#20 負けてくやしいはないちもんめ

「何しに来た」
「それ、絶対言うと思った」
 白い目で見ると、優輝も同じように冷淡な視線をよこした。
「来るなと言ったはずだ」
 確かに電話でそう言われたけど、その言葉に従う義務はない。ついでに義理もない、と思う。
「せっかくお見舞いに来たのに怒ることはないでしょ」
 私が口を尖らせると、優輝は小さくため息をついた。
「すっげー痛いんだよ」
 台本を棒読みするような、あっさりとした言い方だった。感情がこもっていないぶん、その言葉は私の胸に鋭く突き刺さった。
 あらためてベッドの上を観察してみる。優輝の足はまだ牽引されたままだった。痛々しいのですぐに目をそらし、彼の顔を凝視する。目が赤い。
「痛すぎて眠れないから、ずっと本を読んでいた」
 私の心を読んだのか、ふいと視線を外した。
 しかし眠れないほど痛むとは! しかもそれをひとりで耐えなければならないとは!
 すべて私のせいだ。
 私があの現場に行かなければ――いや、私があのオーディションを受けなければ、優輝はこんな目に遭わずに済んだのだ。
 後悔が止まらない私に、優輝は容赦なく追い討ちをかける。
「手術後はもっと痛いらしい」
「そう、なんだ……」
 私は無意識に唇を噛んでいた。軽く受け流せるような話題ではない。実際足を牽引するための物々しい器具を目の当たりにすると、自分のなんでもない足からふにゃふにゃと力が抜けてしまいそうになる。
「そういう顔見たくないから、来るなと言ったのに」
 気がつけば優輝が迷惑そうな表情でこっちを見ていた。
「ごめ……」
「あやまるな。俺は大丈夫。痛いけど、これくらいじゃ死なない」
 ――これくらいじゃ死なない。
 そっけない口調なのに、私の心の中にできた固い結び目は嘘みたいにするすると解けていく。
「そうだね。この程度じゃ、ね」
 と、そのとき、優輝がぎょっとして目を見開いた。
「未莉……」
「ん?」
「マスク、息苦しくないか?」
 確かに少し苦しい。そう思って耳にかかるゴムを外そうとした瞬間、ガラガラと勢いよくドアが開いた。
「検温です。あ、お客さん?」
 髪を後頭部で一束にした眼鏡の看護師さんが物怖じせずに入ってくる。この説明だと清楚な女性の姿を想像するかもしれないが、実は彼女の長い髪はスパイラルパーマで背中にはふわふわの毛が爆発したかのように広がっている。
 不覚にもあっけにとられていた私だが、眼鏡の奥から鋭い視線を向けられ、マスクのゴムを耳にかけ直す。
「あの、私は優輝の従妹で……」
 もごもごと高木さんに言われたとおり説明すると、ファンキーな看護師さんは「へぇ」と低い声で言った。
「女性のお見舞いは、はじめてですね」
 優輝に体温計を差し出すと、彼女は私を横目でちらりと見た。
 そんなことをいちいちチェックしているのか、と思いながらその視線を受け止める。まぁ、人気のイケメン俳優が入院していたら、その来客を気にしてしまうのは当然か。
「そう。やっと女性が来てくれたと思ったら、まったく愛想のない従妹ですからね」
 憎たらしいことに、体温計を脇に挟んだ優輝はすました顔でそう言った。
 ファンキーな彼女は少し首を傾ける。
「でも守岡さん、顔色いいよ。身内に会えて安心したんじゃない?」
 その言葉に優輝も私も思わず絶句した。
 そ、そうなの? でも私、本当は彼の身内じゃないんだけど。
 なんとなく気まずい空気になったところで、体温計が鳴った。優輝は無言で体温計を差し出した。
 看護師さんは体温計に目を走らせ、ノートに記入すると、急に私のほうへ向き直った。
「いとこ同士でも結婚できるよ」
 ぼそっと言い残し、彼女はドアの外に消えた。
 痛いほどの静寂。それを破ったのは優輝だった。
「いつ俺の従妹になったんだ?」
「……さっき」
 私はようやく壁際にある布張りの椅子に腰を落ち着けた。突っ立っていると心がそわそわしたが、座った途端、どっしりと大地に根を張ったような気分になる。
「それ、高木さんの指示?」
 優輝は両腕を頭の後ろに回し、呆れたような表情で天井を仰いだ。
「うん。看護師さんにもあやしまれなかったでしょ?」
「あのな、マスク着用の挙動不審者をあやしまない人間がどこにいるんだ」
「でも『いとこ同士でも結婚できる』って……」
 そう言いかけたとき、ドアをノックする音が聞こえてきた。
 今度はなんだろう?
 優輝と私は一瞬顔を見合わせる。
「はい」
 優輝が返事をするとドアが開き、長身の男性が高木さんを従えて入ってきた。
「やあ、優輝。ひどい目に遭ったな」
「社長」
 上体を起こそうとする優輝に、高木さんが駆け寄った。私もとっさに立ち上がり、社長と呼ばれた男性に椅子を勧める。
 私に視線を移した優輝の事務所の社長は「おっ」と声を上げた。
「これは驚いた。優輝の従妹ちゃん、すげーかわいいじゃん!」
 ――こ、この人が、姉の元カレ!?
 ――ていうか、完全に騙されているし!!
 私は目の前の男性をまじまじと見つめた。
 年齢は私の父親世代より少し若いくらいか。パッと見、長身でスタイルはいいのだけれども、漢字の八の字みたいに眉尻が垂れていて、アニメのキャラクターみたいにひょうきんな顔立ちになっている。それが親しみやすい雰囲気を作っているようだが、年齢にふさわしい重厚さはどこにも見当たらない。
 ――う、うん。ちょっと、いやかなり、想像と違うけど……お姉ちゃん、こういうのもアリだったんだね。
 そんな失礼なことを考えていると、急に手をつかまれた。
「こんなかわいい女の子が毎日お見舞いに来てくれるなら、入院生活も悪くないなー」
 姉の元カレは私が座っていた椅子に腰かけ、私の手を握りしめて言った。
 できるなら思い切り腕を振リ回して、なんとしてでも解かせるのだけれども、相手は大手の成田プロの社長だ。さすがの私も初対面でいきなり失礼なふるまいは避けるべきかと、とっさに判断したわけで。
 すると優輝の冷たい視線がこちらへ飛んできた。
「社長、彼女の手を離してもらえませんか」
「お、おう。これは失礼。挨拶のつもりだったんだが」
 そう言いながらもなかなか手を離してくれない。私は社長から一歩退いた。
「彼女、男性恐怖症なんです。5秒後には彼女の絶叫が病院中に響き渡りますよ」
「えっ」
 パッと手が解放される。社長は眉尻をこれ以上ないほど垂らし、恐れおののいた目で私を見た。
「じょ、冗談だろー!?」
 ベッドの上の優輝は一瞬だけシニカルな笑みを浮かべ、小さくため息をつく。
「僕の従妹の手を握るためにお見えになったんですか? そうではないでしょう。仕事の話なら彼女には席を外してもらいます」
「あ、私はもう帰ります。失礼します」
 そうだ。わざわざ大手事務所の社長が出向くくらいだから、当然仕事の話もあるだろう。どうせなら手を握られる前にさっさと退室すればよかった、と後悔しながら小走りでドアへ向かった。
「待って」
 廊下へ出た私を高木さんが追いかけてきた。

 しかし、成田プロの社長があんなくだけた人とは。
 私はてのひらの上にある鍵をじっと見つめた。これは先程高木さんから強引に渡された彼の車の鍵だ。
「送っていただかなくても、ひとりで帰れます」
「いいや、そんなことはさせられない」
 そんなやり取りの末、私は高木さんの車のキーを預かる羽目になったのだ。
 そして社長が無事に帰るまで待合室で時間をつぶすように、と指示された、なので私は見るともなしにテレビの画面を眺めたり、紙コップのお茶を啜ったりしてぼんやりしていた。
 ちなみに夕飯時の待合室には、私の他に人影はない。
 遠くからカツンカツンと床を踏み鳴らし、こちらへ近づいてくる足音に耳をすます。わけもなく胸騒ぎを覚え、私は出入口を注視した。
「元気そうね」
 高木さんから支給されたものとよく似たサングラスに真っ赤なルージュを引き、黒のショートパンツに紫色のタイツを着用したスタイル抜群の若い女性が戸口に現れた。
 ――この声、間違いない
 聞き覚えのあるクリアな声に反応して、ぞわぞわと背中の皮膚が粟立つ。
 テレビでしか見たことのない人ならここまでの確信は抱けなかっただろう。でも実際に会ったことのある知人であれば、どれほど巧妙な変装をしても脳が反応してしまうものらしい。
 それにしてもオーディションやドラマ撮影現場では、清楚な世間知らずのお嬢様っぽい服装やふるまいだったが、このハードな雰囲気もなかなか板についている。
「もしかして……明日香さん?」
「当たり」
 姫野明日香は大きめのサングラスを下にずらし、私を睨めつけた。年下のくせになんという迫力。これまでのイメージを覆すロックな服装で、さらに箔がついたというか。
 入院患者を見舞うにはずいぶん派手だけど、これはたぶん明日香さんなりの変装で、やっぱり優輝に会いに来たんだよね。
「お見舞いなら、ここから左に進んで……」
「違うわ。用があるのは、あなた」
「えっ?」
 驚いた。明日香さんが私になんの用があるのだろう。
 急に柚鈴との会話を思い出し、背筋が寒くなる。まさか友広くん絡みで――!?
「そんなに私に負けたのが悔しかった?」
「……えっと」
 負けた?
 悔しい?
 いったい何の話だ?
 まったく話が見えないので明日香さんの大ぶりなサングラスを凝視する。
「優輝さま、ドラマを降板したの。ミリさん、あなたのせいなんだから」
 今、私の名前を発音するとき、かわいらしい声に似合わぬ悪意を感じたのだけど、つまりあの事故で私が優輝から仕事を奪い、同時に明日香さんから優輝を奪った、と。
 じゃあ私がわざと優輝にけがをさせたとおっしゃるわけ?
「私はオーディションで不合格だったのは当然の結果だと思っています。でも守岡さんがけがをしたのは……」
「あなたのせいでしょ?」
「それはそうですが」
「私が優輝さまと共演するチャンスをぶち壊してくれたことには変わりない。違う?」
「それは……」
 見事に追い込まれた。否定したいけどできない。明日香さんの言っていることは間違っていない。
「でも私は意図的にあの事故を起こしたわけじゃな……」
「あんな見るからに危険な場所で、足元に注意を払わないなんて、意図的に転んだのと同じでしょ」
 違う。あのとき私は優輝にトラブルメーカー扱いされ、頭にきていたのだ。
 とはいえ、気をつけて歩くこともできたはず。
 その結果、明日香さんがオーディションで勝ち取った栄誉を、私が奪取した――ということになってしまうのか。
「ごめんなさい」
「あやまってもらってもどうにもならないし」
 力のない弱々しい声だった。
「本当にごめんなさい」
 結局私にはあやまることしかできない。それで事態に変化があるわけでもなく、彼女の気持ちが救われるわけではない、そうわかってはいても――。
「優輝さまはあなたのことを気に入っている。オーディションの最終審査が始まってすぐにわかったの。あなたを見ているとき、優輝さまはとても楽しそうな顔をしていたから。それで私、あなたが撮影所に来たのがすごく嫌だった」
 なるほど「だって『ミリ』は『無理』って意味でしょ? ぴったりの名前だと思ったから」というセリフは、嫌悪感からくる正真正銘の悪口だったのか。
 明日香さんが私にぶつけてきたのは、つまるところ嫉妬というやつらしい。
 でも私からすれば、優輝にぐいぐい近づいていける明日香さんのほうがすごいと思う。それは優輝に好かれている自信があるからこそ、できることではないのか。
 自信――か。そんなの、全然ない。
「私、あなたみたいな努力しない女が一番嫌い」
 明日香さんが私に一歩近づく。座っている私は当たり前だけど逃げられない。
 急に火がついたみたいに全身が熱くなった。
 親しくもない他人から『努力しない女』と決めつけられるのは、こんなに気分が悪いものなのか。ずばり図星を指されたせいかもしれないけど、それにしても腹に据えかねる。
「そうですか」
 やっとのことで答えると、明日香さんは眉根をぎゅっと寄せ、自分の頬に手を添えた。
「開き直る気? 笑顔すら満足に作れないくせに、どうやって優輝さまに取り入ったんだか」
「別に取り入ってなんか……」
「そう。じゃあ笑わない女が面白かったのか、それとも不幸面に同情しちゃったのか。男の人ってそういうの放っておけないらしいから」
 この人はわざと私を煽っている。だから挑発に乗ってはいけない。
 そうわかってはいても、腹の底では炎がめらめらと燃え上っていた。このまま言われっぱなしは嫌だ。でも今は我慢。とにかく我慢しなきゃ……。
「お嬢さん方、声が大きいよ。こっちに筒抜けだ」
 突然低い声が割り込んできたので、明日香さんと私は同時にビクッと肩を震わせた。
「高木さん」
「それに、こんなところでする話じゃないな」
 戸口に顔を覗かせた高木さんは、うんざりした表情で私たちを見くらべた。
 明日香さんがスッと私から離れ、小声で言う。
「いつも保護者同伴なんだ。ひとりじゃなんにもできないなんて、子どもかよ」
「な、なんですって!?」
「未莉ちゃん」
 腰を浮かせて反撃しようとしたが、高木さんの鋭い声に邪魔された。
「帰る時間だ。姫野さんも乗せていこうか?」
「いえ、心配無用です。車を待たせていますから」
 ツンと鼻を上に向けて待合室を出ていく明日香さん。その颯爽とした後ろ姿には売れっ子のプライドがにじみ出ていて、私はすぐに目をそらしてしまった。

 車に乗ってしばらく沈黙の時が流れた。いつも陽気な高木さんが口を開かないのは珍しい。先程の明日香さんとの会話がマズかったか。そんな反省しながら運転席の様子をうかがう。
 高木さんはおもむろに自分の前髪をくしゃりとつかんでかき上げた。
「姫野明日香にはかまうな、と言いたいところだけど、向こうからちょっかいを出してくるんじゃ避けようもないか」
「私が適当に受け流せばいいんですよね。でもさっきはそれができなくて……」
「あの子、外見と中身のギャップが激しいからな」
 いや、あれはギャップなんてかわいいものじゃない。それに相手によって態度を使い分けているのだから本当にたちが悪い。
 とはいえ、今日は悪態つかれても仕方ないのかも。
「優輝がドラマを降板すると聞きました。明日香さんはそれがすごくショックだったみたいです」
「だけど実際あのけがじゃどうにもならないし、未莉ちゃんにいちゃもんつけるのはお門違いもいいところだよ」
 こんなふうに私を弁護してくれるのは、高木さんが姉の恋人だからなんだよね。お兄さんみたいで頼もしい。お姉ちゃんがいい人とめぐり会えてよかった。
「明日香さんは優輝のことが好きなんですね」
 私がそう言うと、高木さんは驚いたのか大きな声を出した。
「知らなかったの?」
「いや……」
 それを知らなかったわけじゃない。
 でも明日香さんにあんな一面があるとは思わなかった。突きつけられてはじめて知ったのだ。あそこまで彼女を駆り立てるものが何かということを――。
 そして同時に、それが私にはない、ということに気がついてしまった。
 あんなふうに私を駆り立てるものが私の中にはない。
 フロントガラス越しに姉のマンションが見えてきた。急に全身から血の気が引く感覚に襲われる。
「高木さ……、わた、し……具合が」
「未莉ちゃん!?」
 突然視界が閉ざされ、それ以上何も考えることができなくなった。

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#20 負けてくやしいはないちもんめ * 1st:2015/04/13
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