#11 不可解オンパレード

 突然の大掃除を終え帰宅した私は、出社時に購入した雑誌を開いた。優輝がいつ帰ってくるかもわからないので、一応トイレに入り鍵をかけた上で、だ。
 優輝と明日香さんの記事を隅から隅まで舐めるように読む。
 読み終えてホッと息をついた。ふたりの熱愛は謎の関係者証言だけで、そのどれもが真実味のない、ありがちな内容だった。
 勢いで買ってしまったけど、どうしよう。女性週刊誌を袋にしまい、トイレから出る。
 優輝に見つからないうちに捨てようかな。とりあえず通勤かばんにでも入れておこうと思い、かばんを開くと携帯電話が鳴った。柚鈴だ。
『その後、守岡くんとはどんな感じ?』
 冷やかすような口ぶりだったので、私は「え、いや……」と言葉に詰まる。
『進展はありましたかね?』
「進展って、な、なんのこと?」
『当然おふたりの関係について、に決まっているでしょう』
「関係って……」
『だってさぁ、一緒に住んでいて何もないほうが不思議だよ』
「いや、まぁ、そう……かな」
『ほらほら、どうなの。ラブラブな感じ?』
「んー、ラブラブってどんな感じだろう。そういうのとはちょっと違う気がする」
『違う? でもキスくらいはするでしょ?』
 柚鈴がためらいもなくキスなんて言うから驚いた。
「す、する、かなぁ?」
『じゃあ私のかわいい未莉はもう彼のものになった、ということですかねぇ』
 ニヤニヤしている彼女の顔が思い浮かぶから、電話なのに熱くなった頬を空いている手で隠す。
「ちがっ……まだ、そんなんじゃないよ」
『あら、意外。でも『まだ』ということは、そろそろ?』
 私は返事に困って首を傾げた。もちろん電話だから柚鈴には見えないのだけど。
『おーい、未莉。聞こえているかー?』
「聞こえているよ。でもなんていうか私、優輝のこと全然知らないし、何を考えているのかわからなくて……」
『そっか。でも『好き』って言われたでしょう?』
 柚鈴の言葉は瞬時に鋭い針となり、私の胸を突いた。
「……言われていない。『興味ある』とは言っていたけど」
『ええーっ!』
 驚愕の叫びは小さなスピーカー部分から大音量で耳に響く。同時にそれも私がもやもやする原因のひとつだったらしいと気がついた。急に胸のあたりが重苦しくなる。
「でも昨日の夜、優輝は私に『今から未莉は俺の恋人な』って……」
『なるほど。つまり私は利用されたんだね』
 あっけらかんと柚鈴がそう言ったので、私は「えっ」と聞き返し、悲劇のヒロインになりきる寸前でどうにか踏みとどまった。
『いや、守岡くんとしては未莉を押し倒すのは簡単でしょ?』
「簡単って……!」
『むしろその状況で何もされていないほうが奇跡だよ』
 何もされていない――?
 私の場合どうなんだろう。耳を舐められたというのは、何かされたうちに入るのだろうか。考えてみればペットだって勢い余って飼い主を舐めることはある。あれもそれと同じ類のことなのだろうか。
「ということは、私はその『奇跡』なの?」
『だってわざわざ私という仲人を立ててからの求愛だよ?』
 仲人だの求愛だの、私の現実とは程遠い言葉たちを並べられてもピンと来ない。柚鈴は優輝と私のことを完全に誤解している。
「だから、そういうのとは違うよ。優輝は私のことを好きじゃないと思う」
『えーーー』
 不満そうな声を出し、それから柚鈴はなぜかクスッと笑った。
『あれは未莉のことでしょう』
「『あれ』って?」
『守岡くんの弱み』
「まさか、そんなことあるわけないよ。だって私はからかわれているだけだもん」
 そもそも優輝がうっとりしながらのろけるようなものと私は、何をどうやっても結びつくはずがない。あの夜火事で焼け出されたパジャマにコート姿の裸足女子を、成り行きで居候させることになったのは偶然で、優輝にとっては災難でしかなかったのだ。
『ま、男と女がふたりでいれば、勢いでキスしちゃうことはあるかもしれない。でも昨日みたいに手の込んだ方法で私まで呼び出して、恋人になろうっていうくらいだから、かなり本気だと思うけどな』
「でも、優輝は最初の夜に『誰とも付き合う気はない』と言っていたよ」
 口にするだけでも胸が締めつけられるように苦しい。どれが優輝の本心なのかわからないからこんな気持ちになるのだと思う。
 柚鈴は『うーん』と低く唸った。
『それは『未莉以外の』という注釈がついていなかった?』
「ついているわけないでしょう」
『じゃあ気が変わったんだ』
「……え?」
『未莉を彼女にしたくなった。だから以前の発言は撤回。ていうか未莉はもう守岡くんの彼女なんだし、もっと自信持って、無駄に悩まない!』
 悩まずにいられるならそうしたい。だけど現実には不可能だ。この状況でどうやって自信を持てばいいのか見当もつかない。
「わかった……と言いたいけど、無理」
『じゃあ無駄に思い切り悩めば?』
「えっ?」
『それも恋愛の醍醐味だもん。この人何考えているんだろうと何時間悩んでも答えは出ないけど、そうやって相手を想う時間すべてが未莉の心の答えなわけだし』
「私の……答え」
『だって好きだから知りたいって思うんでしょ? それはもう恋だよ』
 私は一瞬言葉を失った。
「違う……と思う」
『強情だねぇ。でも未莉もそのうちわかるって。そのときはすでに手遅れだろうけど』
 柚鈴の不吉な予言のせいで、背筋に寒気が走り身震いする。通話を終えた後も私はしばらく通勤かばんの横に座り込んだままぼんやりしていた。

 それからいつものように夕食を作った。魚を焼く間に、にんじんとごぼうを炒めて、白菜をゆでる。なんとなく今日は和食の気分だった。
 出来上がったものを皿に盛りつけて時計を見る。優輝はまだ帰ってこない。
 今日は何時頃帰ってくるのか、とか、ドラマの撮影がどのくらい進んでいるのか――むしろ知っていて当たり前のことを何も知らず、それでいてひとり分にはあり余る量の夕食を作ってしまう、そんな自分に少し嫌悪感を抱いてため息をついた。
 気晴らしに楽しいことを考えようとしたが、なぜか今朝の友広くんの顔が思い出され、さらに気がめいる。
『僕は未莉さんがほしい』
 ささやくような声とすがるような視線が脳裏によみがえった。
 あれは本気だったの?
 友広くんこそ社交辞令で私をからかっていたはず。あんなふうに直接的なセリフを口にするとは考えもしなかった。だから私も不器用すぎる言葉で彼を傷つけてしまったのだと思う。
 でも、他になんて言えばよかったのだろう。
 この先私が友広くんのことを好きになる可能性があるなら、もっと違う言い方があったかもしれない。
 だけどきっとそんな日は来ない。たとえ私が優輝の恋人でなくなっても。恋人なのかどうかもあやしい私だけど『好きな人がいる』と言ったのは嘘じゃないから。
 好きな人、か。やっぱり柚鈴の言うとおりなのかな。
 純粋に顔はきれいだし、スタイルも抜群にいいし、気は利くし、面倒見もよくて、嫌なことはしてこないし。
 優輝の姿を脳裏に思い描くだけで、胸の内側がくすぐったいような気持ちになった。
 柔らかそうな長い前髪、強い意志を秘めた眉のライン、長い睫にふちどられた美しい瞳、これ以上ないほど優美なカーブを描く鼻梁――いつまでも見つめていたいと思ってしまう彼の横顔。きっと彼は神々から愛された人なのだ。そうでなければどの角度から見ても完璧な造形なんておかしいもの。
 なにげなく真横にある鏡を覗き込んだ。いつもどおりの無愛想な私が、不細工なできそこないにしか見えず、不意に泣きたくなった。
 それからテーブルに並ぶ夕食に目を戻し、また時計を見る。
 食べてしまおう。優輝の帰宅を待っていたら、いつになるかわからないもの。
 ひとりの食事は慣れている。なのに、なぜか今夜は、箸を手に取るまでしばらく時間を要した。

 翌朝、目が覚めた私は広いベッドの上に自分しかいないことを確かめ、飛び起きた。私の隣が冷たいことについてしばらく考えを巡らせて玄関へ向かってみたが、取り残されたように私の靴だけがポツンとそこにある。
「帰ってこなかったんだ」
 誰もいない部屋で私はひとりごちた。
 真夜中まで撮影が長引いたのかもしれない。そういう仕事なのだから仕方がない。大変だな、と思いながらキッチンへ向かう。途中で通勤かばんに入っている女性週刊誌の存在が気になったけど、あえて意識から遠ざけ、出勤の支度に励んだ。
 いつもと同じ時間に駅に着き、何も考えず習慣で同じ車両に乗った。吊り革につかまり視線を上げて、あっと思う。昨日と同じ場所に女性週刊誌の広告がぶら下がっていた。
「明日香と守岡、深夜の密会」
 心臓に針が刺さったような痛みを覚えて、思わず顔をしかめた。あれはでっち上げられた記事で、昨晩優輝が帰宅しなかったのは仕事のせい――呪文のようにそう唱えて広告から目をそらす。
 電車を降りて早足で会社へ向かった。友広くんの影を見かけずに自分のデスクへたどり着き、ホッとしたところで、後ろから誰かにポンと肩を叩かれた。
 驚いて振り返ると、40代半ばの女性社員、谷本さんが満面に笑みを浮かべて立っている。
「柴田さん、聞いた!?」
 私は興奮気味に話し出す彼女の顔をまじまじと見つめた。
「あの、なんの話でしょうか?」
「今日の午後1時、どえらいお客様が来るのよ!」
「ああ、お偉いさんが来るそうで」
 なんだ、そのことか、と思いながら返事をする。昨日の大掃除のおかげで、今朝の職場は見違えるように爽やかな印象だ。
 しかし突然両肩をガシッとつかまれて、私は頬を紅潮させた谷本さんの顔をもう一度間近で見つめることになった。
「違う! お偉いさんも来るけど、違うのよ」
「え、違うとはどういうことですか」
「あの人が来るのよ! ほら、あのポスターの守岡優輝が、うちの職場に!」
「は……い?」
 思わず声が裏返る。谷本さんは私の驚愕した表情を眺めて満足そうに微笑んだ。
「ね、柴田さんも一緒に見に行こうよ」
「あ、いや、私は契約社員ですし、そういうのはちょっとまずいか、と」
「大丈夫。大切なお客様だから、みんなでお出迎えするのよ。それに柴田さんも見たいでしょう。実物をこの目で見るチャンスはそうそうないわよー」
「そ、そうですね……」
 頬がひきつるのを気取られないように、と思ったけれども、向かいに立つ谷本さんは私の反応などそっちのけで、うっとりした視線を宙へさまよわせていた。
「ああ、どうしよう。なんとかサインもらえないかな。もし握手できたら私、一生手を洗わないわ!」
 いやいや、手は洗ってください。
 テンションを上げに上げている谷本さんに内心でツッコミを入れた直後、視界に友広くんの姿をとらえた私は、無意識に背筋を伸ばした。
「後で迎えに来るから、一緒に行こう!」
 谷本さんは陽気にそう言い残すと、弾むような足取りで自分の席へ戻った。
 入れ替わりに友広くんがデスクの上に自分のかばんをドンと置く。
「おはようございます」
 小声になってしまったけど、私の挨拶は彼に届いたと思う。だけど友広くんは私のほうを見ようともせず、無言でパソコンの電源ボタンを押した。

 午前中の女性社員たちのはしゃぎっぷりを見る限り、優輝がこの職場を訪れるのはどうやら本当らしい。男性社員の大半はそしらぬふりをしているが、時折顔の筋肉を緩ませっぱなしの女性をからかうから、結局職場は普段の数倍にぎやかで浮ついた空気が支配していた。
 そして昼休みがやって来る。
 私は契約社員仲間と食堂の片隅で一番安いメニューのかけうどんをすすった。
 実は今、食料品を買うくらいしか私の財布からの出費がない。家賃や光熱費を負担していないのを少し後ろめたく思うけど、お金を貯めるなら今しかない、とも感じるわけで、ランチは火事に遭遇する前よりさらに切り詰めている。
 やはりこのテーブルでも優輝の話題で持ち切りだ。「彼の私服はどんな感じだろうね」なんて疑問には心の中で「わりと普通だよ」と答えておく。気合いの入ったおしゃれをしなくても周囲の視線を吸い寄せてしまうオーラ――それこそが守岡優輝という人の魅力なのだと思う。
 今日はみんないつもより早めにランチを切り上げ、揃ってメイク直しに行った。私も一応それにならい、歯磨きをしてリップクリームを塗り、プチプライスのグロスをほんの少しだけ唇にのせた。前髪を手ぐしで直す。優輝に無愛想と言われた顔は、鏡の中でなんだか頼りなく見えた。
 午後1時5分前、私は谷本さんに手を引かれて玄関から外へ出た。彼女は顔見知りの上司たちのグループを見つけると、当たり前のようにその隣に陣取った。
 私は社屋に沿って並ぶ社員たちの列を眺めた。どうやら谷本さんは意図的にその最後尾にやって来たらしい。彼女の顔見知りの上司たちはスーツに社章バッジをつけていて、この会社の上層部の方々だと簡単に予想できた。
 つまり、ここで優輝が立ち止まる可能性が高い、というわけだ。
 まずい。
 しかし谷本さんは私の手首をしっかりと握りしめている。どうして私が彼女の同伴者に選ばれたのかわからないけど、できれば私はその他大勢の列に紛れていたかった。
 いや、会いたくないわけじゃない。私だって優輝の姿は見たい。でも今の私の顔を優輝に見せたくない。
 胸の内の激しい葛藤を吹き飛ばすような歓声が突然わき起こった。
 来た!
 待ちきれない様子の谷本さんが身を乗り出してパレードの進行をチェックすると、すかさず警備員が彼女を列へ押し戻した。
「柴田さん、来たわよ! 見えた! 背、高い! 顔、小さい!」
「そ、そうですか」
 谷本さんはようやく私の手首を離してくれたが、今さらこの場から移動することは難しい。なにしろ、列全体が前のめりになっていて、後ろへ行くことができそうにないのだ。
 仕方ない。私は逃げ出したい気持ちをねじ伏せ、ここでパレードが通り過ぎるのをじっと待つことにした。この興奮状態だもの、優輝が私に気がつかない可能性のほうが高い。そう思うと、私もこのお祭り騒ぎを少しは楽しめるような気がした。
 予想より早く歓声が近づいてきて、先導する黒ずくめの屈強なボディガードに驚いた直後、涼しげな笑みを浮かべた優輝の姿が目に入る。彼の後ろにはマネージャーの高木さんがいた。
 優輝は片手をズボンのポケットに突っ込んで、反対側の手はただぶらりと垂らしたまま手を振るわけでもなく、笑顔だけを振りまいて普通のスピードで歩いていた。
「さぁさぁ、こちらへどうぞ」
 私たちの隣にいた上層部のスーツ陣が背後のドアを開けると、ドアの向こう側には受付嬢たちがずらりと並んでいた。揃いの白いスーツに真っ赤な口紅をつけていて、全員が同じ表情で微笑んでいる。美人ばかりだけど、それが5人も並ぶとかなりの迫力だ。
「柴田さん、私たちも行きましょう」
 谷本さんがまた私の腕をつかみ、勢いよく引っ張った。ぽかんと口を開けていた私は、不意を突かれてよろける。
「え、だめですよ!」
 私の制止など谷本さんの耳には届かなかったらしく、ドアが閉まる瞬間、ガシッと扉をつかみ、バーンと思い切りよく開け放った。
「守岡さん! サインください!」
 谷本さんの大声に、優輝が一瞬足を止めて振り返った。
 彼の視線がまっすぐに私をとらえる。驚いて心臓が跳ねた。
 警備員が谷本さんの肩をつかむのを、意外にも優輝の声がさえぎった。
「いいですよ。あなたの部署を教えてもらえますか」
「えっ、いいんですか!? あの、製品管理部です。製品管理部の谷本です!」
「わかりました、製品管理部の谷本さん」
 優輝は楽しそうに笑いながら答えた。そして私を見る。
「谷本さんの隣の方、こちらに来てもらえませんか」
「え、ちょっ……なんで、私?」
「彼女がどうかしましたか?」
 上層部のスーツのおじさまたちも驚いてざわついた。ついでに廊下に並んだ受付嬢たちの冷たい視線が私に突き刺さる。
 それでも優輝は私を見つめたまま、さらりと言った。
「彼女に社内を案内してもらいたいな」

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#11 不可解オンパレード * 1st:2014/05/27


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