#23 あなたと共演したい

 撮影の仕事は数年ぶりで、最初はガチガチに緊張したものの、次第に肩の力が抜けスムーズに動けるようになった。そうなると楽しくなってきて、終わるのが残念に感じる。
 そんな自分自身の心の動きに驚きながら、監督の「OK」の声を聞いた。スタッフの皆さんに頭を下げつつ、姉の元へ向かう。
「すごくよかったわよ」
 その言葉で一気に心がほぐれた。姉はいたわるように背中をやさしく撫でてくれる。
 深い安堵と達成感に浸っていると背後から名前を呼ばれた。
「未莉ちゃん、お疲れさま。ちょっといいかな」
 振り返るといつになく表情をこわばらせた西永さんが近づいてきた。
「やり直しですか?」
 姉が私をかばうように前に出た。
「違う違う。撮影はイメージ通り! バッチリだよ。ありがとう」
「こちらこそありがとうございました」
 軽く頭をさげると、頭上で西永さんのせっかちな声がした。
「それで、先日の事故の件で……」
「あら、その件ではすでに過分なお見舞いをいただきましたけど」
 そう。私の足元不注意で起きた照明機材の転倒落下事故に対して、ドラマ制作会社の代表である西永さんよりお詫びと見舞金が届いた、と姉から報告があった。
 しかし彼は「待て」とばかりに両手を私たちのほうへかざす。
「まだ大きな声で話せる内容ではないから、控室に移動しようか」
 姉と私は顔を見合わせたが、結局西永さんの後ろに続いた。

「実は未莉ちゃんにお願いがあるんだ」
「私に、ですか?」
 西永さんは深刻な表情で大きく頷いた。私にあてがわれた控室は6畳ほどの狭い部屋だったので、大人が3人もいると息苦しい。しかも普段は軽い調子の西永さんが重い空気をまとっているのでなおさらだ。
「もったいぶらないで早く言いなさいよ」
 焦れたようすの姉が西永さんを睨みつける。だが思いつめたように握った自分の手を見つめている彼はそれに気がつかない。
「もうご存知だろう。守岡くんはけがでドラマを降板した。その影響でドラマが予定より2話短縮されることになった」
「2話も? それは大変ね」
「そうさ、現場は大混乱。スポンサーからも苦情が殺到。急遽対応を検討した結果、守岡くん主演で2夜連続のスペシャルドラマの製作が決まった」
「え、でも、まだけがが……」
 さすがに黙っていられなくて口を挟むと、西永さんが興奮気味に「そう!」と私を指さした。
「守岡くんのけがに配慮して、彼の役は足が不自由な設定なんだ」
 配慮? それは配慮というよりむしろ利用では?
 やり手と呼ばれている西永さんだけど、明らかにやり過ぎだ。抗議しようと急いで言葉を探していると、彼は大きなため息をついた。
「だが守岡くんに断られた」
 即座に姉が失笑する。
「彼も少しは休みたいでしょうに。それでどうするのよ?」
「そこで、だ!」
 西永さんは突然背筋を伸ばし、私に向き直った。
「未莉ちゃん、君が優輝を説得してくれないか」
「え、えええええ!?」
 突飛な提案に驚いた私は目を丸くしたまま固まった。
 どうして私が優輝を説得しなきゃならないんだ。
 その疑問に答えるように西永さんが身を乗り出してきた。
「優輝は未莉ちゃんのことをえらく気に入っている。君の頼みなら耳を貸すはずだ」
「それはないです」
 きっぱりと否定したのに、なぜか西永さんは不敵な笑みを浮かべる。
「未莉ちゃん。僕はね、このスペシャルドラマの相手役に君を推しているんだ」
「……え」
「説得するわ! なんとしてでも守岡くんに『うん』と言わせてみせるわ!」
 勢いよく立ち上がった姉は、両手でガッツポーズを決めた。西永さんもそれに呼応してガッツポーズ。
 いやいや、そこのおふたり。本人の意向を無視して、勝手に合意しないでほしい。
 そりゃ、スペシャルドラマに優輝の相手役で出られたら、ものすごいことですよ! いわゆる大抜擢ですよ!
 だけど優輝にドラマ出演をOKさせるのは、そんなに簡単ではない気がする。
 あなたがこのドラマに出てくれたら、私も女優デビューできるかもしれない――と言ったら考え直してくれるかな?
 うーん。
 そこまで彼が私にぞっこんラブだとは思えませんが。というかぞっこんラブとか寒い言葉がなぜ脳裏に浮かんだのか、私にもわかりませんが。
「未莉ちゃん、このとおり、お願いします。こんなことを頼めるのは君しかいないんだ」
 西永さんが顔の前で手を合わせ私を拝んだ。彼は私がイエスと言うまでその姿勢でいるつもりらしい。
 ふう、と大きく息を吐く。
「わかりました。チャレンジしてみます。でも結果は期待しないでください」
「助かるよ。日本全国で彼を待っている人がいる。それを優輝に伝えてほしい」
「……はい」
 なんだか昨日も似たようなやり取りをした気がすると思いながら、控室を出ていく西永さんを見送った。

「もしドラマの仕事が決まったら、契約社員なんかやっていられなくなるわね」
 姉が帰りのタクシー内で明るい声を出した。
 まだ決まったわけでもないのに姉が浮かれるのも無理はない。だってドラマの仕事なんて、私たちにとってはこれ以上ない朗報だ。
 しかし私のほうは手放しで喜べるような心境ではない。
 隣で姉のケータイが2度鳴る。メールを受信したらしい。
「高木くんから。今、病院に寄っても大丈夫だって」
 姉は私の返事を聞く前に、身を乗り出して運転手に行先変更を伝える。
「えー、今から?」
 一応不満の声をあげてみる。心の準備ができていないまま優輝に会うのは不安だ。できれば何度か会話のシミュレーションして、どのような返答をされても対処できるよう考えておきたい。
 が、そんな私の胸中は見透かされているらしく、腕組みをした姉は小さくため息をついた。
「『善は急げ』よ」
「『急がば回れ』ということわざもあるよ」
「未莉が相手役なら彼も考え直すと思うわ」
「それは……どうかな?」
 正直、そこは自信がない。
 優輝が私に対して少なからず好意を持っているとしても、情に流されて仕事を引き受けるような人ではないと思うのだが。
「未莉、こんなめったにないチャンスを逃しちゃだめよ!」
 姉は私の腕をつかんで揺すった。その手にこもる力加減から姉の熱意が痛いほど伝わってくる。
「わかってる」
「誰かに頼ることは決して悪いことじゃないわ。だいたいなんでもかんでも、ひとりでやろうとしても無理なんだから。みんな、いつもどこかで誰かに助けられて生きているのよ」
 私は姉の瞳をじっと見つめた。姉の言葉とはにわかに信じられない。自立という言葉を人の形に切り取ったものが姉の生きざまと言っても過言ではないくらいなのだ。
 ――いつどんな場所でも自分ひとりで道を切り拓いてきたのではなかったの?
 目の前の形のよい唇が更に言葉を紡ぐ。
「だから頼れる男性のひとりやふたりは常にキープしておくべきよ」
 ――お、お姉ちゃん!
 ですよね。さすがです。そのための努力は惜しまない、というわけですね。
 私にもそういう才能があれば、苦労せずに済んだのだろうか。ま、結局他の苦労が増えるだけかもしれないけど。
「参考にさせていただきます」
 そう答えると姉は悪戯っ子のように笑った。

 病院へ着くころには雲行きがあやしくなっていた。タクシーを降りた私の頬を雨粒が打つ。
 姉とともに小走りで玄関へ向かう。ガラスの自動ドアを通り抜けると、姉はおもむろに眼鏡を取り出した。私も慌ててバッグに手をつっこみ、変装グッズを探す。
「そのサングラス、似合わないわね」
 サングラスとマスクを装着した私に向かって、姉は率直な意見をぶつけてきた。
 どちらかを外せば不審者の疑いは多少晴れるかもしれない。しかしせっかく装着したものを外すのは、なんだか癪だ。姉の言葉は聞こえなかったことにして廊下を進む。
 優輝のいる特別室のドアを開けると、驚いたことにベッドは空で、ベッドサイドに積んであった書籍タワーも片付けられ、室内はすっきりとしている。
「いらっしゃい」
 声の主は松葉杖を支えにして窓辺で佇んでいた。
 ええっ、もう立てるの!?
 私は思わずサングラスを外し、彼の頭のてっぺんから足の先までじろじろと眺めまわした。
 その視線が鬱陶しいのか、優輝がため息交じりに解説を始める。
「一昨日、手術で骨を固定したから、あとはひたすらリハビリするだけ。予定では退院は来週だけど、僕としては今週中に退院したいと思っています」
 え、今週中!? 
 退院するっていうことは、つまり家に戻ってくると――。
「あら、順調ね。よかったわ」
 姉はスマートな動作で来客用の椅子に腰かけた。そして私を見てクスッと笑う。
「未莉ったら、あなたのことを心配しすぎて倒れたのよ」
 ちょ、ちょっと、何を言い出すんだ!
 目を剥いて抗議しようとしたが、その前に優輝がしおらしく「すみません」と言った。
 いや、あやまらないで。私のほうこそあやまってもあやまっても足りないくらいなんだから。
 しかしここで私は内心「おや」と思う。優輝の視線はひたと姉に向けられているが、それはどこか危険な光を放っていた。
 心がヒヤッとするのとほぼ同時に優輝が次の言葉を発した。
「紗莉さん、僕は知りませんでした」
 姉は少し眉を上げる。
「ん? 何かしら?」
「招待状ですよ。未莉宛に誰かが送った招待状」
 ――オーディションへの招待状のこと!
 そうか、姉は優輝に招待状の存在を報告していなかったんだ。
 そのせいで事故の前、優輝に招待状の話をしたら、彼が突然謎の発言をぶちかまし、未だにその言葉の意味が不明なのだ。
「ああ、あれ」
 優輝に睨まれても、姉は平然としている。
「送り主は誰か、ご存知なのですね?」
「知らないわ。でも見当はついている」
 え、そうなの!?
 私は唖然とした。
「ほう、誰だと? 西永さんですか?」
「いいえ。たぶんあなたの事務所の人間よ」
「え、そうなの!?」
 自分でもびっくりするような大声が出た。
 なぜ成田プロの人間が私にオーディションの招待状をよこすのだろう?
「招待状?」
 そうつぶやいたのは高木さんだ。彼にしては反応が鈍いと思いながら振り向くと、顎に手をかけて難しい顔をしていた。
「そんなに暇なヤツがいるとは思えないな」
「暇があるかないかは関係ないの。嫌がらせしたいと思えば、やらないと気が済まない。そういうものでしょ?」
「つまり……」
 高木さんが私たちのほうへ近づいてきた。
「紗莉さんは、成田プロの誰かが嫌がらせのために未莉ちゃんへオーディションの招待状を送った、と考えているわけだ」
 姉は高木さんを見上げて「そうよ」と答える。
「でもそれはどんな嫌がらせになる?」
「私のプライドを傷つけたいんじゃない? 確かに私は惨めな気分になったわよ。自分の力不足を嫌というほど呪ったわ」
 なんだか部屋の中が湿っぽい雰囲気になってきた。外が雨なのも多少影響しているかもしれないけど。
 私は低く唸る。
「あの招待状、そんな悪意のこもったものには思えなかったけどな」
 正直な気持ちを言ったら少しは空気が変わるかと思ったけど、優輝がクッとバカにしたように鼻で笑っただけだった。
「紗莉さんの見解は、可能性としてはありうるとしても、招待状自体を嫌がらせと決めつけるのは難しいように思います」
 悔しいことに優輝がきれいにまとめる。それを受けて姉も「そうよね」とため息をついた。
「だからあなたたちには言わなかったのよ。あれは私たちにとってありがたい招待状だった」
「なるほど」
 優輝は窓の外に視線を放る。
「今回の事故だけど、俺は未莉ちゃんが狙いだったと思う」
 高木さんは苦い顔で優輝の足を見つめていた。
「僕もそう思います」
 驚いたことに優輝も同調する。
「え、でもあれは私の不注意で起きた事故ですよ」
「守岡くんはなぜそう思うの?」
 俄然、姉の目つきが鋭くなった。対する優輝は淡々と答える。
「単なる勘です。証拠はありませんが、起きてはならない事故が起きたわけですから、故意を疑うべきかと」
「こ、恋……!?」
 私は自分の口を慌てて塞いだ。両手で強く押さえたが、3人の冷たい視線が身体中に突き刺さるのは防げなかった。
「あの、ごめんなさい。『わざと』という意味ですよね。わかってるけど、ちょっと言ってみたかったの!」
 最初にプッとふき出したのは高木さんだった。
「未莉ちゃん、君はおもしろい!」
「ま、いいわ。ここで議論したところで真相はわからない。でもそれぞれ用心しましょう」
 姉の言葉に優輝が大きく頷いた。
「そうですね。特に未莉はなるべくひとりにならないように」
 えー!? そんなこと言っても会社にも行かねばならないし。ずっと誰かと一緒に行動するなんて難しいよ。
 不満たらたらの心の内が優輝にはバレているらしく、彼は呆れたような視線をよこした。
 ――どうしたものか。
 そう思っていると、口元に笑みを浮かべた姉が顔を寄せてきた。
「ほら未莉、守岡くんにあの話しなさいよ」
 あの話――って西永さんから頼まれたスペシャルドラマ出演のお願い――だよね?
「ああ、えーっと、その、西永さんが……」
 途端に優輝は松葉杖を使って移動を始めた。うわー、西永さんの名前を出しただけでこの態度。人の話は最後まで聞きなさいよ。
 私はムキになって大きな声を出した。
「西永さんがスペシャルドラマの相手役に私を推してくれるって」
「……そう来たか」
 答えたのは優輝ではなく高木さんだった。
 優輝は私たちに背を向けた状態でベッドに腰かけ、不機嫌そうに松葉杖を投げ出した。彼の向こうには病室の扉しかないのだけど、扉なんか見つめて何か楽しいことでもあるのだろうか。
「その話は断った」
 嫌な静けさが室内を支配したのを確かめてから、彼はそう言った。
 知っていますよ。だからこそお願いに来たんです。
 心の中ではすぐに食ってかかれるのに、なぜか声が出ない。
「……どうして?」
 やっとのことでそれだけ喉の奥から絞り出す。
 優輝は折れていないほうの足を上げて膝をまっすぐに伸ばした。もう一方もゆっくり動かしているが、まだ膝の高さまで上げることは難しいようだ。
「この身体で満足な仕事ができるとは思えない」
「そうですよね」
 あああああ! 同意している場合ではないのに!
 しっかりしろ、私。なんとしてでも優輝にはドラマに出演してもらわねば困る。
「やっぱり無理ですよね」
 ちょ、私、黙れ。念を押してどうする。
 だけど、少し丸まった背中が寂しそうに見えて一瞬胸が痛んだのは事実だった。これ以上言い募るのは図々しいのではないか。彼とてこの道のプロ。仕事を吟味した上で出した答えなのだろう。
「それで、どうしてほしいの、この僕に」
 振り向いたかと思うと、冷めた視線で私を射る。苛立ちを含んだ険のある声に、背中がぞくりと粟立った。
 怖いくらいきれいな顔だった。
 見たい。もっと見たい。ずっと見ていたい。このまま時間を止めて――永遠に。
 別次元に引き込まれそうになった心をなんとか現実に繋ぎ止め、私は大きく息を吸う。
「全国のファンが待っています。ドラマの件、考え直して……」
「ファンのため、か」
 優輝は興ざめしたようにため息をついた。
 あれ、セリフを間違えたかな?
 でもなんとかここで食い下がらねば。私にはもう後がないのだから。
「それに優輝が出てくれないと私にチャンスが回ってこないんです」
 必死で訴えると、優輝は目を細め、唇の端に笑みを浮かべた。
「ふーん」
 気がつけば、向かい側で姉がニヤニヤしている。急に恥ずかしくなってうつむいた。
「そんなに僕と共演したい?」
 私は上目遣いでキッと優輝を睨む。
「デビューできるなら」
「へぇ。僕はデビューのための道具というわけだ。未莉もずいぶん逞しくなったね」
「そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、どういうわけだろう?」
 優輝が肩をすくめる。彼の疑問はもっともだ。
 だけど私は――。
「私は姫野明日香と同じ土俵に上がりたいの、なんとしてでも」
 そっか。そうだったんだ。
 言ってから自分の本心に気づく。
 私は明日香さんに負けたくないんだ。なのに、まだ同じ場所にすら到達できない自分が不甲斐なくて仕方ないんだ。
 不意に温かな視線を感じる。姉が向かい側で微笑んでいた。私のわがままを許すときの顔だ。高木さんは目が合うと大きく頷いてくれる。
 ふたりが理解を示してくれたことは、とても嬉しくて、ものすごく自信になった。
 それからこわごわ優輝を見る。
 彼はのけ反るような体勢で天井を仰ぎ、目を閉じると、フッとシニカルな笑みを浮かべた。

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#23 あなたと共演したい * 1st:2015/09/11


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