訳がある。行きたい学部を言えば、地元の国立大の中でその学部がある大学は一つに絞られてしまうからだ。

 その大学は正直なところ、今の私の成績で合格するのは難しい。

 うちの高校は地元では名門校だが、それでもその大学を受験して合格するのは毎年10人に満たない。それくらいの難関大学だ。

 県外なら私でも楽に狙える大学はたくさんあるし、本当はあの小さな町から飛び出したいところなんだけど……

「文学部でしょ?」

 清水くんはズバリ断定した。

 私は驚いてメガネの奥から穴が開くほど彼の顔を凝視したと思う。

「……どうして?」

 彼は「当たった!」とにっこり微笑んだ。

「高橋さんっていつも小説読んでるから、そうかな? と思っただけ」

 学校では特に話をする人もいないから休み時間はほとんど小説を読んでいた。読書のおかげで友達がいなくても学校でそれなりに生活できているとも言える。勿論、読むのは大好きなんだけどね。

「俺は……まだ迷ってる」

 清水くんは漬物をぽりぽりと食べた。彼と漬物……これまた不思議な組み合わせだ。

「そういえば」

 私は彼の家が確か歯科医院だという話を思い出した。

「清水くんの家は歯医者さんだと聞いたことがあるけど」

「よく知ってるね。オヤジが歯医者なんだ」

 私の中で歯医者さんは痛いイメージしかない。あまり行きたくない場所だ。あのキーンという音がもうたまらない。

「後を継がないの?」

 ありきたりな質問をしてしまったな、と清水くんの顔を見て少し後悔した。たぶん皆に言われるのだろう。「また?」というような表情だった。

「いい仕事だと思うけど、歯医者は過剰気味でしょ。それに俺に弟がいるんだけど、そっちの方が優秀だからさ」

 え? 弟の方が優秀って……清水くんより優秀ってどんな人!?

「俺は数学に興味があるから、そっちに進みたいんだよね」

 そうなんだ……。あの憎い数学に興味があるというだけで、私はこの人には敵わないという気持ちになってしまう。

「高橋さんの嫌いな数学」

 そう言って清水くんはニコニコした。それそれ! まさに悪魔の笑顔!!

「よかったら教えてあげようか?」

「いえ、結構です」

 私ははっきりときっぱりと丁寧にお断りした。

「つれないなぁ」

 彼は苦笑して前髪をかきあげた。ちょっと長めの前髪はくせ毛なのだろうか。無造作にかきあげても変にならないから羨ましい。

「ま、いいや。まだ時間もあることだし」



 ん……? まだ時間もある?? ……………

 ハッとした。

 私は電車の時間を全く忘れていたことに気がつく。



「うわっ! 時間!!」

 私は慌てて立ち上がった。清水くんも腕時計をちらっと見て「もうこんな時間か」と呟く。

 急いで会計を済ませて私たちは駅へと走った。

 清水くんはついて来なくてもいいのに、と内心思っていたけど、それは言わなかった。

 改札口で一息つく。

「今日は本当にいろいろありがとう」

 私はかなり息が上がっているのに、彼は同じ距離走っても涼しい顔をしていた。

「どういたしまして。いつでも大歓迎」

 また悪魔の微笑みで私を見た。

 ……いつでも大歓迎? 何のことだ??

 たぶん私の顔に「?」と書いてあるのが見えたのだろう。悪魔は更にニコニコと笑顔を作った。

 そして私の耳元に顔を寄せた。



「高橋さんって意外とナイスバディだし」



 ボンッ!!!!!

 私の頭の中で何かが爆発したような気がした。



「な、な、な……何をーーーーーっ!!」



「ほらほら、乗り遅れるよ」

 背中を押されて改札口を通る。

 階段を降りる前に振り返ると、清水くんはさっきとは違う穏やかな笑みを浮かべていた。

 私は何故か恥ずかしくなって急いで階段を駆け降りた。



 ……からかわれてるだけだよ。



 自分に何度も言い聞かせる。

 きっと私は今まで彼の周りにいなかったタイプの人間なんだ。だからからかって楽しんでいるだけ。

 じゃなきゃ私のことなんか構うわけないもの。

 私は不意に清水くんに抱きついてしまったときのことを思い出した。



 ボンッ!!!!!



 またどこかが爆発した。

 たぶん耳まで真っ赤になっていると思う。

 非常事態だったとはいえ、初めて男の子に抱きついてしまった。しかも自分から!!



 ……なんだろう。あの不思議な感覚。



 清水くんは女の子みたいに柔らかくはなかったけど、私の身体がすっぽり収まるくらい大きくて、パニックだった私は一瞬で安堵していた。

 しかも隣のいるときとは違って、彼のいい匂いが私を包んで……



 ……ダメだ。あのときのことを思い出すと、変な気分になる。

 もっとああしていたい……





 ちょっ! 私、今、何か変だよ!!





 心臓が激しくドキドキし始めた。

 私は自分を落ち着かせようと鞄の中から本を引っ張り出した。

 ふと、パスケースが目に入る。

 開いて中に入っている四つ葉のクローバーを出してみた。



 ……まさか、ね?



 私はお守りの効力なんて信じたことがない。この世にそんな不思議な力なんかあるわけないもの。

 じゃなきゃ努力するのがバカバカしいじゃない!

 そう、私のように恵まれた容姿も脳みそもコネもないような人間には努力あるのみ。

 見ていろ! 清水暖人!!

 今に数学だって……数学だって……………



 やっぱりそれはムリかな……と思いながら、私はパスケースを大事にしまい、読みかけの本を開いた。

 でも揺れる電車内ではさっぱり文章が頭に入ってこなくて、結局1ページも読み進まないうちに30分が経った。

 ホームグラウンドの駅に降り立つと、ドッと今日の疲れが肩にのしかかってきた気がする。

 私はトボトボと帰路についた。



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